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来る年・・・

最近は正月に門松を立てる家が減った。かく言うウチは僕が子供の頃から立てた覚えはないが、その頃はまだ近所で見ることは出来た。一休和尚の作とされる“門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし”に共感する人が増えたのかな(笑)・・・蛇足ながら上記の句は一休のものではなく、後世の創作ということだ。

元悪ガキたちも還暦を過ぎ、言われるまでもなくこの先は今までの生活より短くなることは間違いない。最近の同窓会では先に逝った友人を弔い『その内、ワシらもそっちに行くからのんびり待っててな』という事にしている。逝くのは間違いないが、そう早く呼んで欲しくも無いからだ。

3日という正月の真っ只中に同窓会をするなんてことは今まで無かったのだが、帰省中にやれという声が多いということでこの日の運びとなった。ゆーたらなんやけど、ワシャ30数年間そう言い続けてたんやけどな。関西に移住した途端、にやるというのは嫌がらせとしか思えん(笑)。まったく、ヘソ曲がりな奴らだ!

東京でやっていた時は、モンゴル式で指に付けた酒を空中に弾いて亡き友人達に弔意を示していたのだが、関西では出家して坊主(正しくはカトリックの神父)になった友人M浦がおり、彼の元で追悼のミサを立ててもらうことになった。会場はカトリック神戸中央教会。どこやそこ?という声が多かったが、我々が学生時代は中山手教会と呼ばれていた所だ。震災で建て直し、この名称になったという。



最近の教会らしく、モダンな造りだ。古い教会だとリアルに傷付いたキリスト像が掲げてあったりするが、あっさりしたものだ。母校でも十字架だけのお御堂が作られているが、これも時代の流れなんだろう。びっくりしたのは焼香台が設置されていたこと。これはキリスト教徒でなかったS村の為だと思い、M浦神父の柔軟さに感心したが・・・最近は結構普通に行われているということだ。



今までは同期のバチ当たりM田のオルガンで進行していたが、今回は彼が東京の自宅で正月を迎えるということで本職に依頼。パイプオルガンの荘厳な伴奏付きになった。最近のミサは音階のある斉唱が主なので、非常に助かった。式次第を忘れたものが続出し、蝋燭に火を灯そうとして『ラブホのライターやけど使こてええかな?』『所詮道具やけど、教会の蝋燭にはアカンやろ』とアホな混乱が続く。



神妙にしていたのはミサの終わりまで、60分もったのだからウルトラマンより上と威張っても良い。この後、近くにある一次会場に向かい、年初の飲んだくれ大会開始。二次会場は本格BarのSunshineで勝手なものを飲む。安全の為、時間制限を設けていたので22:00PM解散。結構回ったので帰ることにした。



『ちょっと待て、ワシそこのホテル取ってるんや。時間持て余すやないか』とS田。宅配ねーちゃんでも頼めと言ったがそんな歳ではないと拒否された(笑)。仕方なく翌日も飲み会のSと3人で終電まで付き合う。

先に轟沈したSがS田と同じホテルに泊まると騒ぎだした頃、やっと抜け出せた。出口から暫く歩くとまだ二人が飲んでいるのが窓から見える。40年前ならこのガラスに、ズボンずらして生尻付けてやったのになぁ。・・・ほう、お前も良識を持つように・・・と思った貴方、それは違う。尻を見せた後、走って逃げおおせる体力がもはや無いのだ。
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