Blog ©ヒナ ─半径5メートルの毎日から見渡す世界

ラテンアメリカでの日々(1999〜)、さいたま市(2014〜北浦和:2021〜緑区)での日記を書いています。

ガキの使いやなくなった。。。

2022年07月14日 | ラテンアメリカ関連のコアな社会

①円安になる

②こないだ年始のMEX31万でたいがいだとおもってたのが41万になっている

③BBCやらCNNがポストコロナとかいいはじめ、EEUUやEUなど軒並み物価指数上がるなか、コア指数だけはまっとうに地を這う日本を見て円の上がる気配すらなくなる

④もうこのまま次ぎに海外など出られなくなるのではないかと、泣く泣く航空券を買う

⑤加えて自公が圧勝する

⑥すでに41万が44万になっていることを確認し、やはり正解だったと思う

⑦ただ、米ドルは金利をタイミング遅くあげたのでバックラッシちゅうだと判断し、とにかくも今回調査に必要なだけのペソを米ドル介さずに換金済ませる

⑧すべてうまくいっていることにイヤな予感がしはじめる

⑨再びコロナが賑やかになりはじめる

⑩MEX、7月11日の、一日の感染者数が6万人と知る

⑪前期最終回は総括なので、ほぼほぼ前期の準備を先ほど終える

⑫MEXの気分になり、入国条件を確認する。やはり何も要らないことに安堵するも束の間

⑬「これではまた帰国できないではないか」とだんだん心のモヤの形が見えはじめる

⑭そんなこと知らない時に買ったのだから、当然後期初回のギリまで帰路の日付を入れていることに気付く

⑮後期から対面になると言われている授業はこのまま状況ホールドならオンラインのままだからいいとしても、

⑯後期開始の対面ゼミ形式はさすがに初回にメヒコから「はいこんにちわ」というわけにもいかないので

⑰結局は何万も出して帰国日を早めるどころか調査も下手すりゃ二週間も早まるのならもうなんもできひんやないかと

⑱いま考えたところで結局はまた同じくして、もう出たとこ勝負でやらんとしゃーないという一択なので

⑲いまからインスリン打ってベッドに潜ることにする


グァテマラはサン・ペドロ・ラ・ラグーナ村の先住民素朴画「コーヒーの摘み取り」

2021年08月14日 | ラテンアメリカ関連のコアな社会

 ナカタがまだ駆け出しだった頃。

 とてもよくしてくださり、いろいろ教えて頂いた方です。

 「投壜通信」という喩えがあって、これを思い出して検索してみたら、こんな記事を毎日に書かれていたようです。かれこれ20年も経ちますから、わたしの印象はもっと若かったのですが。あたりまえですね。

──「投壜(とうびん)通信」は、難破船に乗った人が沈没を前に家族や恋人へ宛てて手紙を書き、ビンに詰めて海に投じる行為を指す。ドイツ語で書いたユダヤ人詩人、パウル・ツェランは講演で、詩の本質を「いつの日にかはどこかの岸辺に流れつく」ものとして、この言葉を使って表現したという。

「著者のことば 細見和之さん 災厄のただ中で書く」『毎日新聞』2018年6月26日

 ドイツ思想の専門家で、講談社からの「現代思想の冒険者たち」シリーズで『アドルノ』を書かれていました。たしかにこのシリーズも、よくある難しい思想家をわかりやすく解読するのが多いなか、これはご自身の文章として物語っておられ、たんなる難解な思想家を「知ったかぶりができるための本」ではない、凄い読み応えがある、とても勉強させてもらった本でした。いまでもわたしの本棚に並んでいます。

 わたしは、ということで、とりわけこのドイツはフランクフルト学派の、アドルノはじめ究極的にはヴァルター・ベンヤミンという人の影響を決定的に受けているのですが、絵や歌にもよくこのことが起こります。

