近所をいつものチャリでブッ飛ばしてたら、こんなものを見つけました。
「!」
「?」
「あれっ。」
「落ちてんの、瓜じゃねーんか?!」
といったところでしょうか。
瓜をじっと見ていたら、手前の石像でしょうか。コイツも同じ理由で瓜を見ているのかと。
やっとうまい感じの写真を見つけました。
こんな感じでしょうか。
かろうじて月末締め、間に合いました。
自転車操業です。
😀
「猫振り返る」、ブログ『今日のさとる。』、28号(http://satoru-press.com/?p=9514、2021/09/30閲覧)より
日曜日ですね。
秋ですし。
でも今年は、梅の開花から桜の散りからアジサイやら。
ミンミン蝉とツクツクボーシとヒグラシは、わたしの家の周りでは一日三交代でフルシフト稼働です。
しかも営業時短のせいか、9時5時ではいろんな人たちが仕事を済ませておこうとシフト関係なしで働くときもあります。
朝からヒグラシが早出したり。
シフト上がりなのにまだミンミン蝉が働いてたり。
とまれ今日は日曜日。しかも雨。
蜘蛛の村人でもオニグモ家は、あいかわらずシフト厳守。
でも、「雨が降ったらお休みで」でお馴染みのカメハメハ大王です。
先ほど雨があがりましたが、どうされます?
あ、日曜日ですか。いずれにせよ今日はお休み、ということらしいです。
😀
先だっての蜘蛛の話の続きです。
在宅ワークで、しかも仕事上来週まで夏休みなので、相変わらず友人はこの蜘蛛だけです。
前回ナカタがここに投稿したときには、てっきり蛾が巣に思いっきり「プール飛び込みの腹打ち」のようにダイヴしてきたのだが、梱包したところで固まって死んだのかなと思っていたのですが、
全然ご健在で。
翌晩もこのコロナ禍だというのに午後10時くらいには「出勤」されてました。
ですが、どうやら本屋でいうところの棚卸しでしょうか。開店はしていません。
というのも、でっかい蛾を10分ほどで梱包した場所から、それをあと1メートルくらい上の所まで運んでおられました。
何がしたいのか。そのさらに目立つところにわざわざ運んだ理由は何なのか。まったくわからず、その夜はもう諦めました。
でも翌朝にはちゃっかり、鳥の視角になっている定位置に帰宅しておられます。
空中には、梱包した「保存食」は置きっぱなしです。
かなり謎です。
じつはいま、8月末日提出の原稿に全力投球せねばならない状況なのですが、
気になって仕方がありません。
まずは「蜘蛛 種類」で画像検索をかけると、ドンピシャとはいきませんが、どうやら「オニグモ」という名前だと思います。
生息範囲とか、巣の特徴とか、生態季節とか。
あと基本夜勤シフトだというのは決定的かと思います。
そしてエゲツないくらい恥ずかしいことを正直に告白しますと、
わたしは50年生きてきて、蜘蛛は卵を産むのだということを初めて知りました。
「蜘蛛の子を散らしたような」という表現は知っていましたが、昆虫ではないというのも小学生の頃に習った覚えがあるので、その辺はあやふやだったことが一気に解決しました。
もしそれが写真に収められたら。
いま、「見沼写真コンクール」なるものが開催されています。
もちろん、こんな「将棋の駒の動き方を覚えたばかり」のトーシローが、数多のアマ・プロ写真家に混ざろうとすることそのものから勘違いなのは重々承知しています。
「10年くらい頑張ったらせめて佳作くらいに選ばれないかな」くらいしか思っていませんが、とにかくもこういうことを意識して一生懸命勉強することが大切だと思って少しずつやってます。
毎日、「これまでのベスト一枚」をデスクトップの背景にしたりして。
現行はやはりこれです。
ですが、さいたま市見沼とは何の関係もないので、これでトライはしません。
繰り返しますが、入選するためにふさわしくないというのが理由ではないです。
募集されたテーマに即したブツを提出することが大切だと思っているからです。
よくいるんですよね。あるテーマで原稿を依頼したのに、全然自分勝手に好きな球種を投げてくる投手が。
「アナタにこの7回を託したのは、イッパツ(HR)だけは回避してくれ」というベンチの意図を完全無視して、渾身のストレートをインハイに投げたりする投手です。
何事も、求められた、白羽の意図を立てて頂いた意図に沿ったうえでのベストを尽くすことは大切だとおもいます。
さて。
WIKIによりますと、この人が「オニグモ」であったとするならば、
──成体が見られる時期は6-10月[10]。産卵は8月から9月末にかけてで、樹幹や軒下などに「汚れたような」卵嚢を貼り付ける[11]。(Wiki「オニグモ」)
こんな生態をまともに相手していたら、何回日が暮れるかわかりません。
ですが今日、見に行ったら、なんと。
その梱包物を「店」から「自宅」まで持ち帰り、しかも本人は姿を消してしまいました。
この写真、右隣に見えますか?
