まだの方へ
今に続く、あれから、、、
原発事故から2、3ヶ月しますと一応落ち着き、ネット情報を見る事が増えました。
その中で、
何故、スピーディーの公開をしなかったのか。
SPEEDIの情報を流していれば、放射能飛散状況を把握できて、被曝を避けられたのだが、知っていたけど黙っていた、という人あり、、。
SPEEDIが関東一円チェルノブイリ並みの汚染を予測していた。
東電幹部家族には西日本に避難しろと言うメールが拡散されていた。
警戒区域内に取り残された無傷の状態の遺体、、数百人?
「死後に被曝」とした。
被曝限度年間1000マイクロシーベルトが毎時1500マイクロシーベルト。
致死量超える莫大な放射能放出を認めて泣き崩れる幹部。
福島で基準値の1000万倍、都内で100万倍の記録
海外の報道機関が調査世界中の研究者が注目詳しい測定値を配信したが、マスコミ、公的機関はスルー。データ提供をやめた。
日本政府の秘密主義が横行。良識的科学者研究者は、「学問の独立と自由が保障されない暗黒時代が来た」と、。
モニタリングポストが機能していない状態で政府は安全を強調していた。
米エネ省から詳細な汚染状況を提供されたが政府は無視、公表せず住民の避難に活用しなかった。
町の防災無線では放射能が流れる北西方面に避難誘導、ワザと?
3月12日の時点で管轄下の組織に緘口令が敷かれた。
海外からの支援物、放射線量計、約5万個が行方不明?
よう素剤はパニックを避けるためと意図的に配布しなかった。
福島周辺だけアメダスの風向き予報が不自然に消えた。
マスコミ関係には250キロ避難の情報。
マスクすると、咎められた。
放射能事故の大きさを隠蔽したい思惑があった。
今はマスクしないと咎められる。
ウィルスが飛散している事を大々的にしたい。ワクチン打ちたい、と言う思惑。両論、共通している事がわかる。
事故後大衆は何も知らされずにいたが、知らされていた組織があり、事故後すぐ逃げた、、と言う話が結構あった。原発作業員にはいち早く情報は伝わっていた模様。
国会議員、官僚、原発ムラ住民の国外脱出。
我が自治体住民は武道館へ?どうりで見かけなかった、、。
こんなにあった海外政府による日本からの退避勧告、、
アメリカ、イギリス、、など約20カ国。
ほとんどの国が80キロ圏外へのチャーター機。
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事故後
これらの、インターネット情報は地上波テレビでは流されず、
延々と、赤十字(他)の組織が寄付金支援金を募り、子宮頸がんワクチン、お年寄りに優しく寄り添う若者(助け合いの意味?)のCMを流していました。
これらのCMが何故、事故直後に流す事ができるのか、この災害を事前に知っていて準備をしていたのだろう、、と言われていたが原発事故ニュースを普通に放送すれば全てを隠蔽出来ないと考えての事、だったとも考えられます。
当時は民主党政権、、
菅直人総理は東京まで2000万人規模の避難を考えていたと言います。
人口地震説、あの国の原発攻撃、東北地方が消えた地図、
後になって上記のように様々な事がわかってきました。
マスコミ、政府は隠蔽してきました。
それは何のためでしょうか?
このように日本は政府とマスコミの隠蔽された中で社会生活を送っています。
既に、日本政府には日本を守る為に働いてくれる官僚、国会議員は半分もいないと言われています。
我が村川内は汚染が低かった事で、9月の議会では、
除染の話、村民を集めての集会が開かれました。
その席には、東電関係者、省庁関係者も出席、ほぼ国の関係者主導で進められました。
避難や被曝に関する質問をしようとすれば、その意見疑問を遮る言葉が飛びます。何と、住民が発していたのです。
集会に集まる人たちは必然的に、原発作業員関係者とその家族、そして役場関係(家族は遠方に避難)の帰還の意志のある人たちになっていきます。
富岡町と川内村はビックパレットを行政の基点にしていましたが、既に国からの数人の出向職員が詰めており、行政関係は国の思惑通りの政策を進めてきました。
インターネット上では凄まじい内容と数の情報と、それを隠蔽削除すると言う戦いが繰り広げられていました。
丁度今の世界パンデミック、ワクチンの真相と虚偽の情報合戦と同じです。
村議会議員の選挙が半年延長になりましたが、この国と東電寄りの政策が強行される中で、村一議員の反対意見など、取り上げられる事は皆無、欺瞞に中の政策の一端を負っての議員活動に何の意味も見出せずむしろ人生の汚点になると、立候補は止めることにしました。
事故前はそれなりに目標がありましたが、事故後の裏の世界を知ったことで、生き方を変える必要がありました。
そして12月、当時の野田総理の事故収束可能宣言と、川内村の帰還が決定されました。
この川内村の帰還決定は明らかに双葉郡の復興に繋げるため、であり、当時は村長もメディアの顔となっていきました。
その頃はテレビに多くの人たちが登場しました。テレビの画面に登場すれば、一つの華やかな舞台と錯覚する人も出てきます。また、親近感を覚えます。この心情を上手く利用したのでしょう。
中には内容を曲げられ、都合よく編集されと憤慨する人も、いましたが、、。
因みに私もメディアに登場しています。
レイバーネット、二年後はフジテレビ系、、両方とも7月7日放映という奇遇さ、、。

次の2012年一月、村長の帰村宣言がなされ、川内村はあの過酷事故の中、一年後行政が戻り、小中学校が再開したのです。
この状況に私はその年4月に行われる村長選挙に立候補を決めたのでした。
皆さん、日本のマスコミ、政府は、国民の味方ですか?
今、日本はどのような状況にあるのか、十年前の原発事故当時から国の本当の姿を見ていただければと、思います。
2021 9/12