雨の記号(rain symbol)

 韓国ドラマ「病院船」から(連載64)







 韓国ドラマ「病院船」から(連載64)






「病院船」第6話➡反発し合う二人⑧




★★★


 ソル・ジェチャンが意識を取り戻した時、彼の目の前にはウンジェの姿がある。
「ここがわかりますか?」
 ソル先生は大きくため息をつく。
「誰が?」
「クァク先生です」
「…」
「今は部屋の外に」
「ああ…ありがとう。助かったよ。腹痛で死にそうだったが、ようやく落ち着いた」
「…」
「だから、そろそろ…」
 ソル先生は身体を起こす。
 ウンジェは気遣いを見せて訊ねる。
「家に戻られるんですか?」
「うん」
「またこれを繰り返しますよ。きちんと治療しないと悪くなっていくばかりです。だから」
「11月に―」ソル先生は言った。「詩集を出すんだ。未完成の詩を早く完成させないと…」
「ソルさん…」
「10年以上も連載してきたんだ。完成させて丁寧に自分の人生を終わらせたい。読者への礼儀だろう」
「…」
「ああ、それに…子供たちと遠足に行くんだ。それも楽しみなんだ」
「6か月です」ウンジェは言った。「詩を書き続け、教壇に立てるのも6か月が限度です」
「…」
「運が悪ければ…」
「3か月」ソル・ジェチャンは頷いた。「残りは3か月。でしょう?」
「…」
「私には十分な時間だよ。手術台の上で死んだら、手に入らない長い時間だ」
 ウンジェはため息をついた。それ以上何も言えなかった。


★★★


 ウンジェは肩を落として廊下へ出てきた。
 椅子に座って待っているヒョンも暗い表情だった。ソル先生の返事は予測できていたのだろう。
 ヒョンは立ち上がった。
「退院するそうよ」
 ウンジェは伝えた。
「”早く帰ろう”と言っておられる。始発の船に乗れば授業ができるみたい」
「…」
「やっぱり、説得はしない?」
 ヒョンは黙っている。
「患者の自尊心は大事だと思う。だけど、それって命より大切なものなの?」




 ヒョンたちはソル先生と一緒に定期船に乗った。
 2人はデッキで進行方向に身体を向けて腰をおろした。
 ソル先生は言った。
「空も海もいつもと同じはずなのに違って見えるな」
「…」
「まったくの別物だ」
「医者の私は、このまま先生と一緒に行けません」
 ジェチャンはヒョンを見た。
「無理にでも手術室に連れて行かないと」
「ヒョンよ」
「諦めず闘うのが医者だし、”死”はいつだって失敗です。人の死は失敗でしかないんです」
「…」
「だから、医者としての僕は、失敗をまだ受け入れたくない。これを失敗とせず最後まで闘うべきだ」
「死は失敗なのか? 誰にでも訪れるものなのになぜ失敗なんだ?」
「…」
「死は人生の結論なんだよ。私はこの結論がいい。そりゃ少し怖いけど、大丈夫さ」
 ジェチャンは頷いて見せる。
「妻を10年もひとりぼっちにさせてる。不器用だから友達も少なくて、寂しい思いをしてるはず…私は妻に会いたい」
 ジェチャンはヒョンを見た。
「ごめんな…そして、ありがとう」
「…」
「お前はその目で、いつもあたたかく私を見守ってくれた。痛みにさえ共感する優しい眼差しに、どれだけ癒されてきたことか」
 ジェチャンはヒョンの手を取った。
「私はこう思うんだ。ヒョンの目は…患者への共感の眼差しは、医者としてお前が施す最高の医術になるだろう、と」
 ヒョンは目を潤ませた。ジェチャンはヒョンの肩に腕を回した。
 2人のやりとりを近くで聞いていたウンジェも目を潤ませた。




 ジェチャンの人生観までは踏み込めない。
 陸に戻ったウンジェは1人で町中を歩いた。
 心にあるのはジェチャンのことだった。たとえ、ジェチャンを執刀しなくても、キム院長が言うように論文を仕上げる機会はいつかまためぐってくるだろう。
 しかし、今のウンジェを落胆させているのは、手術ができず論文の完成が遅れるからではなかった。
 ソル先生の今が助けられなかった母の姿と重なってくるからだった。
 助けられるかもしれなかった母を無視し、死に追いやった自分…。生きるのを諦めて自身の鋳型で人生を締めくくろうとしているソル先生。求められながら自分が拒んだ母。手を差し伸べようとしても拒むソル先生。自身の心の変容と関係なく、この2人とウンジェの間にはまぎれもなく交わることのない平行線が生じている。
 ウンジェはそれがもどかしくてならないのだった。


 ウンジェは書店の前でふと足を止めた。
 ソル・ジェチャンが高名な詩人なのはずっと前に知った。だが、先生の作品に触れる機会は持たなかった。
 ウンジェは作品を見てみようと思い、店内に入った。
 詩集を購入し、歩きながらソル先生の詩を読み始める。寮に帰りつく頃にはすでに没頭していた。庭のテーブルに詩集の束を持ち出して読み耽った。






日が沈むと私は
木に向かって歩く


日が沈むと私は
川に向かって歩く


日が沈むと私は
山に向かって歩く


日が沈む度に
木と川と山に向かうことは
美しいことだ


日が沈む時
いとしい人を思いながら
山の影のように
歩み寄れることほど
この世で美しいことはない

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