太宰は好きだけど、太宰ファンが嫌いと私小説派にケンカを売ったのは若き日の吉行淳之介氏だったと思う。このフレーズは結構使わせてもらった。埼玉に住んでた時は「レッズは好きだが、レッズファンが嫌い」などと言って『タイガースとタイガースファンが嫌い』と逆襲を受けたりしたもんだ。
「マンガは好きだが、2オタ(二次元オタク)が嫌い」と高言しているが、先頃の凶悪事件でますますその思いを強くしている。「蕎麦は大好きだが、蕎麦通が嫌い」これはちょっと意味合いが違う、蕎麦好きが嫌いとは言っていないから。これは蕎麦屋でウンチクを語り、これが蕎麦の作法だぜと見せびらかす輩を指している。
その昔、東京の蕎麦屋で相席になり、前に座った夫婦とおぼしき二人連れが供されたザル蕎麦をひたすら箸先で撫でだした。水切りをしたかったのだろうが、その店の蕎麦はちゃんと水が切られていた。更に言えば、その行為を見せびらかしてる感100%の誇らしげな顔付きが嫌だった。
食い物は食いたい様に喰うのが僕の基本。放っておいてやれよという気持ちが無い訳でもないのだが、蕎麦屋をダメにするのはこういう奴らなんでつい言ってしまう。『蕎麦はおやつ』『小盛りが粋』『蕎麦は汁にちょっと付ける』昼に食えば昼飯だろ。真っ当な量で出してこい!『盛り蕎麦は2枚食べるのが通』ふざけるな。だったら1枚を半額にしろ。
盛り蕎麦の量が少ないのは、その辺のあざとい奴らがやる“値段据え置き、量を減らす”へ更にエグ味を加えたものになっている。“高くて少量”。元々蕎麦なんてのは救荒食物ですぜ。ソテツの北限が関東でなくて良かった。もしそうなら『あの店のソテツ餅はアクを抜き過ぎて野性味が無えな』なんて江戸っ子の会話を聞かされてたんじゃないかと思う(笑)。
江戸時代、ニハチ16をもじり二八蕎麦の値段を16文に据え置いた為、需要が増えソバ粉の価格上昇に対応し量を減らしたのが小盛りの由来だそうな。いつまで江戸を引きずる。蕎麦つゆがからいのも、冷蔵庫の無い時代に味の劣化を防ぐという事で理解はできるが、どっぷり浸せる塩加減にして何がイカン?。
噛まずに喉で楽しめ?蛇にでも生まれ変われバカ!(笑)。ま、入れ歯のジジイには良いかもしれないな。そういえば日比谷公園辺りをうろついていると、老舗の蕎麦屋へ黒塗りを乗り付けるのはジジイばっかりだったもんな。
↑ は近所の名店“あんばい”。味は秀逸だが、値段にはヒトコト言いたい・・・もう300円安くならんか??・・・セコ!!
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