二〇〇七年当時は、メジャーになりきれていない無名のグラビアアイドルでも、デビュー作品として写真集とイメージビデオ(IV)が発表できるほど、業界全体の懐が広かった。同時製作ゆえに撮影時の衣装はまったく同じだが、IVはモデルに動きが加わるので、それを見る側の興奮の度合いも高くなっていった。僕が写真集で自慰することがもったいないと感じたのは、ちょうどその頃からで、アイドル写真集のカテゴリーリーダーとも言える彩文館出版が、写真集と映像作品を併せて販売したことが、写真集離れをいっそう加速させた。
僕が彩文館出版の新作写真集を最後に買ったのはいつで、誰のだったのかと振り返ると、〇七年九月に発表された鮎川のどかの「多感期」のはずだ。成熟した健康的な肢体と、それでいて垢抜けていない鮎川の恥じらいとぎこちなさに満ちた表情の数々に、僕は何度も性的興奮を昂らせ、射精を捗らせた。デビュー作らしい典型的な仕上がりで、写真集だけでは飽き足りず、IV「nonnon」も購入するほど鮎川にはお世話になった。かつての佐藤寛子を思い出させるほどの素朴な佇まいが、僕の性欲のツボにはまった。
佐藤が後にメジャーへの階段を駆け上がっていったのに対して、鮎川のグラビアアイドルとしての作品は「多感期」と「nonnon」のみで、次作が発売されることはなかった。後年、ネットサーフィンでたまたま辿り着いた演劇関係者のブログにて、鮎川がその道に進んでいるとの消息を知ったが、今日では検索エンジンで彼女の名前で検索しても、デビュー作を紹介している通販業者のウェブサイトしか見当たらず、彼女が今どこで何をしているのかなど、知るよしもない。
SNSで誰もが自由に情報発信できるようになったとはいえ、僕がかつてお世話になった元グラビアアイドルはネット上に現われてこない。十代の頃は芸能界入りを目指したのだから、人並み以上に自己顕示欲が強かったはずなのに、足を洗ってからは沈黙を続けている。もしかすると、まったく別の名前で内輪だけに日々の出来事などを発信しているのかもしれないが、僕はそれを探しあてるほどのストーカー気質を持ち合わせていない。
どんな仕事も人によって向き不向きがあるのと同様、人前で水着姿になって性的アピールを売りにするグラビアの仕事も、長続きするモデルもいれば、一発屋のモデルもいる。鮎川はまさに後者で、プロに徹しきれなかった。高校生世代で胸の大きいグラビアアイドルが次々にデビューしてくる時代だったゆえに、鮎川は余人をもって代えがたい存在ではなかった。しかし、それは鮎川にかぎらず、彼女と同じ〇七年にデビューした西田麻衣にも同じことが言えるわけで、両者の違いはグラビアという芸能界の末端にしがみつき、時には自分の体の一部を加工したり、大物芸能人に取り入ったりするなど体を張った処世術に長けているかどうかだ。
残念ながら鮎川にそのような能力はなかったようだが、たとえ世間一般からの認知度が皆無だったにせよ、僕は決して彼女を忘れることはないし、こうして記憶に残るオナペットとしてネットの片隅に書きとどめておきたい。後世に伝えたい平成期のグラビアアイドルの一人であるというのも、決して過言ではない。
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