(「花降る里」の記事、ほぼ転載。)
幸福の科学大学の設立は「不認可」になりました。
しかも、向こう5年間の申請を許さないペナルティ付き…!?
私立の大学が自己資金でハーバートに負けない大学をつくろうとしている時に、5年間は建てさせないって、文科省は何がしたいのでしょう?
既に、校舎は完成に向かって着々と進められていて、開学を待ち望んでいる高校生や幸福の科学大学一本に的を絞った浪人も多数いるというのに…
選挙なら、落選しても又挑戦しようと思えば挑戦できますが、大学だけは認可されなければ、開学することも出来ないワケで、幸福実現党の惨敗より、幸福の科学大学の不認可の方が何十倍もショックです。
開学を夢見た人々が投じた資金も時間も人生設計も、この決定で一瞬にして吹っ飛びました。
うかつにも、夜に人づてに聞いてネット(こんな時だけ、やけにあちこち、出ましたね)で確かめるまで知らなかったのですが、怖れていたことが現実になってしまい、呆然としてしまいました。
今回、大学の認可が下りなかったことで、「幸福の科学」が負ったダメージの大きさは計り知れませんが、なにより、日本の今後に与える影響も(今は、負け惜しみにしか聞こえないでしょうが…)実は計り知れないだろう!と思います。
「幸福の科学という「宗教」と、そこに降ろされたさまざまな「霊言」が、学問に値しない」という認定を下してしまった「日本」が、今後どのようなコトになっていくのか、予断は許されなくなりました。
安倍政権の最高の指南役、岡崎久彦氏が世を去った今、「安倍政権と差し違えても大学設立を果たしたい」と語っていた大川総裁の悲願の「幸福の科学大学」の設立を阻んだ安倍政権は、最も頼りにすべきブレーンを「お払い箱」にしたことになりました。
村山政権の時の阪神大震災。管政権の時の東北大震災。サヨク政権時には、必ずヒドイ天変地異に見舞われた日本ですが、保守の安倍政権なら安泰だとはとても云えなくなりました。
実は、広島の土石流も御嶽山の噴火も、昨今の天変地異が、高天原の結界(つまり、日本人の信仰心)のスキに乗じて起こったことであることが、大川総裁の霊査によって明らかにされていますが、安倍政権は、日本の神々と地球神の“ご加護”を振り払い、自ら破滅の道を歩み始めたのでしょうか?何を「保守」しようとしているのでしょう?
予断を許さないといいましたが…今日本で一番危惧されている、「富士山の噴火や都市の直下型地震が起こるなら、今かもしれない」と幸福の科学の信者は内心怖れています。
それくらいの衝撃を、この「幸福の科学大学の不認可」がもたらすのではないか?ということです。
ことある毎に「幸福の科学大学」が日本の未来を開く!と云ってきましたが、未来を開くどころか、頼みの安倍政権に阻まれ、その安倍政権が天の怒りを買って終わるのかと思うとやりきれません。(今日は日本全国良い天気!杞憂ならそれに越したことはありません。)
まだ、悲観してはいけないのでしょう。
安倍政権を倒し?幸福実現党が政権を取り、来年こそ「認可」を勝ち取れば良いだけです。(この“厚かましさ”が嫌われる?ああ~、まだまだ試練は果てしない!)
産経ニュースによれば、「『霊言(霊言集)』が学問の要件を満たしているとは認められない。」と判断されたらしい。そして、「審査中に大川総裁の著作が委員に送付されるなど「認可の強要を意図すると思われるような不適切な行為が行われた」ことが、委員の不興を買い、ペナルティーに繋がったことが分かりました。
まだまだ、「幸福の科学」にも足りない(行きすぎた?)ところがあったのでしょう。
反省すべき処は反省して、めげずに出直すべきと思います。
不屈の闘志!これだけは、誇ってよいと思います。
それにしても、不認可のまま、大学の“シュミレーション”始めちゃったらいけないんでしょうか?