なにやら、アゲハチョウのサナギみたいなのがひっついています。
──秋に孵化し卵嚢内で幼生越冬、さらに10mm程度の幼体や亜成体、まれに成体でも越冬する[12]。(Wiki「オニグモ」)
「越冬する」との情報、雑すぎません?
いつの話だ。
とにかくも、あんまり興味津々で付き合うこと自体が見直されるべきであって、わたしもちょっとマジで仕事に戻ります。
基本、こういうことはスルーすべきだとWIKIにも書いてありました。
「もちろん益虫ではあるが、喜ばれることは少ない。」(Wikipedia「オニグモ」)
😀
わたしは、蜘蛛はウザい虫を食べてくれるので有り難く思い、
加えて、ちっちゃいあのピョコピョコ跳ねるヤツはカワユイなぁと思うくらいですが、
わたしの「G」のように、生理的にマズい人はみないでください。
わたしですら、最後にはちょっと背筋が凍るような展開になりました。
「ナカタ、引き籠もってとうとう蜘蛛しか友達がいなくなった」と言われるくらい、この数日は寝るのを惜しんで蜘蛛を観察しておりまして。
とりわけ玄関から降りていく階段のうえに巣を張って「夜勤」されている、灰色で背中に白いアクセントをあしらったオサレなおっきな蜘蛛がベストフレンドです。
昼間は、影にひっそり潜んでいます。これ何という蜘蛛でしょうか。ググっても出てきません。
この「マブダチ」。
3日ほど前に、前から興味のあったカメラの世界を垣間見たナカタに、いろんなことを教えてくれます。
どうやったら暗い夜に、この見事な幾何学模様の巣の美しさを捉えればいいのか。
カメラも資料撮影用が目的なので、コンデジに毛の生えたようなPanasocic GF10の25mm単焦点です。
「とにかく50mmの単焦点レンズで何万枚か失敗しろ。アタマを死ぬほど使え。写真に何の情報も過剰ではなく不足もしていない画角を、まずは自分が動きまくって撮れ」
というMacintoshとカメラにおいては元いた研究室で無双だった同僚の教えをアタマに、いろいろ失敗しまくってます。
そんなこの彼だか彼女だか。
昨夜も夜中に一人、誰もいない農園地帯で「もちっとこっち向いてくれんかなぁ」とか「よく見るとナカナカにその背中の白いアクセント、イケてるねぇ」とか不審者丸出しで失礼なほどシャッターを切っていたのですが、
ちょっと一昨夜からもっと手近なところで一軒家を建てられた別の蜘蛛に気を移しておりました。
その間に、そのマブダチには人生に多大なる出来事が起こっていました。
体よりデカい蛾が引っかかった模様。
よくもまぁ、巣が引き千切られなかったと感心します。
みるみるうちに「たたんじゃいな」と速やかにパッキング。
「これはいまからゆっくりと食べるのか?」、とか、
「この量を食べて大丈夫か?」などという心配をよそに、何やらさらにパッキングを丁寧に。
どこかに郵送するから小さくまとめて料金を節約しようということでしょうか。
そのうち、何も動かなくなり。
・・・「食い過ぎだ」
・・・「!」
「これはともすればここから産卵(ではないな。卵は産まないから)するのか?」
などと持久戦でパーカーを羽織ってじっと小一時間くらい見上げていたものの、
首が痛くて眠気に勝てずに寝てしまいました。
昨日起きたのは午前二時。夜の八時くらいまでかれこれ18時間くらいぶっ通しで原稿書いては捨ててましたので、いい加減疲れました。
今朝、ハッと目覚めてもちろんただちにコーヒーを入れてみにいきましたら、
おそらく壮絶な死を迎えられていました。少なくとも十数分間は微動だにしません。
上半身より格段にデカかったパンパンのお尻がおそらく無くなっています。
これは何という蜘蛛で、どのような出産をして、何をもって生命を終えるのか。
あるいは蛾が、食べられたとしても何がしらかの毒性の分泌物で蜘蛛を凍らせたか。
今朝も何も変わらず、朝からミンミン蝉とヒグラシが、もう勤務シフト完全無視して働いていますが、
なにかその傍らで、壮絶な人生が展開されていたようです。
さすがに締め切りは8月末なので、いま書いている原稿、もうこれ以上納得いかなくても強引に文章を繕って仕上げにかかります。
諦めてちょっと仕事に専念します。
歳食うと、こういうことができるから嫌になります。
スカスカなモノしか書けなくても、それなりに小難しいことやった仕事に見えるんですよね。
タイトルは「ラテンアメリカはどのような第三世界だったのか」
たたき台はヴィジャイ・プラシャド『褐色の世界史』(粟飯原文子訳、水声社、2013年)。
手に余る傑作です。
