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おばさん議員奮闘記、私は、なぜ、議員を目指したか??

西山村議が明かす村の実態

「普通のお母さんが良い」平成15年に初めて議会議員に立候補することを打ち明けたときの娘の言葉である。
無理もなかった父親が亡くなってまだ2ヶ月も経っておらず、
娘としては母親がさらに多忙になっていくことに不安があったのかもしれない。
しかし、子供の未来を真剣に考えれば考えるほど
この川内村を変えなくてはならないと言う思いが強くなっていった。
母親としては失格かもしれないが、子供たちを思えばこの立候補。
娘もいつかそんな私の気持ちが理解できる時が来ると信じて、
立候補することにした。

初挑戦は落選だったが、次は最下位ながら当選を果たした。
私がなぜそれまでそれほどにまで、議員になるなろうとしたのか?
それは平成6年に川内村にUターンした時まで話は遡る。

その頃、村はゴルフ場建設の話が持ち上がっていて、
環境保全推進の観点から、反対派の人たちを応援していた。
一方両親は、当時の村長の支持者で、建設賛成派だったが、
ゴルフ場建設の説明や、推進の話を何も考えなしに受け入れていたようだ。
ある日、両親と賛成派の仲間との会話の中に、
反対派を懲らしめる」との言葉を聞いた。
まさか聞き間違いだろうと思ったが、そうではなかった。
ゴルフ場建設反対派の人たちが、村八分にされていることがわかった。
(行政区を更に分けた、一忌組合で、反対派二、三軒残し、賛成派は脱会)
何でも役場職員OBが先導したとの話で、今時こんな事はあるとは…、
反対派の努力のおかげでゴルフ場建設には至らなかったが、
本当の中身は派閥対立による権力争いだったことがわかった。

派閥対立はそのまま住民の対立である。
同派閥以外はみんな敵と言う感じだ。
両親もそんな村社会にとっぷりと浸かってきたようで、
理解に苦しむ話が多かった。

行動は何でも親の許可を得てからにすること、
反対派閥の〇〇さんとは話をするな、
選挙では〇〇さんを応援する事、
ある時なぜ、そんなに現職村長を応援するのか」と質問。
「(私たちの)就職を世話してもらえるから、、」これには唖然。
では反対派の人たちはどうなるのか?との問いには答えなかった。

その言葉通り、夫の休職中、村長の親族のAさんが家に来て、
「役場が開く迄(欠員が出る迄)〇〇建設で働いてはどうか」と言う。

なぜこの人が役場の人事の事までわかるのか疑問だったが、
とりあえずと言うことで夫は現場見学に連れていかれた。
帰ってきた夫はなんとなく変だ、と、その話を断った。
一体何が変なのか、これは後々になってわかってきた。
その鉄塔工事にはかなり大勢の関係者が入りそれを取り仕切っていたのは、
当時の村長のブレーンであるAさんで、
村長サイドからの情報でこの事業に関わっていた。
そこで働く人は村長派で占められていた。
Aさんが夫の就職の世話をしようとしたのは、翌年に、
Aさんの夫が議員選挙を控えていたからで、
私たちの応援を得たいがためであったことがわかった。
夫が変だと言ったのはその裏の不透明さを敏感に感じていたからだ。

その後、広報でイワナの里の職員募集のお知らせがあり、
両親にどんなものかを聞いてみた。
すると母は、〇〇さんに聞いてみると言う。
帰ってきた母は決まっているようだが一応面接を受けてみてはと言われたという。
後でわかったが公募は形だけで裏では既に決まっているとのこと、
面接を受けた夫は格好のカモフラージュ役だったことになる。

村長選挙を3カ月後に控えた頃、
母が「あっち(反対派)からお金なんかもらうなよ」と言った。
「えっ川内でそんなことあるの」と言うと母はうろたえた。
それから2ヶ月ほどして、今まで家に来たことのない人が続けてやってきた。

そして勝手に上がって、茶封筒を置いていったのである。
その現実にお先真っ暗のどん底に突き落とされたような感覚がした。
封筒の中には50,000円が入っていた。
選挙買収は別の世界の出来事と思っていたし、
まして自分に起こるとは夢想だにできなかった。
この現実に様々な思いが交差した。

まず両親のことだ。
村長派として大きく関わってきただけに、買収のことを告発したら、
反逆と受け取られ敵視され、いじめに会うことになる。
家族として村八分にされることも覚悟しなければならない。
だが、最初から答えは決まっていた。
親が犯罪を認識しながらそれを犯す、と言う事は子供の尊厳を否定することであり、
子供に対しこれほどの裏切りはない、と、
私たち夫婦は両親の立場を守ることより、
子供に恥ずかしくない生き方をすると言う選択をした。

選挙買収をする方が、利権、既得権益の権力保持に躍起になっているが、
される方の身になれば、暗い闇のどん底に突き落とされるに等しい。
平気で犯罪に巻き込む、私はその対象にされたことが悔しく、
買収でなびくと思われていた事にプライドも誇りも傷つけられた。

夫は仕事の関係で2 、3日家を開けていたが帰ってきて、
すぐにお金を返しに行ってくれた。
間髪入れず村長と議員2名が自宅に来て、
〇〇議員が「俺のことを誰だか知ってか」と言った。
その時は何を言っているのか分からなかったが、
しばらくしてそれは脅しだとわかった。

買収金を返したことで、村長反対派からは画期的な事と、賞賛されたが、
村長派者には敵視された。
母は、村長派の中で婦人会副会長をしていたが、
それだけ風当たりも強かったようだ。
当時の課長に婦人会副会長を止めてもらう。と、
言われたりかなり辛そうではあったが、
私は自身が応援してきた村長派の実態をもっとよく知り、
目を覚ましてほしいと言う気持ちだった。

選挙買収は村の裏公認となっており、
普通の主婦も何のためらいもなく関わっていることがわかった。
この年の選挙では両派から10人近くが逮捕された。
その時の村長のコメントが全く無責任なものであったため、
買収の件を告発した。
無法許すわけにはいかない、と言う思いと、当事者は反省してもらいたい、
村民にはきちんとした善悪の判断を促したい
との思いで、捜査には積極的に協力した。

何回かの事情聴取の中で村のさらなる無法状態を知った。
買収に関わるある人物がどうしてもわからなかった。
ある日検察から買収に関わったのはこの人かと確認を求められたが、
その時に検察から示されたのは別人で替え玉であることが分かった。
国家機関を欺き平然とているわが村の執行機関のレベルの低さに
情けない思いがした。

しばらくして、Aさんが逮捕された。
しかし関係者は反省の色もなく、
逆にAさんは違反者全員の罪を被って臭い飯を食ってくれた。と、
むしろ英雄視されたと言う。(執行猶予付き)この間に1人の自殺者が出ている。
故郷のあまりの自堕落が信じられなかった。
この様な村で我が子に人生を送らせるわけにはいかない。

いつか普通のごく当たり前の社会を、と、この経験によって、
村の政治のあり方に向けるようになった、ということである。

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