Blog ©ヒナ ─半径5メートルの毎日から見渡す世界

ラテンアメリカでの日々(1999〜)、さいたま市(2014〜北浦和:2021〜緑区)での日記を書いています。

昭和版、「うっさかったわ。オカン」

2021年10月24日 | さいたま市(緑区)を満喫する
「うっせぇわ」
 
ランキング。
 
第3位:「こんなん、こんな汚れたん、アンタ、アンタが使うときこんなんやったらどうや?」
→「そらイヤや」以外どーいえっちゅーねん。
 
第2位:「なんやほんならアンタ、コレ勝手に歩いてここまで来たっちゅーんか?」
→ドラえもんが現実でないことくらいはしってる。
 
第1位:「ほんならなんや、あんた死ねゆわれたら死ぬっちゅーんか?」
→それとこれとはレベルが違う。
 
三カ月前に引き受けた16000字。まだ手つかず。
 
締め切りまであと一週間。
 
まじでやばい。
 
😀
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注文の多いピザ屋さん

2021年10月06日 | さいたま市(緑区)を満喫する
なんとじつは、
 
私がコンテンツとは似てるところなんぞひとつもなく、教養がなくて読んでないだけ(中一の時の現国の取りあげるテキストがこの話だっただけ)で、勝手に「注文が多いピザ屋さん」と寂しくポツンと建っているだけで一人名付けていた店が、とてもあちこちで取りあげられていたことに気付く。
 
ここは、
「ナカタもちょっとしたローカル雑誌の取材素材着眼力と写真撮影技術を備えているものだ」とポジティヴに捉えておきたい。
 
こんな記事を発見。
 
 
また、
 
さっき、わたしのスマホの「ローカルニュース」でもトップに。
 
・・・以前わたしもここで触れていたのではなかったっけ?
 
こんなところです。いくつか載せてた写真を再掲しておきます。
 
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なんで瓜が落ちてんだ?

2021年09月30日 | さいたま市(緑区)を満喫する

近所をいつものチャリでブッ飛ばしてたら、こんなものを見つけました。

 

「!」

 

「?」

 

「あれっ。」

 

「落ちてんの、瓜じゃねーんか?!」

 

といったところでしょうか。

瓜をじっと見ていたら、手前の石像でしょうか。コイツも同じ理由で瓜を見ているのかと。

 

やっとうまい感じの写真を見つけました。

 

こんな感じでしょうか。

かろうじて月末締め、間に合いました。

自転車操業です。

😀

 

「猫振り返る」、ブログ『今日のさとる。』、28号(http://satoru-press.com/?p=9514、2021/09/30閲覧)より

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渋滞していたので秋は一気に目白押しです

2021年09月18日 | さいたま市(緑区)を満喫する

 日曜日ですね。

 秋ですし。

 でも今年は、梅の開花から桜の散りからアジサイやら。

 ミンミン蝉とツクツクボーシとヒグラシは、わたしの家の周りでは一日三交代でフルシフト稼働です。

 しかも営業時短のせいか、9時5時ではいろんな人たちが仕事を済ませておこうとシフト関係なしで働くときもあります。

 朝からヒグラシが早出したり。

 シフト上がりなのにまだミンミン蝉が働いてたり。

 

 とまれ今日は日曜日。しかも雨。

 蜘蛛の村人でもオニグモ家は、あいかわらずシフト厳守。

 

でも、「雨が降ったらお休みで」でお馴染みのカメハメハ大王です。

 

 先ほど雨があがりましたが、どうされます?

 あ、日曜日ですか。いずれにせよ今日はお休み、ということらしいです。

😀

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親友の正体

2021年09月08日 | さいたま市(緑区)を満喫する

 先だっての蜘蛛の話の続きです。

 在宅ワークで、しかも仕事上来週まで夏休みなので、相変わらず友人はこの蜘蛛だけです。

 前回ナカタがここに投稿したときには、てっきり蛾が巣に思いっきり「プール飛び込みの腹打ち」のようにダイヴしてきたのだが、梱包したところで固まって死んだのかなと思っていたのですが、