すでにゴミ箱行きの原稿用紙が160枚。
アタマから煙が出ております。
でもご自分のことは、あまり話したくないようです。
毎日おっきな巣をイチから張り直されるのです。
飲み会が捌けたあとの居酒屋の前で
むかし、私がまだ下っ端の駆け出しだった頃。
ある打ち上げがハネたあと、居酒屋の前で大先生と少し話してました。
その時その先生は、「ナカタクン、グァテマラのことやってんのか。ボクもじつはグァテマラに居た頃があるんだよ」。
その先生はカザフスタンの研究をされておられました。だから意外だったのでそう言うと、
「いやぁ、ボクがいた時、ある晩、ホテルで寝てたら突然すごい音がして、起きたらホテルの部屋のガラスが全部吹っ飛んでなくなってたんだよ」。
まさかとおもいましたが、そうです。
グァテマラの内戦期、それも最も激しかったエフライン・リオス・モント軍事政権下の爆破事件でのことで、それはグァテマラ研究者なら有名な話でした。
あの時にいたなんて。
「グァテマラは季候がいいよね。考えてみたらボクがカザフスタンのことをやっているのは、乾燥気候が好きになってたからかな」
赤道付近だが乾燥気候 ──漫画『パタリロ』の世界
すでに書いたかもしれませんが、わたしがメヒコとかグァテマラにしょっちゅう行っているということで、よく聞かれるのが、
「さぞかし暑いんでしょうね」。
そんなことないです。
第一、赤道に近いアメリカ大陸の国々では、首都とか地方でも大都市となると、そんな暑いところに都会なんてあまりできません。だいたい標高が200メートル弱もある、そんな高地に自然と人間は集まるものです。
メキシコシティとかグァダラハラとかグァナファトとか。
グァテマラもホンジュラスもコスタリカもエクアドルも、多くの国々の首都は茹だるような暑いところではなく、むしろ今日のさいたま市のような、涼しい風が心地よく年中吹いている気候です。昼寝をしなければもったいない、と思うような感じです。
だからビールがまぁ、しこたま美味しくなります。あと、街の通りでご飯を食べるのが本当にオイシイです。その代わり、暑さや寒さへの耐性が極めて脆弱になります。
メキシコ人とかグァテマラ人とか、コスタリカ人とか、諸々。
年中気温が変わらないのだから、服装も同じかというとそうでもなく。
お洒落もしたいからか、ちょっと寒いだけで「寒い、メッチャ寒い」と両腕を擦って、おねーちゃんなんかは革のロングブーツを書いてコツコツ歩いています。
逆にちょっと暑かったら、オイシイものの食べ過ぎかおなかが出てるクセに、ピアス空けたオヘソ丸出しで歩いています。
でも、クーラーなんて要りませんし、そりゃ海辺は焼け焦げるかと思うくらい暑いですが、換装しているので、木陰にハンモック吊ったら、快適に昼寝ができます。
国中が、24時間エアコンのドライ効いてるって言えばいいのですかね。
日本の2021年の季節
今年は、何やらとても季節の到来が早くはありませんか?
わたしが去年までは、アル中でもう死ぬしかないくらいまで飲んでたから気付かなかっただけかもしれませんが。
ここ、さいたま市緑区の農業エリアに引っ越してきてからというもの、咲く花とか鳥や虫の声がとても「あぁ、まだ生きてんだ」と躰に染み入ります。
まず、梅の花なんて、春がそこまで来ているもののまだ冬の寒さの芯が少し残っている、という時期に咲くものだと思っていましたが、もう二月末くらいには近くのお寺に咲いていました。
アジサイなんて梅雨の代名詞だと思っていましたが、なんかゴールデンウィークくらいには、埼玉スタジアムの周りに咲いていたような気がします。
あと、ウグイスってほぼほぼユニクロのパーカー並みにオールシーズンなんだと初めて知りました。
ヒグラシは朝から鳴くし。「暮れに鳴くから」だと思っていました。二カ月くらい、朝うるさくって寝ていられませんでした。
京都の季節が最悪なだけなんでしょうか。
「ご出身は京都ですか。素敵ですね。わたしも一度は京都に住みたいとかねがね思っております」というのが、いっちゃんワケわかりません。
なんだかんだで30年くらい暮らして育ちましたが、そのあとのラ米生活10年くらいが、気候に恵まれたからでしょうか。
京都の幼馴染みに会いに行くのは、ほとんどマゾヒスティックな、自虐的感覚欲しさです。京都駅に降りて、17番系統のバスに乗る頃には、いつも後悔しています。でも「天下一品」の本店(北白川)は必ず行きます。全国の皆さま。「天下一品」のラーメンってドロドロの濃ゆいレベルマックスだとおもっていませんか?
