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秒刻みの苦しみ

昨日に引き続き工場実習の話をしよう。この手のバイトは学生時代にやったこともあり、楽勝と考えていたのだが結構大変だった。特にライン作業と呼ばれた流れるコンベアー上で決められた作業をこなすのは、かなりストレスが溜まる。ただ若さと身体というものは不思議なもので、慣れていくのだ。

そのうち、鼻歌を歌いながらも手だけは車を組み立てることが出来るようになった。そんな頃、新しい混合生産という方法が導入された。それまで大型バイクのGL1000はゆっくりと、競技用モトクロスのCR250は早めのラインで流れていた。更にCRは構成部品が少ないので、ラインから人を抜いて他の作業に当てていたのだが、これがガラっと変わったのだ。

ラインは常に同じ速度で流す。今までの速さだとGLは60秒、CRは30秒かかったとしよう。混合生産とは40秒で流す替りにGLの後にCRを2台流し20秒の不足を10秒ずつ挽回するというものだった。これだと要員に無駄が出ない。ライン際の清掃や台車の入れ替えをしていた余剰人員(実際は彼らも働いているのだが)が不要となる。

数字上は成立するのだがやっていて不快なのは不足秒数だけ自分の立ち位置から後ろで作業する(工場用語であおられる=せかされた状態)ことだった。ラインでは工具や取り付け部品をある場所で使うようになっている。あおられる分、置き場を下げればいいと思うのは大きな間違えだった。

同じ工具を使っていると、動力源の圧縮空気を供給するパイプが伸びきって引っ張られるとイライラするだけでなく、作業がし辛い。さすがは乾いた雑巾を絞ると言わせしむ某企業が思い付いたシステムだけあって、極めて効率優先の非人間的なやり方であった。

後年、ボルボは流れ作業を止め、一つの場所で数人が一定の箇所を組み上げ、完成したら次工程に回すという小部屋方式に変えた。作業員の入れ替えも行い、一人が出来る工程を増やしたそうだ。会社目線の勝ち負けで言うと混合生産を最先端とするライン方式に凱歌が上がったのはまず間違えがない。

でも働き具合でいったらどうなんだろう。秒刻みにあおられる苛立ちから解放されるし、車を作っているという実感を持てると思うのだが。そもそもあおりという言葉自体、馬を(蹴って)急がせるという意味がある。僕が入社した1978年当時からクレーム対策費を減らすことが利益を増やす早道、要は無償修理で毎年莫大な損害を出していると教えられた。

この2つのやり方は売った後も含めて比較するべきだと思うのだが・・・辞める頃に言っても遅いんだろうなぁ。
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