 全然ご健在で。

 翌晩もこのコロナ禍だというのに午後10時くらいには「出勤」されてました。

 ですが、どうやら本屋でいうところの棚卸しでしょうか。開店はしていません。

 というのも、でっかい蛾を10分ほどで梱包した場所から、それをあと1メートルくらい上の所まで運んでおられました。

 何がしたいのか。そのさらに目立つところにわざわざ運んだ理由は何なのか。まったくわからず、その夜はもう諦めました。

 でも翌朝にはちゃっかり、鳥の視角になっている定位置に帰宅しておられます。

 空中には、梱包した「保存食」は置きっぱなしです。

 かなり謎です。

 じつはいま、8月末日提出の原稿に全力投球せねばならない状況なのですが、

 気になって仕方がありません。

 まずは「蜘蛛 種類」で画像検索をかけると、ドンピシャとはいきませんが、どうやら「オニグモ」という名前だと思います。

 生息範囲とか、巣の特徴とか、生態季節とか。

 あと基本夜勤シフトだというのは決定的かと思います。

 そしてエゲツないくらい恥ずかしいことを正直に告白しますと、

 わたしは50年生きてきて、蜘蛛は卵を産むのだということを初めて知りました。

 「蜘蛛の子を散らしたような」という表現は知っていましたが、昆虫ではないというのも小学生の頃に習った覚えがあるので、その辺はあやふやだったことが一気に解決しました。

 もしそれが写真に収められたら。

 いま、「見沼写真コンクール」なるものが開催されています。

 もちろん、こんな「将棋の駒の動き方を覚えたばかり」のトーシローが、数多のアマ・プロ写真家に混ざろうとすることそのものから勘違いなのは重々承知しています。

 「10年くらい頑張ったらせめて佳作くらいに選ばれないかな」くらいしか思っていませんが、とにかくもこういうことを意識して一生懸命勉強することが大切だと思って少しずつやってます。

 毎日、「これまでのベスト一枚」をデスクトップの背景にしたりして。

 現行はやはりこれです。

 ですが、さいたま市見沼とは何の関係もないので、これでトライはしません。

 繰り返しますが、入選するためにふさわしくないというのが理由ではないです。

 募集されたテーマに即したブツを提出することが大切だと思っているからです。

 よくいるんですよね。あるテーマで原稿を依頼したのに、全然自分勝手に好きな球種を投げてくる投手が。

 「アナタにこの7回を託したのは、イッパツ(HR)だけは回避してくれ」というベンチの意図を完全無視して、渾身のストレートをインハイに投げたりする投手です。

 何事も、求められた、白羽の意図を立てて頂いた意図に沿ったうえでのベストを尽くすことは大切だとおもいます。

 

 さて。

 WIKIによりますと、この人が「オニグモ」であったとするならば、

 ──成体が見られる時期は6-10月[10]。産卵は8月から9月末にかけてで、樹幹や軒下などに「汚れたような」卵嚢を貼り付ける[11]。(Wiki「オニグモ」)

 こんな生態をまともに相手していたら、何回日が暮れるかわかりません。

 ですが今日、見に行ったら、なんと。

 

 その梱包物を「店」から「自宅」まで持ち帰り、しかも本人は姿を消してしまいました。

 この写真、右隣に見えますか?

 なにやら、アゲハチョウのサナギみたいなのがひっついています。

──秋に孵化し卵嚢内で幼生越冬、さらに10mm程度の幼体や亜成体、まれに成体でも越冬する[12]。(Wiki「オニグモ」)

 

 「越冬する」との情報、雑すぎません?

 いつの話だ。

 

 とにかくも、あんまり興味津々で付き合うこと自体が見直されるべきであって、わたしもちょっとマジで仕事に戻ります。

 基本、こういうことはスルーすべきだとWIKIにも書いてありました。

「もちろん益虫ではあるが、喜ばれることは少ない。」(Wikipedia「オニグモ」

 

😀

 

 

 

