この小さな町には男4人女1人の5人兄弟が暮らす親戚があって、末っ子がボクと同い年で夏休みになると小学生の内は毎年泊まりに行った。夜でも戸を閉めることなく開け放した座敷に蚊帳を吊って兄弟と一緒に雑魚寝するのはとても楽しかった。県立高校の先生をしていた兄弟の父親が庭で作るキュウリやナスが朝の食卓に並び、ナスの味噌汁と味噌をつけて食べるもぎたてのキュウリは特に美味しかった。
宿題を終えると高校生だった長兄に引率されて近くの岩井海岸に海水浴に行く日々で真っ黒に日焼けした。
別に泳ぎを教えられたわけではないが、同い年のいとこの真似をして〝ノシ〟と呼んでいた横泳ぎを覚え、ぷかぷか浮かびながら手足をゆっくり掻くと前に進んだものだ。長兄がどこからか借りてきた櫓漕ぎの和舟に伴走されて沖に浮かぶ小さく平らな島まで、疲れれば舟につかまりながらも〝ノシ〟で泳いで往復した。
長じてから長兄に聞いて知ったことだが、浜から島までは1キロ超あったそうだから往復で2キロを超えて泳いだのだと聞かされてびっくりしたものだ。
江戸時代後期に曲亭馬琴によって書かれ大人気となった大長編の読み物「南総里見八犬伝」の舞台となった里見家のあったところで、物語に登場する富山(とみさん)は岩井駅が最寄り駅になっている。
物語は伏姫と飼い犬の八房、そして八剣士の活躍を軸に展開するが、八房の像が岩井駅前にある。このモデルになった犬が春に亡くなった元知事の飼い犬だった紀州犬の夏子だ。制作を依頼された彫刻家がたまたま夏子を知っていてぜひモデルにと頼まれたんだとか。
1度見たことがあるが、さすがに夏っちゃんそっくりだった。
このツインピークスの山が里見家の城があった富山(とみさん)で、物好きにも1度登ったがあるのだ。北峰が349m、南峰324mで東京湾からもよく見える。
岩井駅を発車すると上り勾配に差し掛かり、岩井海岸が良く見渡せた。遠浅の波のとても穏やかな広い湾が広がり、夏休みになると都内の小学校の臨海学校が開かれ、小学生たちで大賑わいしていた。
特にあの屏風のように連なる低い山波のデコボコのスカイラインがとても懐かしい。
親戚の家は今空き家状態になっているが、途中下車して八房になった夏ちゃんに会い、せめて浜辺でも歩いてくればよかったかと、ちょっぴり後悔している。
すぐにトンネルに入ってしまい、一時の感傷はすぐに断ち切られる。トンネルを出て停まった「那古船形」という駅名の漢字の並びと呼び方の「ナコフナカタ」の響き・リズムが印象に残ったのでパチリ。
終点の館山に到着。線路はさらに南に伸び、やがて進路を東に取ると太平洋に出てさらに北上を続け、房総半島を一周する。
駅からまっすぐに伸びる道路の先に東京湾が見えた。
南欧風って言うの? ちょっと違和感の館山駅西口側駅舎。どうして「南房総風」にしないんだろうね。
30分弱の待ち合わせで安房鴨川行きに乗る。まだ内房線。
南三原駅で上下線電車の交換。
オッ、太平洋!
さすが黒潮の流れる海、真っ青じゃん!
いいぞいいぞ ♪
このままず~っとこの景色でいいぞ!
おお!
外房らしい? 半島っぽい景色じゃん、よしよし ♫
何でもう終点なんだよ…
ここで千葉行きの4両編成の電車が待っていて、5分後の発車だという。駅の外に出るかどうか迷ったが、千葉行きの車掌に聞くと次の電車は1時間後で、千葉に着くのは18時過ぎになるという。
それほど腰だめして乗りに来たわけではない思いつきのプチ旅なのでそのまま帰ることに。途中の上総一ノ宮から横須賀線直通の快速電車が出ているはずだが、生憎この時間帯にはなし。電車は4両と短く、しかもベンチシートで車内に向いて座るので景色は犠牲。
おまけに安房小湊、安房勝浦と停まるたびに観光客がどっと乗り込んできて吊革が埋まるほど。景色を撮るどころではなくなってしまった。で、これ以降の外房線区間の写真はゼロ! あのベンチシートはいかんなぁ。特に景色の良い郊外を走る電車はすべて窓の外を良く眺められるクロスシートにしてもらわないと。
実は編成の両端はクロスシート車なのだが如何せん数が少ない上に、発車間際だったので空いている席がなかったのだ。全部クロスシートにしてくれよ。
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