「ふるさと」の歌が歌えるまで、、、。
原発事故の避難生活では、
多くの方の支援がありました。
その事は、支援された方、支援していただいた方、
多くの方の人生に、忘れられない想い出
として刻み込まれるに違いありません。
みんなで集まった時「ふるさと」を歌う事がありました。
その寄り添う心が有り難く、そして辛く、
もの悲しいメロディ、ついに胸につまって歌えませんでした。その様な方は多かったと思います。
あれから10年、
それぞれのドラマを経て、
新たにこの時を出発点として歩み始めた方も多いと思います。私も避難か帰還か決めかねていましたが、
心機一転、まこと魂の復興と位置付け、
「ふるさと」が歌える迄、頑張ることにしました。
先ずは、双葉町にあります伝承館へ、、。
「東日本大震災、原発災害伝承館」
原発事故ではなく、
原発災害としたところにその意図を感じました。
県の施設という事でしたが、、、、入場料600円です。
当事者意識がないところが、腑に落ちませんが、、、。
周りは平地で工場らしき建物はありますが、
何故にまた沿岸部を選んだのでしょうか?
もう津波は来ないとでも、、??
日曜、閉館間近だったこともあり、
他に家族連れ5組ほど、
モニタリングポストの線量は、0、06、
関東地域より低い様です。
以前は低く設定してあると問題になりましたが、、。
気になる方三割増に考えればいいかな、と思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/91/4c012e6e42ab965c10e0ee655419204c.jpg?1624870924)
中に入りますと、復興をアピールした写真展示、
原発事故の資料館とかけ離れた感じです。
促されて入った、ホールの大スクリーンで、
ザッと原子力発電所建設までの歴史をみる、5分ほど。
螺旋状になっている通路を上りながら
壁に展示してある写真を見ていく。
その当時の混乱ぶりが一応は伝わってくる。
3月11日、15:37 津波到達
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/1f/9def6e4cf8a42be251c67710bd17c8f0.jpg?1624870925)
浜通りのひとたちは、一晩かけて車で、西へ西へ、、
寒さと燃料の心配、渋滞、赤ちゃんのこと、お年寄り、、
それぞれの苦難の逃避行。
(右上、スクロールズームアップでご覧ください)
21:03 10キロ圏内に避難指示。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3e/c1563d06a3eea3e8ab696c4431596346.jpg?1624870924)
何箇所か壁に、防犯カメラと言うより監視カメラかも
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ff/d624d6d58e50ee5368dd76dd86ff8b59.jpg?1624870924)
3月12日15:36 水素爆発
川内村を猛スピードで西へ逃げた
防護マスク付けた人達乗せた、バン二台、
川内村は富岡町の避難場所になっていたのに
住民に知らせないまま逃げた、、。
枝野当時の官房長官はずっと
「直ちに健康に被害はない」と、言い続けていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/98/5df125fe24c574fbd247ad86095dacd3.jpg?1624870926)
15日夕方、避難場所決まらないまま、村民の半数は西へ、、。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/5c/5776723601aa3f6e7268719bc588f675.jpg?1624870927)
福島民報・福島民友新聞
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/61/0c464ddbd205d2b2e0c64e0048be239d.jpg?1624870927)
災害が起き、復興までの展示である。
原発の危険性、被曝、健康被害、環境汚染状況の展示は無い。
この伝承館が将来にかけ、
どの様な役割を担っていくのだろうか?
住民がふるさとで新たな人生、
歴史を作る事が可能なのだろうか?
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「ふるさとの歌が歌える日はいつになるのだろう。
希望は灯火はそれぞれの胸に。
ろうそくの火が🕯1本が10本に、
10本が100本に、、、、増えます様に🙏🙏🙏🌸
2021 6/28