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閲覧注意:蜘蛛が嫌いな人はみないでください

2021年09月07日 | さいたま市(緑区)を満喫する

 わたしは、蜘蛛はウザい虫を食べてくれるので有り難く思い、

 加えて、ちっちゃいあのピョコピョコ跳ねるヤツはカワユイなぁと思うくらいですが、

 わたしの「G」のように、生理的にマズい人はみないでください。

 わたしですら、最後にはちょっと背筋が凍るような展開になりました。

 「ナカタ、引き籠もってとうとう蜘蛛しか友達がいなくなった」と言われるくらい、この数日は寝るのを惜しんで蜘蛛を観察しておりまして。

 とりわけ玄関から降りていく階段のうえに巣を張って「夜勤」されている、灰色で背中に白いアクセントをあしらったオサレなおっきな蜘蛛がベストフレンドです。

 昼間は、影にひっそり潜んでいます。これ何という蜘蛛でしょうか。ググっても出てきません。

 この「マブダチ」。

 3日ほど前に、前から興味のあったカメラの世界を垣間見たナカタに、いろんなことを教えてくれます。

 どうやったら暗い夜に、この見事な幾何学模様の巣の美しさを捉えればいいのか。

 カメラも資料撮影用が目的なので、コンデジに毛の生えたようなPanasocic GF10の25mm単焦点です。

 「とにかく50mmの単焦点レンズで何万枚か失敗しろ。アタマを死ぬほど使え。写真に何の情報も過剰ではなく不足もしていない画角を、まずは自分が動きまくって撮れ」

 というMacintoshとカメラにおいては元いた研究室で無双だった同僚の教えをアタマに、いろいろ失敗しまくってます。

 そんなこの彼だか彼女だか。

 昨夜も夜中に一人、誰もいない農園地帯で「もちっとこっち向いてくれんかなぁ」とか「よく見るとナカナカにその背中の白いアクセント、イケてるねぇ」とか不審者丸出しで失礼なほどシャッターを切っていたのですが、

ちょっと一昨夜からもっと手近なところで一軒家を建てられた別の蜘蛛に気を移しておりました。

 

 

 その間に、そのマブダチには人生に多大なる出来事が起こっていました。

 体よりデカい蛾が引っかかった模様。

 よくもまぁ、巣が引き千切られなかったと感心します。

 みるみるうちに「たたんじゃいな」と速やかにパッキング。

 「これはいまからゆっくりと食べるのか?」、とか、

 「この量を食べて大丈夫か?」などという心配をよそに、何やらさらにパッキングを丁寧に。

 どこかに郵送するから小さくまとめて料金を節約しようということでしょうか。

 そのうち、何も動かなくなり。

 ・・・「食い過ぎだ」

 ・・・「!」

 「これはともすればここから産卵(ではないな。卵は産まないから)するのか?」

 などと持久戦でパーカーを羽織ってじっと小一時間くらい見上げていたものの、

 首が痛くて眠気に勝てずに寝てしまいました。

 昨日起きたのは午前二時。夜の八時くらいまでかれこれ18時間くらいぶっ通しで原稿書いては捨ててましたので、いい加減疲れました。

 今朝、ハッと目覚めてもちろんただちにコーヒーを入れてみにいきましたら、

 

 おそらく壮絶な死を迎えられていました。少なくとも十数分間は微動だにしません。

 上半身より格段にデカかったパンパンのお尻がおそらく無くなっています。

 これは何という蜘蛛で、どのような出産をして、何をもって生命を終えるのか。

 あるいは蛾が、食べられたとしても何がしらかの毒性の分泌物で蜘蛛を凍らせたか。

 

 今朝も何も変わらず、朝からミンミン蝉とヒグラシが、もう勤務シフト完全無視して働いていますが、

 なにかその傍らで、壮絶な人生が展開されていたようです。

 さすがに締め切りは8月末なので、いま書いている原稿、もうこれ以上納得いかなくても強引に文章を繕って仕上げにかかります。

 諦めてちょっと仕事に専念します。

 歳食うと、こういうことができるから嫌になります。

 スカスカなモノしか書けなくても、それなりに小難しいことやった仕事に見えるんですよね。

 タイトルは「ラテンアメリカはどのような第三世界だったのか」

 たたき台はヴィジャイ・プラシャド『褐色の世界史』(粟飯原文子訳、水声社、2013年)。

 手に余る傑作です。

 すでにゴミ箱行きの原稿用紙が160枚。

 アタマから煙が出ております。

 

 

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「見沼写真コンクール」

2021年09月05日 | さいたま市(緑区)を満喫する

 

 