学生も先生も“容れ物”も揃っているのに、勿体ないったらありゃしない!
この大学の設立「許認可制度」自体、日本の自由闊達な発展を阻む「阻害要因」そのものなんじゃないでしょうか?
日本は、これだけ世界に遅れをとっているというに、相変わらず、お互いの足を引っ張り合っている“井の中の蛙”状態。
青色LEDを発明した中村教授じゃないけれど、飛び出したモン勝ちな気がしてきます。
幸福実現党も、世界に飛び出してアピールした方が早いんじゃないでしょうか?(スミマセン!ヤケクソ気味に、言いたい放題、云ってます…)
とにかく、安倍政権には失望しました。
今回の「幸福の科学大学の不認可」で、まだまだ「忍耐の時代」が続くことが、決定しました。
負けるな、日本!
リバティの記事です。
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8660
「幸福の科学大学」開設不可 大学設置審が文科相に答申
2014.10.29
学校法人幸福の科学学園(理事長・木村智重)が、2015年春の開学を目指して設置認可を申請していた「幸福の科学大学」について、文部科学省が管轄する大学設置・学校法人審議会は29日、同大学の設置を「不可」とする旨を文部科学相に答申した。
同学校法人によると、審議会が不可とした理由について、同大学の創立者である大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁が行っている「霊言」に対し、「霊言が根底にある教育課程は大学教育において認められない」という趣旨のことを伝えてきたという。
この「霊言」とは、大川総裁が人知を超えた霊的能力を使って、あの世の霊や地上で生きている人の守護霊を呼び、本音を語らせる「霊言現象」のこと。霊言は公開の場で行われており、その内容は著書として、これまでに280冊以上発刊されている(10月末時点)。
審議会は「霊言」について「科学的合理性が立証できていない」としている。しかし、例えばキリスト教系の大学では、イエス・キリストの復活や三位一体説などを天国や神が存在することを前提にキリスト教学を教えている。こうした神学は「科学的合理性の立証」があるわけではない。カントやヘーゲルなど哲学についても、科学的証明がなされているわけではないので、さまざまな文科系の学問が審議会の主張では否定されることになる。
大川総裁は、29日に発刊したドイツ観念論の祖・カント(1724~1804年)に関する著書『カント「啓蒙とは何か」批判』のあとがきで、こう指摘している。
「(カントの)その行為は、中世的教会権力から学問を自由にしたのと同時に、神仏・霊界・魂から人間の精神活動を遠ざける力をともなったといってよい。近代以降、ある意味で、『預言者は死に絶えた』のだ。賢明な読者にはもうお判りかと思う。現代日本で、『カント』対『大川隆法』の壮絶な思想戦が繰り広げられていることを。異端審問のガリレオの側に立たされているのは、今度は、『宗教』の側なのである。『未来の学問』が成り立つかどうか、それは宗教への尊敬の念にかかっていると言っても過言ではあるまい。」
同大学の設置認可を「不可」とした審議会の判断は、まさに「宗教」の側が異端審問にかけられた結果である。その上でなお、今回の審議会の指摘で、同大学の授業全体が霊言をベースに行われるかのような印象を与えていることも問題だ。
学校法人幸福の科学学園はこれまで、既存の学問体系に則った内容で大学の授業計画を構成・申請してきた。霊言を一部参考にした授業としては、私学の特色として当然認められるべき範囲で「建学の精神」を学ぶ科目が、1年生の前期と後期で1科目ずつ置かれているが、人間幸福学部、経営成功学部の文系2学部で、卒業に必要な124単位中4単位であり、理系学部の未来産業学部では132単位中4単位と、ごく一部である。
同学校法人が運営する、2010年に開学した幸福の科学学園中学校・高等学校(栃木県)と13年に開学した幸福の科学学園関西中学校・高等学校(滋賀県)からは、すでに東京大学をはじめとする難関大学に多くの合格者を出したり、チアダンス部が国際大会で優勝するなど、文武両道の実績を上げている。
【関連記事】
2014年11月号記事 幸福の科学大学 待望論
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8464
幸福の科学大学の設立は「不認可」になりました。
しかも、向こう5年間の申請を許さないペナルティ付き…!?
