京都中央信用金庫(中信)被害者の会

このブログは、京都中央信用金庫(中信)被害者の会を立ち上げるに当たり開きました。

大阪高裁13民判決のおかしさについて⑦ ~元々の契約が不存在だというのに,後の変更契約証書に印影があれば,元々の契約までもが存在することになる?

2020年08月31日 17時17分28秒 | 日記

存在しない契約を後に存在したことにする方法をご存じでしょうか?

そうですね。「追認」ですね。

 

次の質問です。

追認がないのに,存在しない契約を後に存在したことにすることはできるでしょうか?

それはできませんよね。

 

では,無断でなされた存在しない契約(「第1契約」と呼びましょう。)に,変更契約の形を偽装して「印影」という痕跡が残されている場合(「第2契約」と呼びましょう。)はどうでしょうか?追認はされていないものとします。

そのような場合に,偽装された変更後の第2契約だけでなく,無断でなされた当初の存在しない第1契約にまで,契約の拘束力が持たされるのでしょうか?

考えるまでもないと思います。

答えは「ノー」です。

 

大阪高裁13民判決は,

「控訴人らは,第1回条件変更契約により,本件貸付けの金利及びその金利決定基準を明確に合意したと認めることができるから,控訴人H及び控訴人Sとの関係で,控訴人ら主張に係る本件貸付けの実行当初の金利及びその金利決定基準の合意について瑕疵があったとしても,そのことが,その後,両控訴人に損害をもたらすことにはならないし,また,本件貸付けに係る消費貸借契約に基づく貸金返還請求の妨げにもならない」(原判決39頁)

と判断しています。

 

繰り返しますが,大阪高裁13民判決は,そもそも当初の金銭消費貸借証書につき,約定利率の合意の欠缺という瑕疵を認定しています。すなわち,約定利率の合意が存在しないと認定しているのです。

 

にもかかわらず,追認の主張も立証もされていないのに,その約定利率が,後に行った変更契約書(こちらも偽造の契約書です。)の印影のみを根拠に,第1契約(=消費貸借契約)にもとづいて金銭の支払いを命じているのです。

 

しかも,大阪高裁13民判決は,変更契約書(第2契約)に記入された筆跡について,本人の筆跡ではないことを前提として,「代筆」だと述べられてします。ところが,誰がいつどこで代筆したのか,そもそも,代筆をする権限が与えられたのかについて,最初から最後まで中信側から何の主張も立証もされていません。

 

にもかかわらず,大阪高裁13民判決は,変更契約書(第2契約)について,本人が契約の場に不在であって,したがって署名の筆跡が本人の自署によるものではないということに争いがないにもかかわらず,中信がなんの主張も立証もしていない「代筆」であるということを前提として,しかも,その誰が代筆をしたのかも,どのような経緯で代筆されたのかについては何ら示さずに,変更契約書(第2契約)を有効としたのです。

 

さらには,これを足がかりとして,追認があったかどうかについては何ら触れることなく,金銭消費貸借証書(第1契約)まで,当初から合意が存在していたかのように判断しているのです。

 

こんな判断の仕方が許されて良いはずはありません。

この判決には,およそ判決に求められる論理性の欠片もありません。

もはや,金融機関を勝訴させるためだけに作り出された,奇妙な屁理屈だと言わざるを得ません。


大阪高裁13民判決のおかしさについて⑦ ~最高裁判所も認めている事実を「反証」すらないとは?

2020年08月25日 09時15分36秒 | 日記

原判決は,

「控訴人H及び控訴人Sの作成部分については,それぞれの署名部分は自署によるものではないが,名下にある印影が登録印章により顕出されたものであることは当事者間に争いがないから,反証のない限り,当該印影は両控訴人らの意思に基づいて顕出されたものと推定されるから,当該文書は真正に成立したものと推定されることになる(同法同条項)。」(原判決41頁)

と判断しています。

 

ところが,そもそも,最高裁判所が是認した大阪高裁第10民事部判決では,

・AさんがHさん本人に無断で印章を持ち出した旨,

・権限なく手形に署名した旨

を認定しています。

 

また,本件では,

①筆跡がHさん及びSさんの筆跡ではないこと

②当事者双方ともにHさん及びSさんが署名押印を行っていないことにつき争っていないこと(中信は,AさんやM子さんが署名押印をした可能性を示唆しているのみです)

③偽造に関与した両当事者(Aさん及び中信職員Oさん)が双方とも本人に意思確認をしたことがないと供述していること

④多数の偽造筆跡の債権書類群が存在していること(特に,同時期に作成された偽造の変更契約書の存在)

