何だか気持ちがそわそわして落ち着かない。
ベッドから離れて以降、パソコンの前にじっと座っていることができないくらいだ。
何か文章を紡ぎ出してまとまったことを書くなんて作業はとてもムリ。
理由は、多分…
これから姫の待つ四国の愛媛まで出かけるのが嬉しくて仕方ないからだと思う。
待ちに待った朝といってよい。
遠足の朝の小学生みたいな気分だ。
こういうのは、いくつになっても変らないもののようで、歳を取るというのはいったいどういうことかと自問せざるを得ない。
4:53の撮影だが、金色の光輪が幾重にも重なって得も言われぬ新鮮な輝き放っているのが良く分かる。
こういう光り輝く奇麗な朝はそう滅多にみられるものではない。
しばし見とれる。
何か本能が目覚めようとしているのか、心の奥底がざわつくようで何だかとても落ち着かない。
光に包まれ、自分で自分をどうして良いのか分からなくなる。
祈るのか…飛び跳ねるのか…それとももっと違うことか…
何だってできるような気もするが、実はそれは錯覚で、金縛りのようになって身動きが取れなくなってしまうような気もする。
どうなっちゃってるんだ ?
しかし、とにかく気持ちがいい。すごく気持ちいい。
五体を投げ出しくなる。
どうにでも好きにしてくれという気分だ。
殿堂入りの名花「ニュー・ドーン」
「伽羅奢」
アーチで伽羅奢と対にしている「バレリーナ」。紫のクレマチスは「アフロディーテ・エレガフミナ」
今年のわが家のバラの開花は遅いと思う。
確かに去年は早かった。それを差し引いても遅い。
バラではないが庭のハナミズキが咲かなかった。
近所の自治会館の玄関前のハナミズキも咲かなかった。
今年のハナミズキは咲かないのか ?
そんな話は他では聞かない。
ボクの住む、それも極めて狭いエリアでの話なんだと思うが、そういうこともあるんだ。
もちろん、バラの中でも「空蝉」は既に1番花が終わったし、つるバラの「伽羅奢」もほぼ平年並みの開花でちょうど盛りを迎えつつある。
早いだの遅いだのと言っているのはニンゲンだけで、機械じゃないんだから多少のずれが生じるのも当然のことだろうに。
植物の側にすれば何をそんなに気にしているのかというところだろう。
余計なお世話か。
しきりと気にしているボク自身、修行が足らないとつくづく思う。
「あるがまま」を受け入れていれば日々は静かに流れていくんだろうに、余計なことに気を回して一人で騒いでじたばたしている。
朝の輝きを見て気持ちがざわついたのも、そういう至らなさを身体の奥深くで自覚のないままなんとなく感じていたからのような気がしてきた。
思いがけず心の奥底を覗いてしまった気分だ。
つるバラの「ローゼンタール・シュパリースホープ」