私立の大学が自己資金でハーバートに負けない大学をつくろうとしている時に、5年間は建てさせないって、文科省は何がしたいのでしょう?
既に、校舎は完成に向かって着々と進められていて、開学を待ち望んでいる高校生や幸福の科学大学一本に的を絞った浪人も多数いるというのに…
選挙なら、落選しても又挑戦しようと思えば挑戦できますが、大学だけは認可されなければ、開学することも出来ないワケで、幸福実現党の惨敗より、幸福の科学大学の不認可の方が何十倍もショックです。
開学を夢見た人々が投じた資金も時間も人生設計も、この決定で一瞬にして吹っ飛びました。
うかつにも、夜に人づてに聞いてネット(こんな時だけ、やけにあちこち、出ましたね)で確かめるまで知らなかったのですが、怖れていたことが現実になってしまい、呆然としてしまいました。
今回、大学の認可が下りなかったことで、「幸福の科学」が負ったダメージの大きさは計り知れませんが、なにより、日本の今後に与える影響も(今は、負け惜しみにしか聞こえないでしょうが…)実は計り知れないだろう!と思います。
「幸福の科学という「宗教」と、そこに降ろされたさまざまな「霊言」が、学問に値しない」という認定を下してしまった「日本」が、今後どのようなコトになっていくのか、予断は許されなくなりました。
安倍政権の最高の指南役、岡崎久彦氏が世を去った今、「安倍政権と差し違えても大学設立を果たしたい」と語っていた大川総裁の悲願の「幸福の科学大学」の設立を阻んだ安倍政権は、最も頼りにすべきブレーンを「お払い箱」にしたことになりました。
村山政権の時の阪神大震災。管政権の時の東北大震災。サヨク政権時には、必ずヒドイ天変地異に見舞われた日本ですが、保守の安倍政権なら安泰だとはとても云えなくなりました。
実は、広島の土石流も御嶽山の噴火も、昨今の天変地異が、高天原の結界(つまり、日本人の信仰心)のスキに乗じて起こったことであることが、大川総裁の霊査によって明らかにされていますが、安倍政権は、日本の神々と地球神の“ご加護”を振り払い、自ら破滅の道を歩み始めたのでしょうか?何を「保守」しようとしているのでしょう?
予断を許さないといいましたが…今日本で一番危惧されている、「富士山の噴火や都市の直下型地震が起こるなら、今かもしれない」と幸福の科学の信者は内心怖れています。
それくらいの衝撃を、この「幸福の科学大学の不認可」がもたらすのではないか?ということです。
ことある毎に「幸福の科学大学」が日本の未来を開く!と云ってきましたが、未来を開くどころか、頼みの安倍政権に阻まれ、その安倍政権が天の怒りを買って終わるのかと思うとやりきれません。(今日は日本全国良い天気!杞憂ならそれに越したことはありません。)
まだ、悲観してはいけないのでしょう。
安倍政権を倒し?幸福実現党が政権を取り、来年こそ「認可」を勝ち取れば良いだけです。(この“厚かましさ”が嫌われる?ああ~、まだまだ試練は果てしない!)
産経ニュースによれば、「『霊言(霊言集)』が学問の要件を満たしているとは認められない。」と判断されたらしい。そして、「審査中に大川総裁の著作が委員に送付されるなど「認可の強要を意図すると思われるような不適切な行為が行われた」ことが、委員の不興を買い、ペナルティーに繋がったことが分かりました。
まだまだ、「幸福の科学」にも足りない(行きすぎた?)ところがあったのでしょう。
反省すべき処は反省して、めげずに出直すべきと思います。
不屈の闘志!これだけは、誇ってよいと思います。
それにしても、不認可のまま、大学の“シュミレーション”始めちゃったらいけないんでしょうか?
学生も先生も“容れ物”も揃っているのに、勿体ないったらありゃしない!
