今日の関東南部、わけても都心界隈は昼前あたりから大荒れの天気になるという。
急速に発達した低気圧が日本海を北上するのに伴って太平洋にまで延びる寒冷前線が通過するためで、全線通過に伴う強雨や雷雨、突風や強風に注意しろ――と昨晩辺りから天気予報に繰り返し脅されている。
まぁ普段なら、へぇ~と聞き流すところだが、今日は生憎というかズバリというか、午後12時半集合でわが俳句結社「二合会」の初句会兼新年会を東京タワー周辺で予定しているのだ。
まず地上125m(海抜150m)の第1展望台に上がって吟行し、タワーを降りたら近くの東京プリンスホテルの中国料理店で飲みかつ食いながら出来栄えを吟味するのに、眺望は絶望的だろうし、ひょっとするとごく間近でギザギザの稲光を観察する羽目になるやもしれぬ。
第一、ボクは階段を自分の足で登って一句ひねろうと考えていたのだが、強風に強雨、稲光ではそもそも階段そのものが閉鎖されるに決まっている。
名句を逃した気分だ。
おまけに昨夜、幹事役のメンバーの女性からメール連絡が入り、羽田に降りるころから37~38度の熱があり、今夜はさらに高くなりそうな気配だ。単なる風邪だと思うけど、もし私が起き上がれないようなら幹事の代役を頼むと伝えてきたのだ。
年末年始をアフリカのキリマンジャロやタンザニアの高地で過ごし、土産話の一つでも披歴してもらおうと思っていたのだが…
面倒くさい風土病じゃないことを願っておこう。
日程調整をしたうえで1月8日と決めたはずなのに、彼女を含めると欠席者は10人中4人となり、新年会を兼ねた初句会としては寂しいものになってしまう。
欠席理由は体調不良に起因するものが3人もいて、じわじわと高年齢化が進むわが句会にとっては無視できない問題の浮上と言えるかもしれない。
今後は「健康」という2文字が運営上の大きな課題になりそうな新年の幕開けである。
それにしても「東京タワー」という建造物は魅力的である。
第一、背筋がピンと伸びた立ち姿が嫌みが無くて美しいのが魅力だ。
大学生の4年間は学校に通う電車の窓から見ていたし、東京の街中を歩くと思わぬところからタワーの先端部分が見えたり、あるいはとても小さなシルエットとして全体像が見えたりすると、思わず「おぉ ! 」と声が漏れたりもした。
そうしたいつも身近な存在にもかかわらず、初めて展望台に上ったのがいまから4、5年前のことで、物心つく前から東京で暮らしていたはずななのに、やはり一度も上ったことが無かった妻と「スカイツリーが出来る前に一度上っておこう」と決行したのだった。
今日は2度目ということになる ♪
ボクはベタベタするのが嫌いな質なのだ。
ああいうシンボル的なものは遠くから黙って見守るに限る。
1月3日にNHKのBSでたまたま映画「三丁目の夕日」をやっていて、途中から見たのだが、実父に連れ戻された淳之介少年が一緒に暮らしていた小説家の竜之介の元に逃げ帰って抱き付くシーンでボォーダの涙を流したのは忘却の彼方だが、今回もまた分かっているのに顔中がクシャクシャになってしまった。
映画のラストシーンでは完成した東京タワーが夕日に染まってすっくと立つ姿が写しだされる。
ボクよりちょうど10歳下の還暦をわずかに過ぎたばかりの、同時代を生き抜いた仲間なのである。
見出し写真とこの写真の奥にピラミッドのようなきれいな三角形をした山が左右にひとつづつ見える(昨日7日午後、七里ヶ浜駐車場から撮影)
金時山(1212m、左)と矢倉岳(870m) そして晴れていれば矢倉岳の後ろ、画
面右奥に富士山が鎮座しているはず(右手前は小動岬)
晴れていればごらんのとおり(稲村ケ崎から、5日撮影)