あれ、私に言わせると、いわゆるドブロクの「上澄み」が、まずもってして本店で全部使われているからだと思います。本店は、濃厚ですが全然胃にもたれません。
さて。
「梅の季節」「桜の満開」「新緑の芽吹き」「蝉の鳴き声」──いずれも2021年は、みんな急ぐがあまり、渋滞を起こしていたように感じます。
「これはどこかでどれかの出番がなくならないと、年末までに次にやってくる季節がなくなるんじゃないか」と思っていたら、あってましたね。
昨日夜寝る時までは夏だったのに、今日夢から覚めて起きたら、なんやら秋の虫が鳴いているし、鳥がカラスになってました。
なんか、一気に、
センチメンタルな気分になりません?
去年までなら間違いなく、秋の風情を楽しもうと、これまた「神の河」のロックにサンマでも焼いて飲みはじめるのですが。
半世紀生きてやっと、「それでは死ぬ」ことが解ったので、お酒は飲まずに。
さっき、タオルケット洗濯したので、今年の出番は終了。
掛け布団を出しましたので、
昼寝して風情を楽しむことにします。
😀
これ、グァテマラのアンティグア市にあるマクドナルドです。たしか『Lonly Planet』かなんかで「世界一コスパのいいマック」と紹介されていたかと思います。
毎晩、埼玉スタジアムの周りを散歩しようとしてまして。
なぜ好きかというと、日が暮れて涼しくなったら、いろんな人たちが涼みにきて。
部活帰りの高校生とか、子どもと散歩してる親子とか、一息ついてる勤め帰りの人とか、ツキアイたてみたいなカップルとか。たまに老夫婦が暗いからか手を繋いで散歩されてる。いいなぁ。ずっと仲良くて。
いろんな人たちがとくに何をするでもなくそこここにいて。
それはそれは、ラテンアメリカの公園みたいで。
で、今日。
颯爽と風切ってベビーカーを押すママさんがいたのですが。
それもママさん、スケボーに乗りながら。
それもメッチャ早くて、4歳くらいの「お兄ちゃん」が必死で小っちゃな自転車こいでついてきているものの必死なくらいのスピード。
「危ないなぁ」とかそういった次元ではなく、めっちゃ慣れてて。
「あ、べびーかーってそういうふうにつかうんだ」、と納得する。
*
写真は、浦和美園駅と埼玉スタジアムを結ぶ、歩行者専用通路「ヴィクトリー・ロード」の端にある、半年ほど前にできたピザ屋さん。
ナカタがこっちに越してきた時に、基礎工事がはじまって。
「あ、なんか家建つんだ」と思って毎日通ってたのが、どうやら間取りとか観察してたら「これは店ではないのか?」と思うようになり、ワクワクしてたらやがて。
「ずっとこの地域で育ってきました。何時の日か、ここに小さな店を開きたいとずっと思っていました。よろしくお願いいたします。」って書いたポスターを貼ってて。
でも、あいにくコロナで埼スタは無観客。
しょうがないね。残念だけどどうしようもない。
でも少なくともまだ潰れてないから、なんとかなってるのかな。
よかったね。
いま頑張ってお医者さん通ってますが、血糖値落ちたらピザを一枚、テイクアウトしに行くよ。
こんなクソBlogなんて、絶対誰もみてねぇだろうし、とか思っていたら。
なんかその携帯が鳴って、ナント「続きを希望」というのが「ポチ」っとされた模様。一人とはいえビックリ。
システムはよーわかってませんが、どうやら埼玉県の人がいらっしゃるのか。
ということで、調子ぶっこいて追っかけて。
なんやーかんやーで、五反田から引っ越してきて足かけ「さいたま市民」6年目(5年間は浦和区民)。
緑区、さいたま市でもいっちゃんいいか、と。京浜東北線なら、川口とか蕨とか浦和までは落ち着かないし。やはり、北浦和から与野あたりがノンビリしててヨカか、と。
緑区は芝川。この河川敷には、自転車か歩行者しか通れない堤防の細道があります。
そして、この芝川の南には、平行して用水が流れていて、その脇の道はそれはそれで、桜の木がオーバーハングして影をつくってくれているので、涼しくて気持ちいい。
いずれも「緑区」ならではの、田舎テイストです。これにも「口コミ」書いてました。
末尾の写真は上が芝川の堤防道。
下がそのよう水脇の小道。
だいたいこの辺です。公共交通機関はあまりないです。どこかの駅からシェアサイクルが一番いいかと思います。