 コロナ禍と、コロナ禍なのでナカタの心がいっそう闇に入ったのが相まって、とうとうベストフレンドがこの人だけになってしまいました。
 
 
 知り合って1カ月が経とうとしていますが、最初は挨拶をするだけだったのですが、少しずつ話しかけるようになり、とりわけこの数日に至ってはこの大切な親友のすっかりファンになってしまいました。
 でもご自分のことは、あまり話したくないようです。
 ですが毎日毎日、資料撮影を目的に大枚はたいて購入したみらミラーレスの一眼レフを、ちょっと外の空気を吸おうなどと玄関を開ける時にはいつも首からぶら下げて、この人を追い回しています。ぱぱらっちのようです。
 
 で、この人、どうやら他の隣人たちとは違ってシフトは「夜勤」のようで、日暮れとともに出勤されます。
 
 
 この友人はもの凄い勤勉です。
 毎日おっきな巣をイチから張り直されるのです。
 たしかに一晩経てば、ホコリとかで汚れてしまいますね。
 張りたての巣は、それはそれはとても綺麗。
 
 それでも毎日毎日、こうやって自宅を全面リフォームDIYというのは、もの凄いですよね。フツーの家はやらないと思います。
 
 
 そうそう。
 
 いま、さいたま市見沼区で「見沼田んぼ写真コンクール」なるものをやっています。
 そもそも、カメラはボタンを押せばいい、くらいしか思ってなかったナカタですが、
 史料をデジタル化するならば、どのくらいのカメラが必要かという質問を、
 とある博物館の日本近世史のガチ歴史学者にしたものですから、
 光が反射しないように資料の上に「無反射ガラス」というものが必要だということに加えて(これくらいは知ってました)、
 カメラはまぁ、「この辺でいいか」と、ということで買ってもらったPanasonicのLumixの単焦点レンズ(のみ。ズームは取られた)が手元にあります。
 
 単焦点レンズのメリットなんかは、「もし貴重な資料が撮影できた際に、引き延ばしてポスターにしても端っこが歪まない」ということしか教えてもらっていなかったのですが、どうやらカメラをこれから勉強しようとする人は、まずはズームレンズでお任せするのではなく、(50mmの)単焦点レンズを使いたおすべし(そしてこれを踏まえればLUMIXの単焦点が25mmというのは大丈夫なのでしょうか。たぶん明るい単焦点レンズが付けられる一番安い一眼だというのが理由だと思います)と言うことらしいので、
 
 コロナ禍だし、近所で楽しむことこれ幸いとこの友人を撮りはじめたわけです。
 
 写真を撮るのはオモシロイですが、ちゃんとした指導をしてくれる人がまったく居ないので、困っています。
 
 昨日の「タモリ倶楽部」によれば、「浦和」が付く8つの駅のなかでも「浦和美園」は、まぁ順当な優勝候補たる「浦和」「北浦和」「武蔵浦和」に次いで(ナント「南浦和」を抜いての)4位だったので、
 このカメラを持ってさらに勉強していこうと思います。
 
 この「Goo Blog」は写真のスライドを展示できるみたいですね。
 
 いま締め切りを過ぎたこの原稿が終われば、もっと写真を勉強して、「ムシ編」「埼スタ編」「駅周辺編」などとテーマ別に作ってみたいと思っています。
 
 どなたかこんなクソ素人にコメントをしてやってもいいという方、どうかよろしくお願いいたします。
 
 😀
 
 
 