 この細見さんの著書でいえば、「ドナドナ」という歌をご存じの方は多いと思いますが、あの少しもの悲しげな曲での「ドナドナ」は、連れ去られていく子牛の泣き声として歌われているものの、じつは強制収容所に連行されるユダヤ人たちの「おお神よ」というフレーズだそうで。

 自分の普通に暮らしている毎日半径五メートルでも、いろいろ注意深く眺めてみれば、いろいろな歴史や世界と出会っているはずだという、わたしにとってとても貴重な教えを頂きました。

 

 僭越ならがわたしの経験で言えば、ずっと暮らしていたグァテマラのマヤ系先住民村落、サン・ペドロ・ラ・ラグーナ村から何気なく買って帰国していた一枚の絵もそれでした。この絵にあることをみつけたのが、15年かけてつくった拙著のはじまりでした。

 そして、このグァテマラ先住民の絵は、最近知ったのですが、どうやら岐阜県にある自家焙煎のコーヒー豆販売店にも一枚「投壜通信」として流れ着いていたみたいで、しかもその「壜」には、わたしの本までどうやら入っていたみたいです。

 モノ書きやってると、こういうことがあるからやめられないんですよね。

 

 いまは岩手県の「奥中山」という戦後開拓地を舞台にして本を書いています。今度は、コーヒーじゃなくて、大豆です。

 最近、オリンピックで世間が騒いでいましたが、ひとつ前のオリンピックの時、盛り上がる横浜の喧噪を横目に、横浜港から南米アルゼンチンへと向かう舟に乗った人たちが、密かに懐に隠し持っていた一袋の大豆です。

 岩手県は盛岡市から車で国道四号線を一時間ほど北上した山間に、ポッツリと「奥中山」ってところがあるんですが、岩手の人だって知ってはいても多分行ったことないんじゃないでしょうか。
 何の変哲もない山奥に潜む集落です。

 ここで戦後はじまった大豆栽培をたどっていって、南米はパラグアイの「岩手村」というところが後半の舞台です。

 主人公は、戸籍はおろか墓跡だってわからないような、戦後この誰も知らない集落から南米のこれまた日本ではほとんど馴染みのないパラグアイという国へと移住していった人たちです。

 それだけに2013年に、都内の某出版社から「一年くらいで書いてもらえれば」と頂いたオファーなんですが、あまりにもチンタラしていて、もはやお詫びのしようもありません。

 でも頑張って今年(度)中には初稿を書き上げようと思っています。

 少しは皆さんの興味を惹けたらいいな。

 

先住民の素朴画のお話しは、この店主さんがブログで書かれておられて、そちらにリスペクトを込めてリンクを貼っておきました。

 

自家焙煎珈琲販売店「まめ蔵」──「店主のブログ」、「『コーヒーの摘み取り』の絵」2021年8月6日より


「何だろな」と思ってしまう「草の根」からの国際交流

2021年08月01日 | ラテンアメリカ関連のコアな社会

 ナカタは28歳になる1999年2月23日、生まれて初めて手にしたパスポートと飛行機の航空券を握りしめてコスタリカに行った。

 目的は約一年をかけてラテンアメリカを南下すること。

 1999年12月31日のカウントダウンを、アメリカ大陸の果て、アルゼンチンは最南端のウシュアイア(Usuaia)で迎えようということだった。

 これは、大好きな王家衛監督の映画『Happy Together(邦訳:ブエノスアイレス)』に触発されたんであって、だから1997年に他界した母親を見送ってから、自分はどこに向かおうかということをじっくり考えてみようと思ってた。

 とはいえ、旅はすすまず、なぜか北進。

 グァテマラはサン・ペドロ・ラ・ラグーナという先住民の村で沈没。いまだなおもって、グァテマラとかメヒコをウロチョロウロチョロしている。

 

 さて、同じ場所でかくもダラダラしていると、幾度となく「ヒデキぃ。いっぺん日本の料理を作ってくれやぁ」などと頼まれる。だいたいいわれるのは「スシ」だ。でもこれは絶対受けたらダメ。大間違い。

 第一、材料が揃わない。ネタのことを言ってるのではない。シャリだ。おおよそ、アメリカ大陸とかヨーロッパとかはインディカ米だ。んなモンで「握り」ができるはずもない。

 あと米酢もあるか? ちゃんとふっくら炊けるか? ガリは? 「アガリ」は?

