愛媛県の片田舎の街のことだから、割り引いて受け止めなければならないかもしれないが、6年生の姫が市の小学生選抜で競われる陸上記録大会に学校代表として選ばれて連日放課後、暗くなるまで練習しているんだと、ちょっと誇らしげに報告してくれた。
昨日昼過ぎ、昼ご飯を終えた後のんびりしていたら、携帯のテレビ電話がかかってきて「今日は敬老の日だから電話した」という。
んっ ケーロー ? 誰が ? という思いだが、電話を受けているのはボクたち夫婦だけだから、ケーローという単語の標的はボクたちしかいない。
たしかにジィ~ジとかバァ~バと呼ばれる立場だから、客観的に考えれば、それが順当な受け止め方ということになる。
ごちゃごちゃ言う前に、間違いなくジィ~とバァ~バなのだから、姫のケーローという単語の使い方は間違っていないのだ。
何かとても往生際の悪い人間性というものが浮き彫りになってしまったかのごとくだが、それで昨日がケーローの日の祝日であることを、改めて再認識させられたという訳である。
てっきり日曜日と春分の日の祝日に挟まれているから自動的に休日になっているのかと思っていた。
ヤレヤレな複雑な気分だ。
まだ出場種目は確定していないが、足の速さは自他ともに認めるところで、運動会の度に幼稚園から毎年欠かさずリレーの選手に選ばれてきた韋駄天の足の持ち主なのだ。
今年はコロナで学校再開が遅れたが、5年生で今の小学校に転校したにもかかわらず直ぐにたくさんの友達も出来て、新しいクラスでは学級委員にも選ばれ、生き生きとしている姿はジイジとして嬉しいことこの上ない。
間もなく5歳になる妹君は買ってもらったばかりの電子ピアノを聞いてほしいと一応メロディーを奏でるし、大好きな本を引っ張り出してきては読むから聞いてほしいと朗読を始めると、その感情の入った読み方に感心させられたり…
成長速度の速さに驚かされる。
この孫姉妹に会ったのは昨年末から年初にかけて4、5日泊まりに来て以来のことなのだ。
姫とは夏休みに小学生女子の聖地である東京の竹下通りに連れていく約束をしていたから、それがコロナでダメになり心底悲しそうな顔をしていたのが印象的で、それ以上にボクも落胆したものだ。
まっ、こうした悲しい思いをしているのはボク1人だけでなく、全国にもこうした悲しい思いを抱いているロージンたちが大勢いることだろう。
今度の正月こそ1年ぶりの再会 ! と期待を寄せたいのは山々だが、やっぱり無理なんだろうなぁ~というアキラメが頭をよぎる。
インフルエンザと同じでこれから先コロナが死滅することはないだろうから人類はコロナと共に生きる道が見つかるまで、避けながら生き残る道を進んでいくしかない。
人類にとって、降ってわいたような地球規模の試練の時をボクたちは生きている。
コロナを恐れる必要がなくなる日々の早く来たらんことを。
(見出し写真は近所の池のある公園に咲いていたツリフネソウ)