それ以前のどんな文献にも、この言葉は見つからないし、ましてや漢字や学問が渡ってきた中国にも見当たらない言葉なんだという。
つまり、白隠禅師が作り出した和製語なんである。
昨日、東京の大手町のホールで開かれた「白隠禅師シンポジウム」という催しに足を運んで、初めて知った。
「初めて」というのはちょっと語弊があって、正確には先週の日曜日の円覚寺の日曜説教座禅会で、講師である横田南嶺老師の口から「予告編」として耳にしていたのだが、「中身はシンポジウムでのお楽しみ」と教えてくれなかったのである。
客足が良くなさそうだという主催者の心配もあって、老師から日曜説教座禅会の参加者に向けて「よかったら聞きに来てください」というお誘いがあり、それに応えた、いわば〝サクラ〟のようなものとして足を運んだのである。
まぁ世の中には実に様々な研究をする人がいるもので、白隠さんの著作を研究していた人がまず健康法を書き記した「夜船閑話」という著作の中からこの言葉を発見し、さらに調べを進めてみたら、白隠さんの残した様々な著作の16か所にこの言葉が使われているということを突き止めたんだそうである。
これ以前は「健康」を指す言葉として使われていたのは、うろ覚えだが「無病」とかなんとかという、「健康」という単語とは似ても似つかない単語だったそうである。
「健」は体の健やかさをイメージさせるし、「康」は心の安らぎといったものを感じさせ、両方そろうと実に味わい深い言葉になる、というのが横田南嶺老師の説明だった。
「夜船閑話」が教える健康法の最大の特徴は「丹田呼吸」ということだろうが、これは白隠さんの教えの通り、臨済宗のお寺では坐禅の時に①まず「ふ~っ」と体の息を静かに長くゆっくり、すべて吐き出し②次に鼻の穴から静かに静かに、長く長く、へその下の下腹に溜めるように息を吸い込む③息を吐くときに合わせて「ひとぉ~っ」、吸うときに「ふたぁ~っ」という具合に数を数え、10まで数えたらまた「ひとぉ~っ」に戻って繰り返す――数息法というものを教えられ、修行の中で実践されているのである。
この教えがお寺を抜け出して、われわれ在家の、健康法を探している人たちに受け入れられるところとなって、様々な健康本の骨格をなしたりしているのである。
この丹田呼吸が身につくとさらに進んだ教えである「内観法」とか「軟酥(なんそ)の法」などに進んでいくらしい。
悟りを開いたものの、厳しい修行によって身体を壊してしまった白隠さんが、病を克服するために身に付けて実践した「無病」への道が「健康」法として示されているのが、この「夜船閑話」に詰まっているそうである。
ただ、正直に白状すれば、この数息法というものだって、ボクには簡単ではない。
息をするだけ、数を数えるだけ、と考えたら大間違いで、実際にやってみると、そうやすやすと続けられるものではないのである。
「むぅ~っ」とか「ななぁ~っ」くらいで集中の糸が切れてしまいかねない。
「とぉ~っ」まで数えてまた繰り返すなんていう集中力の維持は全くもって大変なのである。
呼吸だけに集中し、それを数えるという、簡単なように思えることがかんたんではないというげんじつその点だけ取り上げたって、白隠さんのすごさを痛感させられているんである。
「白隠さんと私」をテーマに開かれたシンポジウムで「夜船閑話」について講演する横田南嶺老師
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