欧米ではディベートを重んじ、小学生からやり方を学ぶ。テーマを決めて二つに組分けしたグループまたは個人で討論させることは当たり前だ。場合によっては自分の考えでは無く、与えられた前提でやらせることもある。例えばスーパーのビニール袋について有料、無料の二派へランダムに分けて討論させるという具合だ。袋を只で欲しくても有料派に入れられたら、なぜ有料がいいのかを述べなくてはならない。
ある意味、思ってもいない事を主張させる訳だからマイナスの効果も出るかもしれない。現地の学校に入れてから、子供が言い訳するようになったなんて話は駐在員の間でよくある話だ。主張しない奴はアホ、と思われる国なので、こういった教育が必要になるのだろう。だいたい、黙っていても判ってくれる人間なんて日本にだって滅多にいない。
今朝の新聞を見て驚いた。熊本の中学生に中学校教育研究会社会科学部のテストで川辺川ダムへの意見を書かせようとしたところ、県の教育委員会は『関係者の心情を思うと不適切』と一部中止に追い込んだという。テストは意見を確認するためではなく、論旨の論理性を見るためのものだというのに何を恐れたのだろう。
中学の頃、歴史のテストに『戦国時代に宣教師が及ぼした影響について』?だったと思うのだが小論文が出された事があった。先生は神父のタマゴであったため悪友の一人が、宣教師を悪く書いたら減点しないかと尋ねたことがある。先生は宣教師の是非を問題にするのではなく、歴史的背景の理解と論旨が論理的に成立していればちゃんと評価すると言った。事実、植民地化の先兵となった実例を挙げ否定的な書き方をした者もOKであった。
考えさせる教育とはこれだろう。年表を覚えさせるのが歴史の重点項目では無いだろうと思う。子供に自己主張をされると扱いにくい面もあるだろう。偉そうに言うぼーずとて、このクソ生意気なガキと思うかもしれない。但し、それが子供等の進歩でもあるのだ。思った事を言葉でうまく伝えられる子供が増えるのは喜ぶべきだと思う。
そして議論重ねる事により、相手に対する敬意を育み。相反する意見から、止揚という解決法を得る子供達が増えて欲しい。今の政治家たちを見るにつけ、絶望感に襲われながらもそう思ってしまう。問答無用なんて言えるのは頭の悪いテロリストだけにしてもらいたい。
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