東日本大震災による 福島第一原発事故から一ヶ月 政経東北より転載
3月11日、定例議会終了直後、
私は二階議員室隣の屋上で携帯電話のチェックをしていた。
そ の時揺れが来てちょっと長いなと思っていたところ、
他の議員が議員室の窓から屋上に飛び出て 来た。
かなり横揺れが大きく長く続き、目の前の家の物置の屋根瓦がバラバラと落ちた。
役場は騒然と なり議会はそのまま散会、自宅に帰った。
仙台空港に津波が押し寄せてくるテレビの映像から地震の大きさが解った。
原発の被害がどうであったかずッとテレビを見続けていた。
東電関係の動きはその後の報告によると、
15時45分 オイルタンクが大津波によって流出
16時36分 1号機と2号機は非常用炉心冷却装置による注水が不可能になる。
16時45分 東電 通報を行う 19時03分 国が原子力緊急事態宣言の発令を記者会見
20時50分 福島県対策本部から一号機の半径2キロ以内の住民に退避命令 21時23分
菅総理1号機の半径三キロ以内の住民に退避命令
半径3キロから10キロ圏内の住民に屋内退避の指示
3月12日
8時ごろ防災無線により富岡町が川内に避難の放送があり役場から富岡方面の下川内に向かう、 途中のスタンドには給油待ちの車の列が出来ていた。
職員が避難先を誘導していた。
そのまま受け入れ施設を回りコミニュティセンターに続々と
富岡 町民の皆さんが到着、一通り様子を確認した。
二軒あるコンビニは瞬く間に商品がなくなっていった。
知人の娘さんが、ボランティアできたのだけどどこに行けばよいかと
聞いてきたので事務局へ、 そこには男性4,5人が申込をしていた。
彼女は中学校を指示されたがヨコの連絡が不確かであ ったことで、
中学校へ送っていった。
帰りに障害者を抱えるある家族が取り残されていたのを知 った。
ほかの避難者の迷惑になるので別の施設を望んでいた事で、
その旨を行政にお願いしたが 手間取った。
ここでお役所的仕事しかできない行政の対応を知ることになる。
東電関係者二台の車 防護マスク。
4時ごろ帰宅、原発一号機が爆発を知る。
この事から原発が更に深刻な状況になると判断、
富岡から自宅に避難していた妹一家4人と、年 老いた両親はひとまず、
いわきの姪のところへ、(次の日は埼玉の姉のところに移動) 幸い、
川前経由の道路は被害がなく無事いわきに着いたことを後日知った。
その頃から、災害用の電話171を利用していたが間もなく不通になり、
携帯電話は繋がりにく くなりその後使えなくなった。
携帯電話が一番頼りと思っていたが災害時は通用しないと言う事が解った。
災害時は誰もが身内の安否確認の為電話をかけ続けるが、
それはむしろ不通の状況を早め、マイ ナスになる。
例えば瀕死の状態にいる人の情報手段を絶つことにも繋がり
救える命が救えないと もなりかねない。
安否確認は身内一族で最小限度で確認できる方法を考えておくべきである。
3月13日
村内20の施設に5639人確認 役場はボランティァ募集を行っていたが、
富岡の知人によるとヨコの連携の不十分さで生かされ ていない
また携帯の充電も断られて、ほかの避難施設の対応の違いを指摘された。
3月14日
11時01分 3号機の建屋が爆発
富岡の知人一家は福島の実家に自主退避することを決める。
3月15日
06時ごろ 4号機で爆発音
06時10分 2号機の建屋の爆発
09時30分 4号機から出火 11時ごろ自然鎮火
知人からの退避がどうなっているかのメールに近辺の状況確認に向かう。
途中三軒の知人宅に寄 る。
この地区はいち早く自主避難で半数近くが村外に向かった事を知る。
11時ごろ村内屋内退避の防災放送、自宅に戻る。
夕刻、議員召集、警察関係者を含む行政からの報告を受け、
村は自主退避を決め、議員に賛否を 求めた。
村は全村民の避難先を県と各自治体に打診したが、
受け入れ先がなかった事で富岡、川内の住民 に自主避難となったとのこと。