😀
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なんか今年は「秋」をカットするのでしょうか。

2021年09月01日 | さいたま市(緑区)を満喫する

飲み会が捌けたあとの居酒屋の前で

 むかし、私がまだ下っ端の駆け出しだった頃。

 ある打ち上げがハネたあと、居酒屋の前で大先生と少し話してました。

 その時その先生は、「ナカタクン、グァテマラのことやってんのか。ボクもじつはグァテマラに居た頃があるんだよ」。

 その先生はカザフスタンの研究をされておられました。だから意外だったのでそう言うと、

 「いやぁ、ボクがいた時、ある晩、ホテルで寝てたら突然すごい音がして、起きたらホテルの部屋のガラスが全部吹っ飛んでなくなってたんだよ」。

 まさかとおもいましたが、そうです。

 グァテマラの内戦期、それも最も激しかったエフライン・リオス・モント軍事政権下の爆破事件でのことで、それはグァテマラ研究者なら有名な話でした。

 あの時にいたなんて。

 「グァテマラは季候がいいよね。考えてみたらボクがカザフスタンのことをやっているのは、乾燥気候が好きになってたからかな」

赤道付近だが乾燥気候 ──漫画『パタリロ』の世界

 すでに書いたかもしれませんが、わたしがメヒコとかグァテマラにしょっちゅう行っているということで、よく聞かれるのが、

 「さぞかし暑いんでしょうね」。

 そんなことないです。

 第一、赤道に近いアメリカ大陸の国々では、首都とか地方でも大都市となると、そんな暑いところに都会なんてあまりできません。だいたい標高が200メートル弱もある、そんな高地に自然と人間は集まるものです。

 メキシコシティとかグァダラハラとかグァナファトとか。

 グァテマラもホンジュラスもコスタリカもエクアドルも、多くの国々の首都は茹だるような暑いところではなく、むしろ今日のさいたま市のような、涼しい風が心地よく年中吹いている気候です。昼寝をしなければもったいない、と思うような感じです。

 だからビールがまぁ、しこたま美味しくなります。あと、街の通りでご飯を食べるのが本当にオイシイです。その代わり、暑さや寒さへの耐性が極めて脆弱になります。

 メキシコ人とかグァテマラ人とか、コスタリカ人とか、諸々。

 年中気温が変わらないのだから、服装も同じかというとそうでもなく。

 お洒落もしたいからか、ちょっと寒いだけで「寒い、メッチャ寒い」と両腕を擦って、おねーちゃんなんかは革のロングブーツを書いてコツコツ歩いています。

 逆にちょっと暑かったら、オイシイものの食べ過ぎかおなかが出てるクセに、ピアス空けたオヘソ丸出しで歩いています。

 でも、クーラーなんて要りませんし、そりゃ海辺は焼け焦げるかと思うくらい暑いですが、換装しているので、木陰にハンモック吊ったら、快適に昼寝ができます。

 国中が、24時間エアコンのドライ効いてるって言えばいいのですかね。

日本の2021年の季節

 今年は、何やらとても季節の到来が早くはありませんか?

 わたしが去年までは、アル中でもう死ぬしかないくらいまで飲んでたから気付かなかっただけかもしれませんが。

 ここ、さいたま市緑区の農業エリアに引っ越してきてからというもの、咲く花とか鳥や虫の声がとても「あぁ、まだ生きてんだ」と躰に染み入ります。

 まず、梅の花なんて、春がそこまで来ているもののまだ冬の寒さの芯が少し残っている、という時期に咲くものだと思っていましたが、もう二月末くらいには近くのお寺に咲いていました。

 アジサイなんて梅雨の代名詞だと思っていましたが、なんかゴールデンウィークくらいには、埼玉スタジアムの周りに咲いていたような気がします。

 あと、ウグイスってほぼほぼユニクロのパーカー並みにオールシーズンなんだと初めて知りました。

 ヒグラシは朝から鳴くし。「暮れに鳴くから」だと思っていました。二カ月くらい、朝うるさくって寝ていられませんでした。

 京都の季節が最悪なだけなんでしょうか。

 「ご出身は京都ですか。素敵ですね。わたしも一度は京都に住みたいとかねがね思っております」というのが、いっちゃんワケわかりません。

 なんだかんだで30年くらい暮らして育ちましたが、そのあとのラ米生活10年くらいが、気候に恵まれたからでしょうか。

 京都の幼馴染みに会いに行くのは、ほとんどマゾヒスティックな、自虐的感覚欲しさです。京都駅に降りて、17番系統のバスに乗る頃には、いつも後悔しています。でも「天下一品」の本店(北白川)は必ず行きます。全国の皆さま。「天下一品」のラーメンってドロドロの濃ゆいレベルマックスだとおもっていませんか?

