僕は入曽の寮に入ったのだが、駅に着いて驚いた。喫茶店は1軒だけ。駅前には畑が広がり、正体不明の葉っぱが茂っていた。後日、農村?出身の同部屋になった友人に『ありゃ、ゴボウだよ』と教えられたが、その時はこんな野菜食えるのかと心配になったもんだ。まぁ葉っぱは誰も食わんな。
入社時の説明で聞いてはいたが寮は二人部屋。同期とは言え、いきなり知らぬ人間と暮らすのだから最初は抵抗があった。人様に2年遅れて入社したので、少しは肩身が狭いかと緊張していたが、1年2年は当たり前。最長老は29歳と聞いて驚く。なんちゅう会社だ。
同部屋の仲間も三浪の末に仕官?したというツワモノであったが、僕と違いストレートに卒業したエライ奴(それが普通??)だった。年上に加え、老け顔の為、その内に周りからとっつぁんと呼ばれだす(笑)
工場は通常2交代(一部3交代の終日営業)なので、早番の朝は早い。洗面所で歯を磨きながら外を見るとまだ頭に雪を抱いた富士山が見えるのが関西人にとっては新鮮だった。ある日、ふと下を見ると何やら小動物が走っている。でけーネズミ・・・にしては尻尾が太過ぎる。なんとリスがうろついていたのだ。
小学校の友人にその話をした所、寮の住所が入間郡で字が付くしどんな田舎やねんという葉書をくれた。寮はその内、学生寮??と化し、毎晩宴会といういまなら肝臓耐久レース状態だったのだが、これがあったから1年の工場実習に耐えられたのだと思う。
ウチの部屋にはギターと酒が常備されていたため、いつの間にか居酒屋部屋となり、気が付くと寮のおやぢ(管理人のY 倉さん)まで飲んでることがあった。この時みんなで歌ったのが入曽ブルース(岡林信康、山谷ブルースの替え歌)
今日のラインは辛かったぁ~
後は焼酎を煽るだけ
どうせぇ、どうせ入曽の寮住まい
ほかに、やるこーた、ありゃしねぇ~
あの頃、僕らは自分たちを正規期間従業員と呼んでいた。
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