個人的には富岡の妹一家と両親が早くに村外退避した事は判断としては正解だった。 国が発する、現時点では健康に影響はない、
と言うのは将来どのように表れるかわからないと言う意味でもある。
情報による対応は個々でするしかない。
3月16日
09時ごろ議員召集 村は富岡と郡山ビックパレットに合同自主避難を
決定の報告を受ける。
夜までに避難完了、川内の避難人口は513人(総人口約3000人)
私は家の整理をし7時ごろ行政区を見回った、明りのついている家はなかった。
役場に寄り村を出て、仙台の息子のアパートに向かう。
仙台も自身の影響を受け息子は山形の知人宅に避難中だった。
都路を通るが都路も避難したのか、点々と家の明かりがついているだけだった。
バイパスあたりで防護服マスクをした隊員たちを乗せた自衛隊の車5、6台とすれ違った。原発 に向かったようだが、すでに放射能汚染が高くなっていることを感じた。
東電の報告によると 朝、4号機が出火、3号機で白煙が上がり、
水蒸気が出たと推測され、10時以降は放射線量が 上昇している。
圧力抑制室が破損した2号機からの可能性が高い、と保安院の記者会見
この後は仙台に退避のまま燃料の確保が出来ず、移動できない。
仙台も水道は19日、復旧したが、12日現在ガスは復旧していない。
知人に避難所生活の様子を聞いた限り、比較的優遇されていて、
物質も食事も不便さを感じていない事を聞く。
屋内退避から自主避難に変わり滋賀県に行った知人からは
被災者への手厚い支援の報告がある。
仙台市には燃料がなかなか届かず、26日、29日、
二晩車に泊ってやっと福島往復に燃料を満 タンにする。
31日、
川内村避難所のビックパレットに寄り、状況を把握した。
村内居住者が約100人、確認の取れない村民が500人近くいる事が気になった。
その日は避難所に一泊した。
1日、
所用で川内に向かう。途中禁止区域に警察官が立っていた。
被災後 2週間ぶりに川内に、何か夢のような出来事さえに感じる。
思ったより車が走っていたのは近隣 市町村の中でも
川内の放射能汚染は数値が低い事が挙げられる。
それは気象関係、地理的条件か らの様である。
4月7日、
行政との合同会議 議員の中から、営農、自営業に対する補償、
高校などに通うためのアパートにかかる補助などに 対して質問があった。
政府で20キロから30キロ圏内に対して新たに法制定が必要であり、
そ の対応待ちと言う事であった。
郡山近辺に仮設住宅300戸を建設予定ということであったが
私は険区域拡大、最悪の県外退避 になった場合その対応はあるのかと質問した。
それは考えていないと言う。
この原発事故は安全神話のもと危険度を低く制定していたための人 災である。
同じように住民の安全確保を真剣に考えるならば
最悪の事態を想定して掛るべきでは ないか。
県もなぜか福島という枠組みの中での対応をしている。
全町村の仮設住宅は会津、喜多方、郡山、二本松、福島となっている。
他県の支援を聞くが、積 極的に進めている気配がない。
住民がなるべく自分の住んでいたところの近くをと望んでいる事 があるが、
その要求を聞いたままで更に汚染拡大につながったらどうするのであろうか。
最大の被害を想定しての対応をしなければ、
東電の最悪の場合の想定なしで進めてきた今回の事 故の教訓はないのだろうか。
原発推進してきた県と、自治体の他県に対する負い目と、
面子だとしたらそれこそ住民の安全を 考えていない事になる。
国も潔い決断をせず、安全だと繰り返し、
土壇場になってからの発表に終始している。
これでは 県民も戸惑うばかり、先を読んだ生活基盤を築くことが出来ない。
昨日、今日と被災者に対する当面の補償が提示されたようだが、
放射能汚染被害が長引く事は確 実、単なるバラマキではなく他県に住みかえ、
雇用の促進など先の見える対策をするべきではな いだろうか。
この記事の乗った5月初旬はどうなっているかわからないが、、。