 あれ、私に言わせると、いわゆるドブロクの「上澄み」が、まずもってして本店で全部使われているからだと思います。本店は、濃厚ですが全然胃にもたれません。

 さて。

 「梅の季節」「桜の満開」「新緑の芽吹き」「蝉の鳴き声」──いずれも2021年は、みんな急ぐがあまり、渋滞を起こしていたように感じます。

 「これはどこかでどれかの出番がなくならないと、年末までに次にやってくる季節がなくなるんじゃないか」と思っていたら、あってましたね。

 昨日夜寝る時までは夏だったのに、今日夢から覚めて起きたら、なんやら秋の虫が鳴いているし、鳥がカラスになってました。

 なんか、一気に、

 センチメンタルな気分になりません?

 去年までなら間違いなく、秋の風情を楽しもうと、これまた「神の河」のロックにサンマでも焼いて飲みはじめるのですが。

 半世紀生きてやっと、「それでは死ぬ」ことが解ったので、お酒は飲まずに。

 さっき、タオルケット洗濯したので、今年の出番は終了。

 掛け布団を出しましたので、

 昼寝して風情を楽しむことにします。

 😀

これ、グァテマラのアンティグア市にあるマクドナルドです。たしか『Lonly Planet』かなんかで「世界一コスパのいいマック」と紹介されていたかと思います。


 

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ポツンと美園車両区の端にあるピザ屋さん

2021年08月22日 | さいたま市(緑区)を満喫する

 毎晩、埼玉スタジアムの周りを散歩しようとしてまして。

 なぜ好きかというと、日が暮れて涼しくなったら、いろんな人たちが涼みにきて。

 部活帰りの高校生とか、子どもと散歩してる親子とか、一息ついてる勤め帰りの人とか、ツキアイたてみたいなカップルとか。たまに老夫婦が暗いからか手を繋いで散歩されてる。いいなぁ。ずっと仲良くて。

 いろんな人たちがとくに何をするでもなくそこここにいて。

 それはそれは、ラテンアメリカの公園みたいで。

 で、今日。

 颯爽と風切ってベビーカーを押すママさんがいたのですが。

 それもママさん、スケボーに乗りながら。

 それもメッチャ早くて、4歳くらいの「お兄ちゃん」が必死で小っちゃな自転車こいでついてきているものの必死なくらいのスピード。

 「危ないなぁ」とかそういった次元ではなく、めっちゃ慣れてて。

 「あ、べびーかーってそういうふうにつかうんだ」、と納得する。


 写真は、浦和美園駅と埼玉スタジアムを結ぶ、歩行者専用通路「ヴィクトリー・ロード」の端にある、半年ほど前にできたピザ屋さん。

 ナカタがこっちに越してきた時に、基礎工事がはじまって。

 「あ、なんか家建つんだ」と思って毎日通ってたのが、どうやら間取りとか観察してたら「これは店ではないのか?」と思うようになり、ワクワクしてたらやがて。

 
 「ずっとこの地域で育ってきました。何時の日か、ここに小さな店を開きたいとずっと思っていました。よろしくお願いいたします。」って書いたポスターを貼ってて。

 でも、あいにくコロナで埼スタは無観客。

 しょうがないね。残念だけどどうしようもない。

 でも少なくともまだ潰れてないから、なんとかなってるのかな。

 よかったね。

 いま頑張ってお医者さん通ってますが、血糖値落ちたらピザを一枚、テイクアウトしに行くよ。

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半径五メートルのSDGs

2021年08月19日 | さいたま市(緑区)を満喫する
 この夏休みの課題である作文にチョット要り用で、この数日、日の出とともに起きて健康的に散歩し、斎藤幸平を批判的に読んではノートを付けている。
 
 そりゃもちろん、斎藤先生の方がマルクスを深く理解されているし、エコロジカルな資本批判の議論は確かに斬新か。
 
 でもナカタには、絶対に「これで話はおしまい」にみえない。
 
 ぜってー、彼がかくもシツコク議論で触れないようにしているとしか思えない、
 
 20世紀後半の「新大陸」まで、ブッ飛ばしてやろう。
 
 でも、誰かの考えを聴こうというときには、欠落点でもって「読むに足らない」と早々に見切ってもただの時間と労力の無駄である。
 
 使える部分を探して自分の思考の肥やしにする方がよっぽど健康的で生産的だというのが、ナカタの読書の基本姿勢。
 
「この行き詰まったパンデミックの現状下でこそ、〝実践の著〟が活きる」──なるほど。了解。
 
 ということで、半径五メートルのSDGsを実践中。
 
 「Goals」は「夏が終わるまで毎日新鮮な青紫蘇を料理に添えて幸せな食事を愉しむこと」
 
 
 
