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光の世界へようこそ❣️

311の教訓と未来への提言 (3) 再投稿です。ふるさとの歌が歌えるまで

「ふるさと」の歌が歌えるまで、、、。
原発事故の避難生活では、
多くの方の支援がありました。
その事は、支援された方、支援していただいた方、
多くの方の人生に、忘れられない想い出
として刻み込まれるに違いありません。

みんなで集まった時「ふるさと」を歌う事がありました。
その寄り添う心が有り難く、そして辛く、
もの悲しいメロディ、ついに胸につまって歌えませんでした。その様な方は多かったと思います。

あれから10年、
それぞれのドラマを経て、
新たにこの時を出発点として歩み始めた方も多いと思います。私も避難か帰還か決めかねていましたが、
心機一転、まこと魂の復興と位置付け、
「ふるさと」が歌える迄、頑張ることにしました。

先ずは、双葉町にあります伝承館へ、、。

「東日本大震災、原発災害伝承館」
原発事故ではなく、
原発災害としたところにその意図を感じました。
県の施設という事でしたが、、、、入場料600円です。
当事者意識がないところが、腑に落ちませんが、、、。

周りは平地で工場らしき建物はありますが、
何故にまた沿岸部を選んだのでしょうか?
もう津波は来ないとでも、、??

日曜、閉館間近だったこともあり、
他に家族連れ5組ほど、
モニタリングポストの線量は、0、06、
関東地域より低い様です。
以前は低く設定してあると問題になりましたが、、。
気になる方三割増に考えればいいかな、と思います。






中に入りますと、復興をアピールした写真展示、
原発事故の資料館とかけ離れた感じです。
促されて入った、ホールの大スクリーンで、
ザッと原子力発電所建設までの歴史をみる、5分ほど。
螺旋状になっている通路を上りながら
壁に展示してある写真を見ていく。
その当時の混乱ぶりが一応は伝わってくる。


3月11日、15:37 津波到達



浜通りのひとたちは、一晩かけて車で、西へ西へ、、
寒さと燃料の心配、渋滞、赤ちゃんのこと、お年寄り、、
それぞれの苦難の逃避行。
(右上、スクロールズームアップでご覧ください)
21:03 10キロ圏内に避難指示。


何箇所か壁に、防犯カメラと言うより監視カメラかも


3月12日15:36  水素爆発
川内村を猛スピードで西へ逃げた
防護マスク付けた人達乗せた、バン二台、
川内村は富岡町の避難場所になっていたのに
住民に知らせないまま逃げた、、。
枝野当時の官房長官はずっと
「直ちに健康に被害はない」と、言い続けていた。


15日夕方、避難場所決まらないまま、村民の半数は西へ、、。


福島民報・福島民友新聞

災害が起き、復興までの展示である。
原発の危険性、被曝、健康被害、環境汚染状況の展示は無い。

この伝承館が将来にかけ、
どの様な役割を担っていくのだろうか?
住民がふるさとで新たな人生、
歴史を作る事が可能なのだろうか?
「ふるさとの歌が歌える日はいつになるのだろう。
希望は灯火はそれぞれの胸に。
ろうそくの火が🕯1本が10本に、
10本が100本に、、、、増えます様に🙏🙏🙏🌸


2021 6/28








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