自慰用素材を見つけるうえで、漫画誌や男性週刊誌に掲載されるグラビアには、いつも目を通していた。オナペットにかないそうなのがあったら、写真集やイメージビデオ(IV)がいつ発売されるのかのチェックを欠かさず、我慢できなければその雑誌を買って自慰にいそしむフライングも少なくなかった。
雑誌のグラビアは素材探しの出発点で、めぼしいグラビアアイドルのデビュー作が発表されれば、それで何十回にもわたって自慰を繰り返すとともに、新たなオナペットを発掘すべく毎週発売される雑誌に目を通した。二十代から三十代前半にかけて、僕はビッグコミック系列四誌を購読していたが、あくまでも連載作品目当てで、一方、「これはいけるな」と思ったグラビアのためだけにヤングサンデーやヤングマガジン、男性週刊誌ならプレイボーイを不定期で購入していた。
僕がお世話になったオナペットは、一部のお菓子系モデルを除いてほぼ全員が写真集かIVを発表している。単体の作品を出さなかったグラビアアイドル、つまり漫画誌や週刊誌のグラビアの域から出なかったモデルの中で、最も自慰回数が多かったのは、おそらく二〇〇一年四月にヤングサンデーの巻頭を飾った山吹美奈斗だと思う。
山吹は当時の連載作品の登場人物と同姓同名の芸名で、いきなりメジャー級のデビューを果たした。当該号は山吹のほかにも酒井若菜と片岡未来のグラビアも掲載されていたが、それらには目もくれず、胸の立体感が露わな彼女のビキニ姿でひたすら性欲の発散を繰り返した。表紙も含めて七、八ページだったにもかかわらず、ショートボブの髪型に素人っぽさを残したままのグラビアは衝撃的で、小倉優子や小向美奈子と並んで〇一年の自慰戦線を賑わせてくれた。
同年十月にもヤングサンデーの巻頭グラビアに登場し、僕はもちろんそれを堪能したが、デビューから半年過ぎたにもかかわらず写真集が発表されないことに欲求不満は溜まる一方で、それなら山吹より後にデビューして写真集も出しているモデルへの自慰依存度が高くなり、徐々に回数は減っていった。漫画誌の企画の域から出られなかったのは、マイナーでの経験を積まなかった山吹の力量不足だったのか、または所属プロダクションと小学館はじめ各出版社との間で折り合いがつかなかったのか、おそらく両方にあてはまると思う。
山吹は後に鍵山由佳として大手レーベルから歌手デビューを果たすが、一作目のシングルを発表しただけで、それ以降の活動は知られていない。グラビアも歌手活動も業界大手の後ろ楯がありながら、どちらも中途半端で終わってしまったのは稀有な存在で、よほど運に恵まれていなかったのだろう。かつてお世話になった身としては、芸能界の水に馴染めなかった山吹が、現在一般人として日々健康に暮らしていることを祈るばかりだ。