ぼーずの中学には色んな国から来た教師がいた。種明かしをすると彼等は教師として雇われていた訳では無く、教会から派遣された神父や修道士達だった。総じて彼らの質素な暮らしをしていた。強歩会という36Kmを5時間以内で完走するというイベントで世話人をした時、着替えの場所にボロ布が置いてあった。責任者の先輩に捨てますかと聞くと、『アホ。これA神父の上着や』正確には神父用のシャツであったがびっしりとツギが当たっていた。
バスケの顧問だったフリン神父もそれに負けない人でバスケットシューズや体操着はいつもヨレヨレになるまで使っていた。断っておくが教団に金が無いわけでは無い。彼等は必要なものがあれば出納係に伝票を切り、欲しいものを買う事が出来たのだ。買えるけど無駄なものは買わない・・・というよりモノに執着しないよう自らを律しているように見えた。
いつからだろう、バスケット部の卒業生は師に靴や運動用のウエアを贈ることが習慣になった。流石の師も贈り物はしまい込まずにちゃんと着てくれた。それも、最初の日は少し恥ずかしそうに着てくるのが微笑ましかった。当時は今はやりのバカでかいロゴが背中に入っているようなものが無くて幸いだったと言えよう。
そんな師が好きな唯一のゼイタクというのがオートバイ。なにせ昔のことなのでメーカーも憶えていないのだが、大抵の移動はオートバイであった。当然、家庭訪問も乗って来たが、今ほど細かい地図が容易に入手出来る時代では無い。学校に提出した地図を頼りに探してくれたのだと思う。
補記:友人のO嶋より『バイクは間違いなく古いハーレー』との連絡をもらった。Vツインの大型ではなく、排気量は小さめのタイプだった。
その後、同じく同級生だった968から『本人に聞いたらドイツ製と言うてはったぞ』と連絡をもらう。・・・真相は藪の中か
もっとも、次の家庭へ行く時はオートバイの後に最初の生徒を載せ、そいつに道案内をさせた。当時はノーヘルで師はかなりの飛ばし屋。未だに付き合いのある同級生ハラの家まではあっという間だった。その時に覚えた、風を感じながらすっ飛ばす爽快感は忘れられないものとなった。
長じてバイクに乗りだし、バイクを作る会社の門を叩いたのはこの時の体験があったからだと思う。昨年、神戸山の手幹線でネズミ取りにやられた。『ご主人の年代なら、もう少しおとなしく走って下さい』と警官に説教された。罰金は払うから聞けと前置きし、警官が隠れてコソコソ取締りするんじゃねーと目一杯文句を垂れてやった。
ただ、ここの一言だけは口にせず心の中で叫んだ。『スピードの出し過ぎやぁ?お前なぁ。ワシのせんせが飛ばした日には、あんなもんやないど。』
コメント一覧
ひげぼーず
日陰者
ひげぼーず
日陰者
日陰者
ひげぼーず
日陰者
ひげぼーず
968
ひげぼーず
968
最新の画像もっと見る
最近の「ひげぼーずのつぶやき」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事