被害の実態をコンパクトにまとめて欲しいという読者の声がありましたので,簡単に,いきさつをまとめてみました。
T商会という会社がありました。自動車の修理販売の会社です。
20期以上赤字でした。
経営をしていたのは,Aさんという方です。
T商会は,中信東山支店がオープンした昭和40年ころ以降,中信東山支店から借入をしていました。
中信のT商会への貸付は不良債権化し,中信は回収に困っていました(①)。
M社という会社がありました。
ホテルの経営で急成長をしている会社です。
RevPAR,つまり,一日あたり販売可能客室数あたり客室売上が全国1位のホテルです。
都市銀行からの融資もあり,資金は潤沢にありました。
都市銀行の借入利率は,信用金庫のものよりも有利なので,信用金庫から借り入れする必要もありませんでした。
経営をしていたのは,Hさん。Aさんの長男です。
また,Hさんは,個人的にも多額の収入を上げていました。多くの個人資産もありました。
そうしたM社とHさんに,T商会からの回収に困っていた中信が目を付けました。
そして,Aさんは,M社とHさんの実印をいつでも持ち出せる立場にありました。
まず,昭和61年,中信は,AさんをそそのかしてHさんに無断で,Hさんが中信東山支店から3000万円の融資を受けたことにして,しかも,Hさん名義の不動産を担保に入れたのです。
この3000万円の融資金は,Hさんに1円たりとも渡りませんでした。
T商会の中信に対する返済にすべて回されたのです。
その後も,昭和63年,中信は,Hさんに無断で,Hさんが中信東山支店から3000万円の融資を受けたことにしたのです。この3000万円も,Hさんに1円たりとも渡らず,T商会の中信に対する返済にすべて回されました。
このようにして,中信は,まず,Hさんの個人資産からの収奪を行ったのでした。
しかし,それだけでは終わりませんでした。
中信は,儲かっているM社やHさんの収入から回収をしようとしました。
Aさんは,Hさんに知られないように,M社やHさんに中信に対する融資や担保設定の契約をしたのです。
しかも,信用金庫でしたので,M社やHさんにとって,都市銀行よりも不利な利率でした。
そして,実際に融資がなされたのですが(②),それらの資金は,M社やHさんが使うことなく(知らないから当然です),T商会やAさんへと流れていったのです(③)。
しかし,それは,すべて中信からの差し金だったのです。
そして,T商会やAさんへと流れていった資金(③)は,T商会の中信に対する返済へと流れていったのです。
この偽装融資のおかげでT商会は,生き延びられたのです。
他方で,M社やHさんの中信に対する返済も,M社やHさんの資産から返済がなされていきました。
このような形で,M社やHさんの資産が収奪されていったのです。
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