元旦に姫と仲良くお雑煮を食べ長谷の大仏まで腹ごなしを兼ねた初もうでに行ったのが随分前のことのように感じられる。
でも実際はまだ18日だから、3分の1以上も残っている。
これが別の月だったら、もうとっくに月替わりしてもいいくらいの時間経過というものを体で感じているのに、だ。
毎年よ彼岸の入りに寒いのは
正岡子規の句だが、これは寒さをボヤく子規にお母さんが「当たり前よ」と叱咤する言葉をそのまま俳句にしてしまったもので、どこのお母さんだって口にするような言葉がそのまま俳句になっているところが愉快な句である。
そのデンで行くと、1月が他の11の月に比べて進む速度が遅いように感じられるのはボクにとっては毎年のことで、〝毎年よ睦月がノロノロ遅いのは〟という句が出来てしまう。
今月末にわが二合会の初句会があるのだが、そこに出して見ようかしらん。
1月の進み具合の遅さに比べると、例年2月4日ごろの立春を過ぎると地球の自転は急速に速度を上げるかのようで、通常は28日しかないことを差し引いても2月の速度は「あれよあれよ」の形容詞付きで早まるのだ。
これは3月にも引き継がれ、あっという間にウメはおろかサクラだって気の早いものは散ってしまい、野も山もはつらつとした若緑に覆われ始める。
内またで歩幅も狭く静々とゆったりした足取りでやって来る印象の佐保姫さまは、案外歩幅も広くつかつかとやって来ることに驚くのである。
こうなると夏大好き人間のボクは夏が過ぎ去って以降の悲しくも寂しい日々や寒さに震え縮こまった日々を思い返して感涙にむせぶのである。うっそぴょ~ん。なわけないでしょ。
でも、気分はその通りで、こうなると庭に下りてバラの花芽や葉を舐めるように点検し、バラのつぼみ直下の茎に穴をあけて樹液を吸い、つぼみを枯らしてしまうにっくきバラゾウムシを見つけては捕殺する「バラ守り人」にヘンシ~ンするのである。
やがてバラの花咲く季節を迎えるとわが家の前の道路は大渋滞して交通整理の警察官が大勢出て……これも、うそぴょ~ん!
でも、通りがかりの近所の人が「まぁ奇麗ねぇ~!」と感嘆符付の言葉を漏らすのを聞き逃さない花咲爺なのである。
そして一時のじめついた梅雨の季節さえやり過ごせば、真っ白な入道雲が湧き立つ烈日の夏がやって来るのだ。
ところで、この時間感覚の妙なブレ具合ともいうべき1月だけが異様に長いという状態は何故に起こるのか。
何せ、子規のお母さんをまねて、ボクも時間軸の変化を俳句にしちゃった手前、なにがしかの納得材料を得たいと願う。
しかし、願いはするが、心理学の手習いの本を開いてもズバリ納得させられるものは見つかっていない。多分どこかに書かれているのだろうけど…
つまり、同じことを繰り返す日常だから時間がなかなか進まないのだ…とか、規則的な生活をしていて健康な食事や生活リズムの良い人は新陳代謝が良くなることによって時間を長く感じるものだ…とか、逆に、歳をとってくると学習量ががくんと減って、その結果時間は早く進んでしまうのだとか…
人間の心理ってのはかくも複雑なんですなぁ。
このように諸説入り混じる中で、ごく一般的な感覚としてだれもが感じ得る、楽しい時間はあっという間に過ぎ、退屈な時間はなかなか進まない…という辺りは何となく納得がいくかと思いきや、12月、1月、2月と真冬の間は似たような生活をしているはずなのに…と思うと、それもまた怪しくなってきてしまう。
早い話が、何が嫌かって、寒いのはもう御免なんだ。とにかく超特急で佐保姫さまの御お姿を拝見したいのだ。
佐保姫さまは海からやって来るのだろうか
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