その逆というのもあって、さんざっぱら「明日は絶好の行楽日和でしょう」などという予報を信じて浮き浮きと出かける支度を整え、いざ朝を迎えてみるとどんより曇った空からやがてポツリポツリと雨粒が落ちてきたりすると、これはもう怒りを通り越して悲しくなってしまう。
大枚をはたいて気象衛星を何個か打ち上げ、スーパーコンピューターまで駆使して観測の精度を上げているのだと宣伝している割には大したことないじゃないか、人工衛星はただの宇宙ゴミかなどと悪たれをの一つもつきたくなるのだが、昨日は好天の側に転んだのだ。
朝ごはんを食べ終えて新聞を読んでいると明るい朝の光が雲間から差してきて、空を見上げてみると西の空にはきれいな青空が広がっている。
ん? 予報は曇りで夕方から雨が降るようなことを言ってたなぁ。しかも雨模様は2、3日続くというようなことも…
そう思うと、このつかの間の晴れ間は貴重である。
とにかく心肺機能のエクササイズをして来ようという気になり、仕度をして、自転車のタイヤにも空気を充填し、玄関を開けるとあの西の空の青空は消えてしまっている。
キツネにつままれたような気分で、ちょっと逡巡したが、それでもこれはエクササイズなのだと言い聞かせ、坂道を下っていくと短パンに半そでのTシャツ1枚の体に当たる風がとても冷たい。
何なんだよこれは! と呪いつつエクササイズ、エクササイズと呪文の如くつぶやきつつ漕ぎ続ける。
江ノ島に渡る海の上の橋を通ると、曇ってはいてもさすがに海の上は明るい。
波の全くない海に大勢のサーファーが繰り出してただ浮かんでいるのを「未練たらしい奴らめ」と冷笑しつつ、こちらは人波をかき分けてスイスイ漕ぎ続けるのである。
江ノ島のヨットハーバーの先端の防波堤まで行くとさすがに休日だけあって、家族連れの太公望たちでにぎわっている。
中年への戸口に立っていそうな関西弁の女性3人が大はしゃぎであれやこれやポーズを取りながら写真を取り合っているのに違和感を感じつつ、はるか沖を見詰める。
ヨットスクールのヨットがたくさん出ていたようだが、無風なので苦戦したんじゃないかしらん。無風時の対処の仕方って練習もありか…
ボクは40代から50代にかけてシーカヤックを手に入れていて、休みの日くらい群れるのはよそうと、たった一人で海の上を漕いだものだ。
その当時は最初はポケットベル、次いで、まだ今と比べるとかなり大きめだった携帯電話を防水の袋に入れて海の上に出たものである。
カヤックには波と風が強敵で、この日のように波も無く風も無い日は天国だった。
カヤックを手放したのは54歳の時で、これは今でも断腸の思いがするのだが、世のしがらみというやつに絡めてとられてしまい、ゴルフをやらなくてはならない羽目になり、カヤックを楽しむ時間が無くなってしまったのである。
「立場を考えてもらえないか」と一番偉い人から言われては抵抗は不可能だったのだ。
そんなことも思い出していると見る見るうちに青空が広がってゆき、やがて全天を青空が占めるようになる。
それがまた今朝の4時に起きるまで続き、昨夕「こんばんは」と対面した中秋の名月に、今度は「お早うございます。では、お休みなさい」と別れのあいさつするほど、ず~っと晴れ渡っていたのだ。
こんな大外れを気象予報士たちはどのように総括したのか、見損なってしまった。
江ノ島の防波堤から眺めた景色はこんな具合だったのだ
ヨットは帆を畳んだまま…
こんな空の下でも家族連れの太公望たちが釣り糸を垂らして休日を楽しむ
君たち未練たらしくないかい?
やがて青空が広がり始め、気温もぐんぐん上昇してゆく
真夏のあらゆる力強さはすっかり影を潜め
もはや青空は全天のものとなる=江ノ島入り口
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heihoroku
ひろ
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