正続院にはお釈迦様の骨を祀っている国宝の舎利殿があり、禅堂などもあって禅の修行の場となっている重要な場所でもある。
無学祖元という僧侶が鎌倉幕府第8代執権の北条時宗によって宋から招かれ、建長寺の住持を務めたあと、円覚寺の開山に携わったことは歴史の教科書で学んだ。
せっかく開いた寺だが、無学祖元は歳をとると再び建長寺に戻ってしまい、そこで亡くなったという。
それ故に、本来なら円覚寺に置かれるべき開山塔が正続院として建長寺に建てられたんだそうな。
この開山塔がない、いかにも不自然な状態に心を痛めた15世の夢窓疎石が後醍醐天皇に頼み込み、勅命を受ける形で強引に建長寺から円覚寺に移したんだそうである。
以来、鎌倉五山第1位の建長寺と第2位の円覚寺の仲は良くないんだそうである。
さすがに反目しあうまでには至っていないが、しこりが残っているというべきなのかもしれない。
それ故に、仲の悪いことを「犬猿の仲」というが、円覚寺では建長寺の建と円覚寺の円の頭文字を取って『建円の仲』と書くんだそうな。ホンマカイナ?
昨日の円覚寺の日曜座禅会で話をしたのは塔頭のひとつである雲頂菴住職だったが、このエピソードに加えて、学者の話だがと断りつつ、円覚寺は「日本の禅の聖地」なんです、とやけに聖地を強調していた。
理由に関しては、佇まいが禅宗の大本山にふさわしいとか、立派な禅僧を輩出したとか、必ずしも明快なものではなかったような気がするが、それを口にするという事が、その一派に連なっているという事を誇っているようでもあり、禅の坊さんもそういうことにこだわるのかと、ちょっと意外な思いで聞いていた。
まァ、いろいろな坊さんがいるのだろうから、1人くらいそうしたこだわりを持った坊さんがいても、変ではないのだろう。
正直に言えば、私の場合も高校3年生の夏休みに円覚寺で坐禅をさせてもらって以来、何かと円覚寺びいきである。
京都の禅寺には縁がないので知らないが、鎌倉の五山の内では確かに雰囲気を含めて禅宗の本山らしい佇まいだとは思う。
それに加えて、われわれ在家にも門戸を開いてくれているところなどは、厳しい修行で知られる円覚寺の別な一面を表しているようで、気軽に門をくぐることができるというものなのだ。
2、3年前のことだが、秋の風入れが行われていた時に円覚寺と建長寺をはしごしたことがある。
風入れは国宝や重要文化財など貴重な品々をずらっと並べているから、要所要所に坊さんが控えているのだが、その控え方がまったく異なっていた。
円覚寺では雲水が板敷きの廊下端っこにじかに坐禅を組んでじっと動かずにいて、存在そのものを消し去っているという印象だった。
片や建長寺。廊下はもちろん畳の上にパイプ椅子を持ちこんでそこに座り、周囲を見回している。別なところでは坊さん同士がぺちゃくちゃしゃべっていたり、あろうことか展示品の前を塞いだまま立ち話をしている坊さんもいて、彼我の差異に驚いたものである。
「禅の聖地」という話を聞いて、いささか違和感を覚えつつ、雲頂菴住職の言うことにも一理あるなぁと感じた次第である。
円覚寺境内から山門を見る
先週はまだ蕾だったイワタバコが花開いた
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