Blog ©ヒナ ─半径5メートルの毎日から見渡す世界

ラテンアメリカでの日々(1999〜)、さいたま市(2014〜北浦和:2021〜緑区)での日記を書いています。

ネコのいる盛岡の立ち飲み屋(この時はまだ「そばっち」現役)

2021年08月24日 | 「岩手の方、届いてますかぁ〜」
これを七年前に投稿したとなると、次なる本は岩手は奥中山戦後開拓地が舞台だなと決めて7年が経ってしまったということで。
 マジで書いて捨ててる文章は多分原稿用紙1500枚くらいはあるんですがね。
 ボクはシャーロッキアンなので、長編は自ずと二部構成になるんですよね。
 前著もそう。
 今度も、前半が奥中山戦後開拓史で、後半が戦後に日系移民がつくったパラグアイの「岩手村」なんですが。
 でもってパラグアイのことを調べてたら、パラグアイは先住民は数パーセントしかいないのに、国民の9割以上が、グアラニー語とスペ語の両方を喋ってて。もちろん公用語は両言語とされてるのだけど。だからって「あぁ、多言語多文化社会なんだ」なんて思い込むほどには、ナカタはナイーヴではないんで)
 例えばストロエスネル独裁政権下では、小学校も4年生からはスペ語の話者になって「優秀な」国民になることが是とされてたりして。
 案の定、2017年に行ってみたら、田舎の農村の女性ほどグアラニー語だし。
 だったらほぼほぼパラグアイの民衆って、グァテマラでいうところの「ラディーノ」。ペルーでいうところの「チョロ」。
 なら、北から順に言っても、メヒコ、グァテマラ、エルサルバドル、ニカラグア、コロンビア北部、ペルー、ボリビア、そしてこのパラグアイと、なんだかいろいろ内戦とか革命やってきた国って、「褐色の世界史 Darker Nation」で民族解放頑張ったんって「白(スペイン人)」と「赤(先住民)」のピンクなんですよね。(チリは知らない。ここはあまりにも細長いし、たしか植民期も副王領って別個だったような)
すると「なんでラ米って(連れてこられた黒人は別として)スペイン人と先住民との「褐色darker」なのにEZLN以外の民族解放戦線は、たぶんぜんぶ「国家」を枠組みにしてるの?」などと考えはじめ。
で、「第三世界」とか言ってカストロとかゲバラとかいうのと一緒にアジェンデもくくって、ついでに(なんか捻れに捻れた保護目線の先住民主義indigenismoがいつのまにやらくっついていた)「グァテマラ革命」まで引き合いに出して。
 アフリカの民族独立はファノンだすまでもなく人種に関係あるし。
 ラ米は全部スペ語だし。
 で、決定的なのはEZLN以外は、ラ米の民族解放戦線って、「民族」は先住民じゃないだろう。メヒコだってサパタの時は違っただろ。ニカラグア革命とかも。
ということで、「ラ米ってどのような「第三世界」だったんだろう」(「どのように」というスタティックな属性がどれほどどれだけ備わっているかという測り方ではなく、どのような動態でどのような効果を及ぼしての「第三世界」の歴史的経験をしたのだろうか」)などと考えはじめ。
結局それでひとつ文章を纏めてみようとしたモノのすでにこのスピンオフ自体が昨日で8万字とカウントでてるし。
あぁ。
仕事がおっせー自分がマジでやんなる。
😢
 写真は、岩手盛岡の魚町から少し逆に行ったところにある、いまだに男性用の「小」の「朝顔便器」が屋外の、店を出た隣の駐車場側の壁にポツンと設置されているという、座れる立ち飲み屋。
 おばちゃんに頼んだら、冷奴四分の一くらいにチョコっとおろし生姜と葱をかけて、ほぼ原価。
 お酒は勝手に冷蔵庫を空けてオバちゃんに申告。
 ネコもいるし。
 絶対に100ある!と思って探したら案の定あったのが、
 吉田類のサイン。