「そうして自然から生き延びるためのものをサステナブルに奪い、こちらは対価として数匹の蚊に1mlくらいの血液を吸い取られる」。しかも最低3カ所というもの凄い「土地の使用権」の搾取だ。
 
──これは「ブル・シット・ジョブ」なのか。
 
 でも、以下の諸点は無視し得ない。
 
・たしかに、青紫蘇は他人が私的所有する土地に生えている。
 
・その土地の上に実った青紫蘇は、地主が毎日農道へハミ出たので無造作にブッチギって落ちてる、あるいは虫が食って穴だらけのだけを持ち帰っている。
 
・たくさん採ることはしない。次の日、また瑞々しく大きな葉っぱが生えるくらいの枚数だけを毎日摘んでいる。
 
・わたしはこの地主の農奴ではない。
 
・だからといって地主は青紫蘇という生産を通じてわたしから剰余価値を得ているわけではない。
 
 ならばこの生産様式は、いったい何なのだ?
 半分はふざけてるけど、半分は本気で言ってる。
 
 
 ラテンアメリカの周辺農村部は、19世紀初頭に国家として独立した。
 
 20世紀に入る頃には、イタリアやドイツの資本や技術援助によって、土地は私的所有化され、多くの貧農たちが大規模プランテーションに、賃金の前借りあるいは国家からの強制労働を回避するために、自ら囲い込まれた。
 
 囲い込まれても、その土地に自給用の作物を勝手に植えて、マルクスの言う労働の「第一の自由」ではあったものの「第二の自由」ではなかった。
 
 それがゆえに、20世紀初頭のラ米諸国家は、底辺単純労働者層が「自由な労働者」ではないとイライラし続けた。つまりは経済学でいうところの、労働に関する「後方屈曲供給曲線」を描いていると映るからだ。
 
 一方、プランテーションで働く側も、喩え十分な主食用の農業を営めても、生活はもちろんギリギリである。決してそれは、規模拡大できる農業にはなり得ない。
 
 農村部の貧困層、怒る。
 
 地元の左派インテリ、それをみて怒る。
 
 『資本論』の言うとおり「やはり資本主義ではないこれから』を、『まだみぬ将来の道標』を探させろと武装蜂起する。
 
 で、ほとんど失敗する。
 
 たとえ、革命として成功させても、次の日から「なだらかな死」へとちゃっかり歩みはじめる。
 
 『資本論』、自分なりに読んで自分の社会なりに組み替えて実践したのにぃ。。。
 
 どこから間違ってたんだ?
 
 ・・・などと世間は朝でバタバタしているなか、まったく剰余価値を生まない「労働」を朝から。
 
 蚊に流れていったわたしの血と引き換えに課された「かゆみ」をポリポリ掻きながら。
 
 
 
ちなみに、このおっきなガラスのボールとトングはこのために買いました。
仕事しながらポップコーン食べると、ポロポロこぼすし、手も汚れる。
DAISOで600円も奮発しました。
昨日夜の「コロナ禍ならば半径五メートルをDIYすればヨイ」活動の一環っす。
ヒマそうにみられてますが、じつはいそがしく。
「ネコの手も借りたい」
↑これが言いたかっただけ。
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盆なので、わらしべ長者をやってみた

2021年08月16日 | さいたま市(緑区)を満喫する
 
午後、友人が農園帰りにフラっと立ち寄った。
 
それはそれはゴキゲンなキッズを三人連れてこられたので。
 
ダイソーで買ってきたトウモロコシ20粒ほどでポップコーンをつくってみた。
 
そしたら帰り際に、いくらか野菜をもらっちゃって。
 
 
ちょっとキッチンにぶら下げてイタリアンな雰囲気を醸し出してみた。
 
で、晩ご飯をつくってみた。
 
 
 
・もらったジャガイモのじゃがばたー。
・もらったニンニクに近所に自生してたのでパクってきた赤じそのお漬物。
・もらったゴーヤを鰹だしで梅肉のっけてアッサリと。
・もらったタマネギで、これまた家前からチギってた青紫蘇を。こだわってゴーヤの種を炒ってふりかけてみる。これもアッサリとポン酢仕立て。
 
 
ふつーにウマい。
 
わらしべ長者、成功。
 
午前中にマジメに、マルクスの資本の増殖運動について勉強してたのだが。
 
この一連の過程のどこに、「自由な労働力」が投入されたのか。
 
なんで増えたんだ?
 
