床の新しい技が「シライ」と命名された。この技を決めたのは
17歳の高校生。世界も仰天したほどの完璧演技で世界デビューを果たした。
この高校生は世界選手権に日本男子史上最年少で臨んだ神奈川・岸根高2年の
白井健三。床運動で主要な国際大会でだれも成功していないF何度の新技「後方
伸身宙返り4回ひねり」。着地をぴたりと決めた。
16.233点。この得点は、昨年のロンドン五輪の床運動金メダルのスウガイ(中国)
の15.933点を上回る高得点だ。
さらに驚かされたのが出場したもう一つの種目、跳馬だ。これでも新技を成功したのだ。
「後方伸身宙返り3回ひねり」。こちらも14・916点と高い得点だった。
この跳馬でも白井の名前と韓国・金熙勲を合わせ「シライ/キム」と命名されたという。
床運動は1位、跳馬は6位で決勝に進出したが、さらなる高得点をマークするか、
楽しみになってきた。
この白井。両親が体操クラブの指導者、2人の兄も体操をするという“体操一家”で
育った。3歳からトランポリンで遊び始めたらしく、中学3年では全日本種目別選手権の
床運動で2位になり、体操界の注目を集めた。
応援に駆け付けた父親のコメントは「こちらに来てまたうまくなった「-。
親を驚かせる17歳の演技。驚くしかないだろう。
2016年のリオ五輪へのホープとなるか。また20年東京では…
新星の今後を見守りたい。
東京国体が開かれている。開会式を夕方から行うなど
2020東京オリンピックのリハーサルを兼ねているという。
スローガンもこれまでの「〇〇国体」ではなく
「スポーツ祭 東京2013」となっている。
9月28日の開会式で猪瀬知事は「2020年を見越した
開会式」と7年後につなぐ大会と胸を張ったが、
インフラ整備を含めて会場問題など不安はないのだろうか。
強化もいち早く取り組むことも大事。いつまでも開催決定に
浮かれてばかりはいられない。
その東京オリンピックだが、1964年大会はまだ記憶に
新しいところもある。アジアで初めての開催ということもあって
日本中がオリンピックムードいっぱいだった。
20競技が行われ、バレーボールの「東洋の魔女」や
重量挙げの三宅義信らが金メダルに輝いている。
金メダルは合わせて16個。レスリングと体操が5個ずつ、
柔道が3個奪っている。
柔道では神永がヘーシンクに敗れ、天を仰いだシーンが
いまだに脳裏に焼きついている。
実は64年前のオリンピックにも、東京開催がいったんは
決まっていた。1940年大会。36年の国際オリンピック
委員会(IOC)総会でヘルシンキ(フィンランド)を破り、選ばれた>
しかし、日中戦争の拡大で38年に開催を返上した。その後、
ヘルシンキが開催することになったが、結局は第2次世界大戦の
ため40年の大会は中止に追い込まれた。
そういう事情を考えると、スポーツ大会といえども
「平和」の社会であればこそ開催できるのだ。
モスクワは日本を含め西側諸国がボイコットするなど、
戦争、政治にスポーツが翻弄されるのは悲しい限りだ。
2020年は「世界の平和」を象徴するような
素晴らしいオリンピックでありたいものである。
大相撲秋場所は白鵬が4場所連続、27度目の優勝を
千秋楽の前日、14日目で決めた。
歴代優勝回数では1位大鵬の32度にあと5度と迫った。
現役力士では2位の日馬富士(5度)を大きく引き離す。
どこまで記録を伸ばすかは注目だが、千秋楽のインタビューでは
「父がオリンピックでメダルを取っているので、2020年の
東京を楽しみにしている」と話していたが、開会式では
土俵入りを望んでいるのかもしれない。
それはともかく、優勝力士が受け取る「賜杯」には
“なぞ”があるそうだ。
今の賜杯は2つ目のものだそうだが、賜杯の裏に刻まれている
日付はなんと「大正十六年四月二十九日」だという。
大正は15年までしかないのに、なぜ? 文献をみても
理由ははっきりしないらしい。
一説によると、菊の模様をあしらうことに、当時の宮内省などが
難色を示しており、使用許可がおくれるのを見越してつくったら、
日付より大正が早く終わってしまったということのようだ。
それはそれとして、日本相撲協会の親方衆にとっては、
強い誇りと思い入れがあるようだ。
それなら2010年の野球賭博や暴力団観戦問題、
翌11年の八百長問題では、いずれも賜杯を辞退した。
白鵬が10年の名古屋場所では賜杯のない表彰式と
分かっていながら全勝優勝し、悔し涙を流したことがあった。
力士らにとっては、これほど大事な賜杯。続いた不祥事と
きっぱり縁を切り、改革を真剣に進めてもらいたいものだ。
国民に胸の張れる「伝統を誇る大相撲」であってほしい。