この大学の設立「許認可制度」自体、日本の自由闊達な発展を阻む「阻害要因」そのものなんじゃないでしょうか?
日本は、これだけ世界に遅れをとっているというに、相変わらず、お互いの足を引っ張り合っている“井の中の蛙”状態。
青色LEDを発明した中村教授じゃないけれど、飛び出したモン勝ちな気がしてきます。
幸福実現党も、世界に飛び出してアピールした方が早いんじゃないでしょうか?(スミマセン!ヤケクソ気味に、言いたい放題、云ってます…)
とにかく、安倍政権には失望しました。
今回の「幸福の科学大学の不認可」で、まだまだ「忍耐の時代」が続くことが、決定しました。
負けるな、日本!
リバティの記事です。
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8660
「幸福の科学大学」開設不可 大学設置審が文科相に答申
2014.10.29
学校法人幸福の科学学園(理事長・木村智重)が、2015年春の開学を目指して設置認可を申請していた「幸福の科学大学」について、文部科学省が管轄する大学設置・学校法人審議会は29日、同大学の設置を「不可」とする旨を文部科学相に答申した。
同学校法人によると、審議会が不可とした理由について、同大学の創立者である大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁が行っている「霊言」に対し、「霊言が根底にある教育課程は大学教育において認められない」という趣旨のことを伝えてきたという。
この「霊言」とは、大川総裁が人知を超えた霊的能力を使って、あの世の霊や地上で生きている人の守護霊を呼び、本音を語らせる「霊言現象」のこと。霊言は公開の場で行われており、その内容は著書として、これまでに280冊以上発刊されている(10月末時点)。
審議会は「霊言」について「科学的合理性が立証できていない」としている。しかし、例えばキリスト教系の大学では、イエス・キリストの復活や三位一体説などを天国や神が存在することを前提にキリスト教学を教えている。こうした神学は「科学的合理性の立証」があるわけではない。カントやヘーゲルなど哲学についても、科学的証明がなされているわけではないので、さまざまな文科系の学問が審議会の主張では否定されることになる。
大川総裁は、29日に発刊したドイツ観念論の祖・カント(1724~1804年)に関する著書『カント「啓蒙とは何か」批判』のあとがきで、こう指摘している。
「(カントの)その行為は、中世的教会権力から学問を自由にしたのと同時に、神仏・霊界・魂から人間の精神活動を遠ざける力をともなったといってよい。近代以降、ある意味で、『預言者は死に絶えた』のだ。賢明な読者にはもうお判りかと思う。現代日本で、『カント』対『大川隆法』の壮絶な思想戦が繰り広げられていることを。異端審問のガリレオの側に立たされているのは、今度は、『宗教』の側なのである。『未来の学問』が成り立つかどうか、それは宗教への尊敬の念にかかっていると言っても過言ではあるまい。」
同大学の設置認可を「不可」とした審議会の判断は、まさに「宗教」の側が異端審問にかけられた結果である。その上でなお、今回の審議会の指摘で、同大学の授業全体が霊言をベースに行われるかのような印象を与えていることも問題だ。
学校法人幸福の科学学園はこれまで、既存の学問体系に則った内容で大学の授業計画を構成・申請してきた。霊言を一部参考にした授業としては、私学の特色として当然認められるべき範囲で「建学の精神」を学ぶ科目が、1年生の前期と後期で1科目ずつ置かれているが、人間幸福学部、経営成功学部の文系2学部で、卒業に必要な124単位中4単位であり、理系学部の未来産業学部では132単位中4単位と、ごく一部である。
同学校法人が運営する、2010年に開学した幸福の科学学園中学校・高等学校(栃木県)と13年に開学した幸福の科学学園関西中学校・高等学校(滋賀県)からは、すでに東京大学をはじめとする難関大学に多くの合格者を出したり、チアダンス部が国際大会で優勝するなど、文武両道の実績を上げている。