 

 そういや、(グァテにもあるが)メヒコで「ジャパレス」といえば「Suhi Itto」という寿司のチェーン店があるが、グァテマラ・シティ支店に行った時には、メニューに「アガリ」がなかった。みんなコカ・コーラで寿司食べてた。ちなみにメキシコがそもそもの発祥なんだが、まちがってもメヒコで日本食が食いたいからと「Sushi Itto」なんぞに行こうとは思わない。ちょっとマッダーム観光地でもあるソナ・ロッサなら、もう何十年も前からかの「東京*」があるし、インスルヘンテ通りのウンディード公園(Parque Hundido: メッチャ静かなエリアだからマズ危なくない)には(メトロバスの駅からもう見えてる)「Daruma」(ここはフッツーの日本にもあるちゃんとした、「メヒコだから(しょうがない)」などという納得のリクツなど欠片も必要ない、先斗町の裏路地とかにあっても全然違和感のない高級日本食屋)があるし。CDMXなら「コロニア・ローマ」の近くの「Mikasa」**に行きゃぁ、餃子の皮から巻き寿司の簀巻きまで普通に売ってる。ふつーに日本のスーパーだ。

*ご飯に味噌汁、小鉢に、刺身と天ぷらの、ふつーに日本での美味しい定食屋の定食、2000円くらいしそうなヤツが、もっと安くで食べられる。ふっつーにメキシコ人で日本食が好きな学生とかでも食べに行ったりする。二人で食べに行って、どれ食べても日本でも食べログ★4の「だしまき」やら焼き鳥やら刺身やらたらふく食って、ワイン二本くらい空けて、気絶しそうに上手いメヒコのビール「ボヘミア」ノミホして、明日の朝食にと巻き寿司セットを持ち帰っても5千円(くらい?──いつもベロベロなるんで覚えてない。でも絶頂幸せな思いしかしない)、というナカタの鉄板の(いつものホテルから──それは書籍二も鳴った日本人バックパッカー宿「ペンション・アミーゴ」のすぐ近く──タクっても300円くらい)お店。

**ここの社長さんにはお世話になりました。半生についてインタビューさせてもらったのですが、ずっと昔、そこそこ自分の店がデカくなって軌道に乗った頃の回想場面で、「週末挟んで、で、翌月曜日に店に行ったら、強盗に入られてましてね。店の中、なーんにもないんですよ。なーんにも。ただの空き部屋。いやぁ、まいったなぁ」、と。ナカタはこの10年くらい、折を見てはラ米に移住された日系人の方々にお話を伺おうと、パラグアイやらメヒコやらペルーやらをウロチョロウロチョロするのだが、移民たちの経験での「いやぁ、参ったなぁ」は、桁が違う。

 

 だから間違っても日本の観光大使ヨロシク、チョカって寿司なんぞ作ろうとしないように。いまならメキシコシティ、顔面にタトゥー入れて舌にピアス入れたオネーチャンが、その辺の道ばたの露店で巻き寿司くらい売ってんぞ。でもそれ、「伝統的(Tradicional)」「クラシック(Clasico)」とかいったメニューでない限り、まずチーズは入ってるし、すくなからずは海苔のポジションに「あ、コレ、海苔じゃなくってサーモンなんだね」と思いきや、それ、マンゴーだったりするのだが。よく売れてる。

