今でこそ「国民の愛人」などと性にあけすけなイメージでお茶の間でも広く知られている橋本マナミだが、彼女が橋本愛美として十六歳でデビューした当時は、大手芸能プロダクションに籍を置きながらもマイナー臭漂うB級グラビアアイドルにすぎなかった。僕も橋本にはお世話になったはずだが、当時のエース級だった小倉優子や小向美奈子、磯山さやか、福愛美らに比べると格下的存在だとみなしていた。
本稿を書くにあたり、僕は橋本の写真集を何作品購入したのか調べてみると、デビュー作の「Bun Bun Bum」から三作目の「夏、の、果、実、」まで、旧芸名での作品をすべて所持していたことが分かった。足かけ三年もコンスタントにお世話になっていたわけで、各年の自慰回数は突出していなかったものの、オナペットとみなさざるを得ない。三作目が発表されたのは二〇〇四年七月、石井めぐるの写真集「Be―New―」で狂ったように彼女を汚していた頃で、その合間に橋本でも自慰回数を重ねていたとは意外だ。
写真集を三作品も所持していたのに、〇〇年代前半を振り返るうえですぐ名前が出てこなかったことについて、僕は反省しきりだ。しかし、先に挙げた同年代のグラビアアイドルに比べて記憶がおぼろげなのは、橋本で一日四、五回の固め打ちがなかったからで、自慰集中度の低さが今日まで彼女を素材に用いていたことを忘れさせていた。プロ野球の先発投手にたとえると、ローテーションの谷間のような存在で、中堅オナペットとして地味に僕の性欲を発散させてくれた。
ヤフオク!などで三作品の表紙写真が見られ、僕自身確かに買ったことがあるが、どんな中身だったのかと自ら問うてみても、はっきり思い出せない。一学年上の磯山とデビュー時期がほぼ重なるが、彼女に比べて少女と成人の狭間特有のエロチシズムに欠ける仕上がりで、健康的な水着姿をひたすら見せられるだけでは運動部の夏合宿の一コマのようで、性的な感情移入が削がれてしまう。結局、新作が発売されるたびに性的興味を持つものの、主力級として名を連ねるには力不足で、所詮同時期のオナペットの箸休めにすぎなかった。
また、セクシー路線へと舵を切った三作目はともかく、高校生世代だった頃の橋本の二作品は表情があまりにも大人びていて、ビール会社の販促ポスターのよう佇まいだったことも、僕の性的感情移入に二の足を踏ませた。十代の頃からキャンペーンガールやレースクイーンの風格を漂わせていたことは後の芸能活動に大きく作用したが、僕にとって当時の橋本は年相応の訴求力に欠けていたので、積極的に汚すことを躊躇った。
もっとも、高校生世代の少女と大人のアンバランスを売りにしたグラビアアイドルが人知れず引退していったのとは対照的に、橋本は二十代後半になってから急に注目され、不特定多数の男性諸氏のオナペットとして写真集やイメージビデオを発表し続けている。今や全国区で知られるほどに成り上がったが、僕の中では年齢不相応の表情と体躯にぎこちなさを感じた写真集の印象を今も引きずっている。