「お菓子系」モデルの活動期間は数カ月程度で、彼女たちのほとんどはメジャーデビューを果たせずに引退していく。僕の知るかぎり、地上波の番組に出るまでに成り上がったのは児島玲子と浅田真子(現・熊切あさ美)ら片手で数える程度で、彼女たちが掲載された「クリーム」を買った覚えはあるが、素材として使った記憶はない。記憶に刻まれているのは、一、二回きりの掲載で知らずに消えていった素人たちだ。
児童ポルノ法施行直前までが「お菓子系」の最盛期で、月刊誌に複数回掲載されたモデルは単体での写真集とイメージビデオも発売された。「クリーム写真集」などの総集編では、巻頭以外では七ページ前後と満足感が得られなかったので、オナペットにかなうモデルの写真集発売の通知は、僕をひどく興奮させた。その代表的なのが、一九九九年の小野田優美だ。
小野田の体操服姿とスクール水着姿は、自慰素材として申し分なかった。胸が大きくて垢抜けたグラビアアイドルよりも、僕は素人っぽさの残る「お菓子系」のモデルを好み、しかも単体の写真集まで出してくれる。当時掲載されたインタビューによると、小野田はバレーボール部に所属し、モデル活動と並行して大学受験を目指していたそうだ。高校では理系のクラスだったそうだが、僕は小野田のファンではないので、そういうプライベートな話題には興味がなかった。
「夏色のスケッチ」と題された小野田の写真集は、「クリーム」のグラビアをほぼ踏襲する形となったが、期待値よりも低かったのは否めない。七年後に再び中古で手に入れたものの、当時の同年代のグラビアアイドルのイメージビデオに比べて露出が控えめなのは明らかで、三、四回使わせてもらっただけで押入れの収納棚行きとなり、引っ越しの際に処分した。せっかくの写真集なのだから、「お菓子系」の枠からはみ出る衣装や演出を見せてほしかった。
児童ポルノ法施行によって、小野田は「お菓子系」のアイドルで終わってしまった。あとになって知ったが、小野田は少年誌のオーディションにノミネートされるほどメジャー志向だった。しかし、金田美香にグランプリを奪われ、古巣も十八歳以下がNGとなり、活動の場を失ってしまった。ヌードや着エロを目指すほど、モデルの仕事に未練がなかったのだろう。
「クリーム」以外の月刊誌が休刊に追い込まれ、少年誌や週刊誌も十八歳以下のアイドルのグラビアの掲載を控えるか、過度な演出を控えるのを余儀なくされた。金田は受賞翌年に写真集を出しているが、当時十六歳でもワンピースの水着姿が何ページかあった。児童ポルノ法では3号に該当するが、「性欲を興奮させまたは刺激するもの」ではないとみなし、出版社もゴーサインを出したのかもしれないが、僕はしっかり素材として使わせてもらった。
二〇〇〇年代になると、芸能プロダクションが十八歳以下のグラビアアイドルを育成する動きが進み、「お菓子系」は着エロやジュニアアイドルなどニッチな市場で読者を獲得せざるを得なくなる。それが児童ポルノ法改正のきっかけとなり、今や「クリーム」は隔月刊のコスプレイヤー専門誌へと様変わりしている。自分たちが育てた市場が法規制の対象となり、しかもマスメディアにノウハウを真似されてより先鋭化し、自縄自縛に陥っていく中小出版業界の悲哀を感じずにはいられない。
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