【関連記事】
2014年11月号記事 幸福の科学大学 待望論
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8464
駄目だというなら、
何を観て審査するというのだ。
実質審議をするなら、
送られてきた経典をみなくては、
審議などできるはずがない。
したがって、経典を送られてきたのが
まずいというのは、ほとんど、いいがかりだ。
総裁は、
「安倍政権と刺し違えても」この言葉
が、何を意味するか。
この文言を、反故にした、安倍政権の罪は、重い。
これから、この反作用が、安倍政権に、
日本に及ぶだろう。
だとしたら、こちらは親切のつもりでも、受け取る側が迷惑に感じた時点でアウトです。
この間の中学校の校長先生の、卒業生への「忍耐の法」や「大学案内」の送付もそうですが、どちらかが公的な立場にある場合は、かなりのリスクがあることは、あらかじめ覚悟をしておくべきでしょう。(いろんな人がいるのが世間というものですからね)
今回も、審議委員との信頼関係を築けたわけでもないのに、一方的に大量の本を送りつけたのだとしたら、かえって反発を招くことは十分あり得るし、反省すべき点が幸福の科学側にもあっただろうと思います。
とにかく、あちらにつけいるスキや攻撃材料を与えて、総裁の足を引っ張るような真似だけは、厳に慎まないといけませんね。(これは審議会とのやりとりだけの問題だけではなく、会員一人ひとりの日頃の行動のありかたまで含めて審査されているのだと思います。S学会ほどではないにしても、なかなか評価されず、認めてもらえないのは、幸福の科学の職員や会員にも、反省すべき点はあると思うべきでしょう。
岡崎さんが云う「己を攻めて他を攻めぬ矜持」が、今こそ必要ですね。
これ以上後悔しないよう、何か…(笑)頑張りましょう!
委員個人宛とは、
意味が違うと思うけど。
総裁はそんなことで困っていないと思います。
目的を果たせなかったのは「献本」のせいではありません。
あくまでも届いた側が「嫌本」であっただけです。
法で罰せられる行動ではありません。
「忍耐の法」を先に説かれたのは、主は様々な困難が降りかかってくる事を認識していたからです。
全てお見通しだったのでしょう。
しかし、引き寄せの法則で「こうなります」と明かしてしまえばマイナーな気持ちを増長させるだけです。
一番耐えているのは誰だかお解りでしょう。
マスコミの餌食になってはいけません、フラフラとしないで毅然とした態度で臨みましょう。
第一ラウンドはジャブの応戦です。
私学の不認可など、憲法違反の何者でもない。
某大臣や首相や“北京”相手に「己を攻めて他を攻めぬ矜持」とか言ってたら、エライ目に会うのかも知れません。
それにしても「幸福の科学」があちこちから「目の敵」にされるのは、大川総裁があまりにもストレートに“本当のことを言い(暴露し)すぎる”!?せいかとも思いますが、信者が、総裁のマネをすることが良いことだとは思いません。少し「世間解」を加えて“温度”を下げる工夫は必要かなとはいつも思うのですが…。
“要らぬ考え”でしょうか?
大川総裁の、世界を全部敵に回しても、向かうところ敵無しのこの強さ!
カンタンに“降伏”させられてたまるか!と抵抗したくなる“人間の気持ち”もわからないではないので(だって信者になる前は皆そうだったでしょう?)相手の気持ちを思いやること真実を伝えたいという情熱のバランスが大事ですね。
審議会へするのとでは、違います。
第一、審議会が大学を認可するなら、
まず、法理論や経典などを読んで内容を吟味する義務があるんです。
それは、審議会としての仕事です。
それを、しないなのならば、
職務怠慢であり、税金泥棒です。
献本された本を好ききらいで、
判断するなら、審議会など有名無実。
素人同然。
おまけに、資金が何億とかかっているんです。
好ききらいで判断されて不認可するのは、詐欺ですよ。
資料提供ですから。
通常の取引でも、資料を相手に届けるのは当然のことです。
こういう輩は、それをしなかったら、「やる気がない。」と言ったに違いないです。