 ちなみに、メキシコ料理といえば辛いとは誰でも想像できるし、メキシコ人は辛いものは得意だと思うだろうが、これもモノによる。唐辛子系の辛いのは偏見を通り越すほど平気で食べるが、ワサビ系の鼻にくる辛さは免疫ゼロに近い。だからなまじっかその辺の屋台で寿司をお持ち帰りする際には、「日本人だから」というリクツを前面に押し出して(「WASABI、ムチョムチョムチョMucho」などと連呼すればいい)、お猪口山盛りくらいもらっておきたい。それでも日本のスーパーの刺身に付いてる小袋1個分くらいだ。

 

 ということで、食べ物を通じて国際異文化交流、ということになっても、お寿司はベンチスタート。

 だからといって、なまじっか言葉ができてより日本の日常を知ってもらいたい、日本でも日常的に食されている和食を伝えたい、などとイッチョまえにイキがって「肉ジャガ」とかを四番に据えるのも大間違い。まずもって海外でジャガイモは、ほぼほぼ「メークイン」だ。「男爵」じゃないんよね。だから煮込んで「ホクホク」とはならない。

 でももっと理由があって、ヒントは「だから梅と紫蘇が手に入ったから梅紫蘇ツナパスタとかいったアイデアもまちがい」。

 理由は「水」。

 ナカタは渡米したらいつも、最初の数日はおなかを壊す。ちゃんとミネ水買ってもね。

 「硬度」が違うんよ。日本はとても軟水。だからとどのつまり、日本から極上の玉露とか買っていって、「急須をマズ温めて」とか付け焼き刃で「お茶の正しい入れ方」とかググって行ったところで、あの一口飲んで「ほっこり」、ということにはならない。そういや、正月にメヒコに行った時、シティのガチの富裕層マダム数人が集まっての、ガチの日本での「裏千家」だったかのお茶会に突如参加させてもらったことがあって、こういった点をどのように対処しているのか、じっくり観察しようと思ってたんだけど、とてもじゃないが、その「初釜」がガチすぎて、それどころじゃなかったのを思い出した。

 教養があまりにもなくて、すみません。

 ということで「ザ・日本の家庭料理」たる肉ジャガも、見逃し三振間違いなし。だいたい、「醤油・酒・みりん」ベースの料理なんて、ずっとそれを人生で食し続けて体に染みついているから末端神経にまで電気が走るのであって、日本食文化の味噌に等しい位置に君臨する「Salsa Lizano」が体に染みついたコスタリカ人や、「Salsa Valentina」がリンパ液に混じっているメキシコ人に、いきなり「ぶり大根」や「牛すじの土手焼き」を振る舞ってもバズるはずがない。

 

 さらに、メキシコシティやグァテマラのアンティグア、コスタリカのサンホセ、いわんやエクアドルのキトや、究極ボリビアのラ・パスでは、あとひとつ、料理の際には顧慮に入れるべき決定的に重要な点がある。

 気圧だ。

 

 しょっちゅう「最近見ないなと思ったらラ米のどっかにいる」ナカタは、よく「南米って暑いんでしょ?」とよく聞かれる。ある意味、ドストライクの愚問だ。

 まずナカタが高確率でいるのは、南米ではない。中米かメヒコだ*。

*よく「中米とメヒコ」と表記すると、グァテマラとかホンジュラスとかの関係者からは、「なぜメヒコだけメヒコと書いてわれわれは国名で書かないのか」と叱られ、「(南米ではなく)中米」と一括りにすると「メヒコはデカいので中米ではない」とまた叱られる。この手の批判には胸が焼けそうだが、どのみちどっちも「旧ヌエバ・エスパーニャ副王領」で一括りなのだし、でも独立した時は現在の中米は「中米連邦」を夢見て独立したでしょ、といいたい。だからナカタは(同じ中米に地理的には含まれそうだが)「旧ヌエバ・グラナダ副王領」であったパナマを中米に含めたことは一度もない。これは、「喩え亜細亜人であってもナカタの方が歴史をよく知っている」ということではなく、現在でも少し観察すれば解ることである。例えば、パナマシティからグァテマラシティまでパンナムを乗り入れて走るコスタリカ系資本の国際バス「チカバス(Ticaは、コスタリカ人のニックネーム。グァテマラ人が「チャピン」と呼ばれるのと一緒)」のボディの文句をみればいい。「(チカバスで)中米とパナマを知ってください(Conozcamos Centroamérica y Panamá)」とこの何十年も書いてある。

