平方録

雪の朝に白く染まってみる

 雪明りあかるき閨(ねや)は又寒し 建部巣兆

ボクの寝室は南側は雨戸が閉まるのだが、西側は縦型の細い窓が3つ並んでいてそこには雨戸がないから電気を消しても真っ暗闇になることはない。
しかし、午前4時のラジオニュースを聞いた後の部屋はいつもよりもほのかに明るく、布団の表面がぼぉ~っと白く浮かび上がっていた。
そして意を決して布団から抜け出した身に、いちいち動きをがんじがらめにするように冷え切った空気が絡みついてくる。

雪は既に止んでいる。
ベランダのプランターの上に積もった雪は20センチくらいはあるだろうか。随分とこんもり積もったものである。
新聞配達のバイクの音もまだ聞こえてきていないようだ。
わが家の前の道路は坂になっているうえ、この雪では平らな道でも新聞を積んだバイクの通行は無理かもしれない。

ボクもかつて自転車で配達していた大学生時代に大雪に阻まれて担当の200軒を徒歩で配り、汗だくになった経験がある。
新聞記者の貧弱な頭脳ではとてもそういうことにまでは思いが及ばないと見えて、こういう時でもみんなしてふんぞり返っているのだ。
ノー天気な連中である。
もっと性根を入れて仕事をしたまえ! 強大な力に立ち向かうのだ! と声を大きくして言いたい。

ついつまらないことに筆が滑ってしまった。口直しの1首を。百人一首に知られる歌である。

 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里にふれる白雪  坂上是則

この歌も冒頭に上げた句に似て、旅寝の床に降り積もった雪には気づかず、目覚めに外がぼぉっと白んでいるのを有明の月と見間違えた光景の感動を詠んだものだが、雪明りというものは普段雪にはなじみの薄い人間にとっては格別の趣を感じさせるものなのだ。
ちなみに、冒頭句の巣兆は江戸時代文化文政期の江戸三大家と称された酒を愛する高雅な人格の人で、俗人の気のない句を詠んだ人だったらしい。
高雅な句…なのだ。

 おうおうといへど敲(たた)くや雪の門(かど)  向井去来

 誰か来るみつしみつしと雪の門  川端茅舎

「おうおう」や「みっしみっし」がいかにも深く積もった雪を連想させるのである。

 雪の夜の紅茶の色を愛しけり  日野草城

色の対比がミソなんでしょうね。ボクの場合はウイスキーとか赤ワインだね。でもウイスキーだと字余り。
さていい加減にして俗から離れることにしましょう。
昨日に引き続き道元禅師にお出まし願うことにしたい。大岡信は道元の詠んだこの一首を「おのれを無にして礼拝に没頭する清浄心を詠んだものである。白の中なる白の清浄心」と評している。

 冬草も見えぬ雪野のしらさぎは おのが姿に身をかくしけり










近所の自然公園の雪景色(22日15:30ころ)


丘のすそに沿った散歩道からの雪景色(22日16:00ころ)


わが家のカツラもきれい雪化粧した(22日16:10ころ)


今朝4時すぎのベランダ
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