被災証明書を発行してもらった。
息子は災害時仙台にいたことで発行できないと言う。
更にこの証明書は病院にかかるとき、
証明を求められた時と職員では被災証明で
その保証を受けられるメリットは何もないと言うこと ではないか、
と言うと、そうなんです、という。
こんな時になっても出し惜しみする役所体質、
厚遇故、住民の窮状が理解できないのである。
自分の責任でそうなったのではないのだから、
国 の対応待ちより、臨機応変、本当の住民の為の行政職員であって欲しい。
役所体質、頑張らず、ほどほどには災害時には通用しない
試しに高速料金所で提出すると何とオーケーであった。
被災証明についてきちんと説明できない のでは困る。
私は兼ねてから議員報酬、役場職員の厚遇に改善を求めてきたが、
何の報告もなしに3月の議員 報酬の振り込みのなかった事に言及した。4月には必ず振り込みます、との答弁だった。
この混 乱にかこつけて報酬減の提案を混同させた、いい加減な事務対応、
これが何事にもなあなあで済 ます体質を増長させてしまう懸念から言ったのだが、
他議員達のよくぞ言ってくれたと言わんば かりの小さな歓声、
どうして自分が言えなかったか、
議員として誇れる活動をして来たなら堂々 と言える筈ではないだろうか。
質問についても、自分とその関係する人たちのための補償、
についてであり、村民の更なる安全 対策については聞かれなかった。
この度の原発事故は立地近隣自治体にも責任の一端があると思っている。
東電への雇用と、協力 の補助、交付金の恩恵を受けてきた。
それとは引き換えに安全対策強化の提言を怠り、
住民の安全対策をおろそかにしてきた。
それは風力発電事業推進に表れている。
風車による健康被害、森林伐採道路工事の自然環境破壊、
炭素排出事前災害誘 発の反対に耳を傾けず風力発電事業の推進に血道を挙げ議会、
この様子から、住民の安全より利 権を選ぶ姿が良く解る。
山頂の風力発電の電力は東電に売られる事になっていた。
その東電の原発が安全神話を崩壊さ せ、全国全世界に放射能物質を拡散している。 一部の反原発の意見を抹殺、国策、東電の言うがままに原発を推進、
風力発電事業を推進してき たのはひとえに利権の為である。
今,主を失った犬のようになすすべも無く止まったままの隣町山頂に建つ風車、
これをみて利権 一辺倒議会運営をしてきた事を反省してもらいたいものである。
さて、議員選挙が延期になり、議員職が延長された。
震災前から私はボランティア議員を提唱し た。
其の内容は、住民の皆さんと自然農から自然村への構築に報酬を
共有するものだった。
大きく状 況が変った今、何をボランティァ活動にするかである。
それはこの災害のなかで自立を目指し頑張る人のために使いたいと
その準備を進めている。
幸い、支援して下さる方が他県、東京、神奈川にいて
情報を提供してくれる人がいる。
また川内 に残っている人たち、行政の行き届かない人達の支援に、
川内に限らず県内の活動に、そして議 会廃止論を引き続き展開していく。
今回の事故でボランティァ活動が国内外問わず活発であった、
それとは引き換えに、議員と言わ れる人の無能が目立った。
国会議員、地方自治体に求められるもの、
それは利権、既得権益のた めに働く議員ではなく、住民至上の政策である。
その最たるものは議員定数減、議員報酬減、
地 方自治体議会廃止の政治システムの変換である。
そして公務員改革、
国の財政歳出20兆円は議員公務員の人件費だと言うがシステムの改革で、
災害復興の予算に回して欲しい。やる気であれば半分の削減は可能だ。
国難を乗り越えるには国と、地方自治体が如何に国民の為の政治を行うか、である。
原発事故から1ヶ月まで、、政経東北2011、5月号掲載より
(同カテゴリ、過去記事もよろしく)
2021 8/18 転載日
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