 そんな緯度の低い、夏には太陽が「北中」するような地球上に位置しておいて、首都をクソ暑い海岸沿いに誰が好き好んで作るんだ。ニカラグアの首都マナグアはわかる。この国はなんせ平べったいから。でもたいていは、ホンジュラス首都テグシガルパしかり、エルサルバドル首都サンサルバドル(ちょっと暑いけど)、メヒコはバヒオ地区のグアダラハラとかグァナファトしかり。いずれも標高は2000メートル前後で、しかも、しかも、乾燥気候である。

 一度、エアコンを調整して部屋を温度25度、湿度50%くらいにしてみたらいい。あらまぁ快適。街のぜーんぶ全部がこれである。一日外をウロついても、顔がオイリーになることなんぞない。「パタリロ王国」だ。

 

 ナカタが先述の、観光化激しいグァテマラ先住民村落サン・ペドロ・ラ・ラグーナ村にいたころ、「食事作るのに二時間・食べるのに二時間・食後にエスプレッソを飲みながら談笑するのに二時間」という、はてしないイタリア人二人と一緒に暮らしていたが(Extra Virgenのオリーブオイルが村では手に入らないと、往復10時間のバスに揺られて首都まで買いに行った)、毎晩毎晩、パスタを食わされ、しかも── II:「この茹で方は納得いかない」「明日はちゃんと作ってみせる」/(ナカタ)「明日もパスタか」:II ──というのも同じリクツによるもので、お湯が100度で沸騰しないんだから、そりゃパスタもアルデンテにはならん。

 こういう標高の高いラ米の地域では、少し小金を持った家庭には面白い圧力鍋がある。圧力鍋なんだけど、「一気圧」のダイヤルがある。毎晩やっぱり白米を食べる、という日本人海外赴任世帯なんぞは、よくこれを持ってる。カリフォルニア米なら「アラ!粒が立ってて光ってる♬」し、パスタも天井に投げつけたら数秒くっついたらちゃんと落っこちてくる。

 

 文章表現能力が著しく劣っていて、すみません。以上、これほど長々と理由を述べて、やっと結論。

 では、海外(少なくともラ米。おそらくはインディカ米圏なら)で、食べ物を作って草の根の国際交流をするんやったら。

 

 正解はカレー。

 

 間違ってもチョカって、香辛料から炒って、なんぞ発想しないように。「ばーもんどかれー」とかを買っていけばよかと。あるいはその辺に日本食材店はないとしても韓国食材店ならあるだろうから*、2割くらい高くつくけど買ってくればいい。

*これ、なんででしょうか。別に国別で人を規定するつもりはないんですが、およそ経験した限りにおいては、日本人はラ米に海外赴任となると、基本、食べ物然り日本で居たようにはならないとすぐに諦めるんだけど、韓国の人たちって、生活圏そのまま持っていこうとするのはなんでだろう。今でこそネットがどこでも飛んでるけど、ナカタがグァテで暮らしている時なんか、韓国食材店のレジの後ろには、ずらーっとVHSのテープがTSUTAYAヨロシクずらっと並んでいて。「冬のソナタ」とかの連ドラで。「こんなとこまできたんやから、連ドラくらい諦めろよ」と思ってました。

 考えてみよう。カレーならインディカ米でも逆に相性は抜群。もっと強力に説明するならば、世界中どこ見渡しても、たぶん主食たる炭水化物系に、何がしらかの香辛料を調合した煮込みをブッかける料理はあるはずだ。ならば、世界の数多くの食文化において、カレーは受け入れる素地があるということになる。