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高層建築のまだない浦和美園

2021年08月08日 | さいたま市(緑区)を満喫する
こう暑いと、なんかあって出かけても、日が陰るまで帰途につく気になれない。(しかもボクんちは、帰途は必ず上り坂)。
 
ということで、15時からの歯医者でバッチコ奥歯の神経を抜かれたのだが、アタマが蒸しダコになりそうで、浦和美園図書館で『浦和市史』なんぞを読み耽る。
 
完全に現実逃避。
 
涼しくなってきたのでAEONで半額のタコをゲットした帰り。
 
今日の夕焼けがこれまた見事に赤く。
 
気がつけば、買い物帰りのオバちゃんも、ベビーカー押してるおかーちゃんも、汗拭きながら駅から帰るサラリーマンも、みんな橋から写メを撮ってて。
 
誰も帰ろうとせず。
 
少しずつ紫が橙になって、暗くなっていく空を黙ってずっとみてて。
 
川を抜ける夕暮れの風とヒグラシがそよそよと。
 
贅沢な話だ。
 
さいたま市緑区。
 
いいところだとおもう。
 
今日も、「今夜寝たのが永眠になってもいい」と思える一日が過ごせたことに感謝。
 
(o゚▽゚)o
 
 
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(たぶん)緑区の「ここは訪れてみたい」スポット②

2021年07月23日 | さいたま市(緑区)を満喫する

こんなクソBlogなんて、絶対誰もみてねぇだろうし、とか思っていたら。

なんかその携帯が鳴って、ナント「続きを希望」というのが「ポチ」っとされた模様。一人とはいえビックリ。

システムはよーわかってませんが、どうやら埼玉県の人がいらっしゃるのか。

ということで、調子ぶっこいて追っかけて。

なんやーかんやーで、五反田から引っ越してきて足かけ「さいたま市民」6年目(5年間は浦和区民)。

 

緑区、さいたま市でもいっちゃんいいか、と。京浜東北線なら、川口とか蕨とか浦和までは落ち着かないし。やはり、北浦和から与野あたりがノンビリしててヨカか、と。

緑区は芝川。この河川敷には、自転車か歩行者しか通れない堤防の細道があります。

そして、この芝川の南には、平行して用水が流れていて、その脇の道はそれはそれで、桜の木がオーバーハングして影をつくってくれているので、涼しくて気持ちいい。

いずれも「緑区」ならではの、田舎テイストです。これにも「口コミ」書いてました。

末尾の写真は上が芝川の堤防道。

下がそのよう水脇の小道。

 

 
見沼大橋
〒336-0915 埼玉県さいたま市緑区見沼5644
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3 週間前
ここから西側へ向かう、この河川に沿った小道は、車が通れないのですが、自転車や歩行者は通れます。絶景です。 遠くにさいたま新都心ののっぽの建物、やや左斜め前にさいたま市立病院を中心とした幾ばくかの高層建築、あとはずっと例えば季節ならば菜の花の細い道。映画のロケにできるのかというくらいの、静かないいコースです。 写真好きな人が沢山居るのは納得です。植物、風景、川の表情、鳥どり。いい時間が過ごせます。
 
 
*芝川の堤防道。連休明けには菜の花で真っ黄色です。いまは、ススキの葉が緑緑で、道の半分くらいを塞いでいるところもあり、ちょっと短パンでチャリこいでたら、「足、切るんじゃ」と心配になります。
 
*「見沼代用水」沿いの小道。ちょくちょく紫蘇が自生してます。でも摘み取ってると瞬く間に蚊に二三発やられます。春は言わずもがな、桜のトンネルで絶景です。

 

だいたいこの辺です。公共交通機関はあまりないです。どこかの駅からシェアサイクルが一番いいかと思います。

 

 

 
 
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