⑤これらの事実は本件と共通していて,そのことを前提に最高裁判所が判断をしていること

の各事実が前提となっています。

 

にもかかわらず,原判決は,その最高裁判所が是認した認定は「反証」にすらあたらない,として最高裁判所がした判断を否定する判断を行いました。

 

「本証」に至っている最高裁判所の判断を,「反証」にすらあたらないとしたのです。

 

日本の裁判は三審制です。

その最終審である最高裁判所が認定・判断した事実について,下級審が最高裁判所の判断を無視した認定・判断をするのは明らかにおかしいです。

 

実際に不正を行った当事者(敵性証人である中信職員)が自らの非を認めて,不正の自白をしているというのに,その場に居なかった裁判官が,何の証拠も根拠も示さずに,当事者の主張・証言に反する判断をする。そして,その判断が,最高裁の認定・判断した事項とは矛盾するものである。こんな判断が,公平公正であるといえるでしょうか?


大阪高裁13民判決のおかしさについて⑥-2 ~民事訴訟法228条4項の「署名」・「押印」についてのこれまでの理解が変わったのか?(その2)

2020年08月24日 12時03分15秒 | 日記

(前回からの続き)

 

民事訴訟法228条4項は,

「私文書は,本人又はその代理人の署名又は押印があるときは,真正に成立したものと推定する。」

とされています。

しかし,これまで見てきたとおり,一連の裁判では「代理人」ではないとされていますので,「代理人」については除外し,「本人」の「署名又は押印」の観点から見てみましょう。

 

まず確認すべきことは,

・債権書類の筆跡が契約者本人の筆跡ではないという事実

・その押印を契約者自身が行っていないことに当事者双方ともに争いがない事実

・Aさんが印鑑を持ち出した事実。それゆえ契約者本人であるHさんが不在であった事実。

・Aさんと契約を行った中信職員が双方ともに,Aさんと契約を行っており,契約者本人が契約の場におらず,従って,契約者本人が債権書類に署名も押印もしていないこと証言をしているという事実

・最高裁が是認した大阪高裁第10民事部判決でも「中信への返済に困窮したAが,M社金庫から,無断で印鑑等を持ち出し中信職員らとともに契約者に無断で契約書を作成した」「証拠や中信担当職員の証言からもAの証言は信用できる」「筆跡の違いから,二段の推定は破れている」と,明確にAさんが無断で押印をしておりHさんが押印していないと認定されている

という事実です。

 

そして,大阪高裁13民判決は,

・その「印影」だけを取り出すものの,誰が押印したかを明示しない

・誰が押印したかどうか認定せず,その印影のみから民事訴訟法228条4項の条文の一部をあたかもつまみ食いをするかのように都合良く取り出し,「本人の意思に基づくもの」とした

のです。

 

この大阪高裁13民判決は,意図的に民事訴訟法228条4項の趣旨を改変したものだと考えざるを得ません。

 

そもそも,その文書が「本人の意思に基づくもの」と推定される根拠は,本人による署名・押印があったからです。

 

本人による署名も押印もないのに,そして,他人が署名して押印をしているのに,さらに,代理の権限も何もないのに,印影だけの存在から「本人の意思に基づくもの」と大阪高裁13民判決が判断したことは,そうした推定の根拠をことさら無視するものだといえます。


大阪高裁13民判決のおかしさについて⑥-1 ~3-1 民事訴訟法228条4項の「署名」・「押印」についてのこれまでの理解が変わったのか?(その1)

2020年08月20日 16時45分30秒 | 日記

今回の記事では,「民事訴訟法228条4項の「署名」・「押印」についてのこれまでの理解が変わったのか?」ということについて説明します。

 

まず,大阪高裁13民判決は,

①「本件条件変更契約書1における同控訴人ら作成部分が同人らの自署によらないとしても,これは代筆にすぎないと認めるのが相当」(原判決45頁)
②「控訴人H及び控訴人Sの作成部分については,それぞれの署名部分は自署によるものではないが,名下にある印影が登録印章により顕出されたものであることは当事者間に争いがないから,反証のない限り,当該印影は両控訴人らの意思に基づいて顕出されたものと推定されるから,当該文書は真正に成立したものと推定されることになる(同法同条項)。」(原判決41頁)

と判断しています。

そして,民事訴訟法228条4項には,

「私文書は,本人又はその代理人の署名又は押印があるときは,真正に成立したものと推定する。」

と規定されています。

ここにいう代理人は適正な代理人という意味であり,本人と同等ということが前提です。これが,この規定についての従来からの法解釈です。
しかし,本件では,中信からは「代理人」により押印されたとの主張も立証もされていませんので,「代理人」については除外して考えるべきです。