 ここで日本の技術をアピールすればいい。ハウスであれエスビーであれ。ヘンに「銀座の」とか「洋食屋さんの」とかやらんでいい。ベタに「こくまろ」とか「ゴールデンカレー」とかでいい。でもって、玉ねぎ人参ジャガイモは世界中で手に入るだろう。日本製のルウは凄いって。料理しない人だって作れるし。

 

 さて、と。もとい。今日はよく脱線する。

 かくも長い前置きを経て、ようやく今日の本題。

 いっちゃん疑問に思うのは、「旅先で出会った人に日本の文化を伝えたい」との思惑からか、わざわざバックパックに折り紙を携行しておいて、待ち望んだ場面──田舎の村のちっちゃな子どもと触れあったとか──になったというのに、「鶴」なんぞを折ってる。この意味がわからん。

 まずもってして自分ちに、折った鶴、ある? だいたい折り鶴あげるとき、日本ではどういう場面で折ってあげるのか、説明してるんだろうか。その一連の行為に間違っても「祝福」の含意はない。

 さらに、もらって何に使うのか。異邦人がせっかく残してくれたんだから処分するわけにもいかんし。かといって、あれ、チョロっと教えてもらっただけで、あとあと自分で折れるようになれる? 途中になんかイッカイあったやろ。なんかアクロバティックな折り方する工程。あそこ、難なくクリアーできるようになるのって、小学校何年くらいからだ?

 折り紙もって行って作るんやったら、せめて「箱」にしようや。あれなら何回かやったら覚えられるし、別にミスコピーでもいいし、何よりも用途がある。何人かでピスタチオであれピーナッツであれ、ツマみながら飲んでいても、ちょこっとそのへんの紙で箱を作ったら、それはそれはウケて仕方がない。翌日には子ども部屋は整理されてるし、台所の三角コーナーは入れ替わってる。

 ついでにいえば、もっていくのは折り紙じゃない方がいい。できれば新聞の折り込み広告。最近は紙媒体で新聞なんてないだろうから、日本語の書かれたミスコピーでも喜ばれる。くれぐれも海外で、炒らなくなった日本語の雑誌とか旅行ガイドブックとかツアー旅行のパンフとかは捨てないように。

 よく外国人が、誰に教えてもらったのかわからん間違った漢字をタトゥーとかにしてるでしょ。

 ウケるんよ。日本語って。

 機内食のゴミでも、箱折ってそれにちゃんといれてCAの回収を待ってみろ。その前に隣の外国人が教えてくれと言ってくる。

 

結語:国際交流とか意識高い系の概念を措定するとロクなことはない。

 

 


この発明はエグい!

2021年06月28日 | ラテンアメリカ関連のコアな社会

 グァテマラは世界遺産のアンティグア市にて、(コロナ禍で観光客が激減して今は多国籍化しているらしいが)日本人宿「ペンション田代」を経営されている田代さんのFBへの投稿から。

 

・・・グァテマラに限ったことではないが、トゥクトゥクはもう供給過剰パンパンの状態なんですが。

 

これはエグい。

だがよく考えると、これ、少しくらい前に傾けないと、ちょっとしたアゲインストで屋根・・・

吹っ飛ぶんとちゃう?

ここは、日本企業の出番だろう。

エアロとか作ってみたら?

 


こういう記事は堅くて嫌ですか?

2020年07月31日 | ラテンアメリカ関連のコアな社会

 ちゃんとしたモノも少しは書けるんですよ・・・

 ということで。ちゃんと構想考えて成り行きまかせで一筆が期したモノじゃないものを。

 掲載箇所は出版社「有志舎」のホームページ上に記載されている『別冊 Cross Roads』

 若干の文章を整えて追加情報を足して、「メキシコシティ郊外の居住区を生き抜く者たちに増殖するマルクスの文化資本」と題して、『社会学論叢』日本大学社会学会、No. 198、79−100頁、に載せた。

 これがつまんなく映るなら、多分、ナカタがここにいくらこの先いろいろとマジメな文章を書いても、つまんないとしか思われないと。

 少しは響いて貰えたらと思う。