江戸時代に懐石料理を確立して名をあげ、連綿と時を刻み、平成の時代につながっている。
長いこと続けるうちの浮き沈みは世の習いであるが、かつては将軍家も足を運び、開国を迫って日米和親条約締結のために横浜の土を踏んだペリー一行の饗応料理を手掛けるなどの輝きを放っている。
多才多趣味だった文政期の当主4代目栗山善四郎は一流の文人墨客との交流が深く、文政5年に八百善が刊行した「流行江戸料理通」は当時の料理本として知られるが、狂歌や洒落本の作者として知られた太田南畝(蜀山人)が序文を寄せ、谷文晁や葛飾北斎が挿画を描いて評判になり、江戸土産として人気を博したそうである。
この八百善が鎌倉・十二所の五大堂明王院境内に一年前から店を開いている。そんな由緒ある料理屋なら一度は尋ねてみたいと思っていたら、ひょんなことから実現した。
昼間しか営業していないが、3000円のコースを味わってきた。
意表を突かれたとはこのことで、席に案内されて最初に出てきたのは鰤の刺し身に薄く延ばした味噌をかけた一品。
11月まではワラサを出していたそうだが、師走に入ったので鰤にしたという。横須賀の長井漁港に揚がったものという。
現代の常識では刺身には醤油がつきものであるが、江戸時代は味噌だったようである。
鰤そのものが美味しいのだが、味噌に絡める初めての味わいが新鮮で、美味しかった。
この後、鴨と豆腐の治部煮、カマスに海老しんじょを挟んだ卓袱料理、カブの射こみ、三陸の牡蠣の茶碗蒸し、シャケ飯とキノコの赤だし、と続いた。
最後に、三日かかるという鳴門金時のきんとんに花豆をあしらったデザートと抹茶で仕上げた。
10代目栗山善四郎さんは大柄な人で、11代目となる息子さんを仕込んでいるようである。料理のいわれや器のいわれ、掛け軸などの装飾品の説明などもしてくれて、料理に別の味わいも添えてくれる。
カマスに海老しんじょを乗せて出てきた器は清朝12代にして最後の皇帝、そして満州国皇帝にまでなった愛新覚羅溥儀が日本に来た際、暗殺を恐れて迎賓館から出なかった溥儀のための料理を任された八百善があつらえた器で、皇帝を示す五本爪の黄色の龍図がその特徴である、という説明にはフムフムと聞き入った。
床の間の掛け軸は電力王とか電力の鬼と呼ばれた松永安左エ門、阪急電鉄や宝塚歌劇団などの創業者の小林一三が9代目に送った書簡の一部が使われていて、掛け軸の箱の表には「鬼と太閤の文」と書かれている。「鬼」は電力王、「太閤」は小林のことである。戦後一時期までの八百善の隆盛をうかがわせる掛け軸と言えようか。
江戸料理とはこういうものであったか。12時半から3時過ぎまで、いろいろ楽しめた。
塗師・喜三郎の杯で飲む日本酒が美味しく、理解を助けたことは言うまでもない。
十二所の五大堂明王院境内にある「八百善」
鰤の刺し身。薄く延ばした味噌がかけられている
カマスの卓袱と皇帝の象徴・五爪の黄龍
カブの中にすり身を詰め込んだ射こみ
松永安左エ門(上)と小林一三の書簡を使った掛け軸
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