そして,変更契約書という書面に記入されたHさんとSさんの筆跡について,大阪高裁13民判決は,上記のように「代筆」と認定しました。さらに,民事訴訟法228条4項を適用しました。

この点,中信側は以下のように考えていました。

「甲17の「H」「S」と「M子」の字体は同一と考えられ,甲1,甲2,甲3,甲4,甲5のM子が自筆であることを認めている筆跡からも,M子の筆跡によると考えられ,M子が署名代行または代理したものと考えられる(原告準備書面15p3ア)。」(平成26年8月12日付被上告人中信準備書面(19)22頁)

まず,中信は,契約締結者が誰かについて,「考えられる」と言っていて可能性の推測を述べるに過ぎず,具体的な事実主張をしていません。少なくとも,甲17号証の変更契約書を含め全ての債権書類について(全ての訴訟で明らかとなっているように,すべて筆跡が偽造されていました。),中信側からは,代理権の立証はありません。(ⅰ)

また,甲17号証の変更契約書につき,HさんやSさんの自署ではないことに争いはありません。(ⅱ)

さらに,Hさんが押印していない旨,中信は主張していました。(ⅲ)

加えて,HさんやSさんとの契約締結をしたという経緯についても一切主張はしていませんでした。むしろ,中信は,M子と「考えられる」と中信は考えているようでした。また,本人に無断でなされた契約であることについて,中信職員のOさんの証言も存在します。(ⅳ)

このような状況ですので,本件で,代理人による契約締結かを問題とする必要性は全くないのです。つまり,代理人か否かの点から民事訴訟法228条4項による推定を問題とする前提を欠いているのです。

にもかかわらず,大阪高裁13民判決は,上記のとおり特段の理由を付け加えることなく「代筆」と認定しています。しかし,これは,単なる偽造です。

この「代筆」か偽造かどうかは,本件訴訟自体の判決に大きくかかわる争点です。

そして,適法な「代筆」と認定されるための必須条件は,代筆権限が立証されるということが大前提です。しかし,この点についての立証はされていません。なので,単なる偽造なのです。

(次回に続く)


大阪高裁13民判決のおかしさについて⑤-2 ~契約を遵守しているのに債務不履行責任を問われる?

2020年08月19日 09時22分18秒 | 日記

前回の記事の最後で,固定額の元利金返済額が決まっているときに,金融機関側が返済額を一方的に変更した場合,いったいどちらが約束を破ったといえるでしょうか?という質問で締めくくりました。

 

約束されていた金額を一方的に変更した金融機関側でしょうか?

それとも,決まった元利均等返済額どおりにきちんと支払っていた預金者側でしょうか?

 

これも愚問ですよね。

 

約束されていた金額を一方的に変更した金融機関側が責任を問われるのが当然です。決まった元利均等返済額を,律儀に支払っていた預金者側が責任を問われることなど,あるはずがないのです。

 

にもかかわらず,今回の大阪高裁13民判決は,

「しかし,そうであったとしても,当事者が元利均等返済方式,かつ,変動金利型の消費貸借契約として本件貸付けを受け,それを合意内容としている以上,金利が変動した場合,変動するのは分割弁済額であるとするのが消費貸借契約を締結した当事者の合理的意思に沿うというべきである。」

として,金融機関が行った一方的な変更は,契約条項の記載に明らかに反しているとしても,「合理的意思解釈」により有効であると判断したのです。

 

しかし,こんな判断が許されては,取引社会において混乱を生じさせてしまいます。

 

契約条項や合意内容という約束されたこととは全く正反対の仕打ちをうけた契約者側が,いったいどうなるか全く予測も付かない金融情勢を,予測したり把握したりしなければならないということになります。

しかも,契約条項のどこにも書かれていないことを合理的意思解釈として肯定されてしまうかもしれないのです。

そんな恐ろしく不確実な状況で,誰が安心して契約できるでしょうか?

 

こうした大阪高裁13民判決の判断は,こうした混乱を招くような判決です。

 

そもそも,合意内容を明確にするために作成される「契約書」の存在意義自体を否定するものでもあります。

 

そして,契約条項に違反した側が「適法」となり,契約条項を遵守した側が「違法」となるとの社会通念における「是非・善悪」の判断を根底から覆すような判決です。

 

今回の大阪高裁13民判決は,真面目に契約を守っている契約者のほうに責任を負わせるものです。言葉が過ぎるかもしれませんが,今回の判決は,正直者を「馬鹿にする」判決だと言わざるを得ません。