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北風が吹きすさぶ中で、一片の熱気すら感じさせない覇権国家の指導者の発信に疑問を呈したくもなる。
”Why England Slept” 著名な政治家の卒業論文のタイトルで、現在で「なぜ英国は眠ったか」の邦文が付けれている論文です。
第一次大戦後の英国で、反共主義と、平和主義のため、さらに英国自体の戦争準備の不足から、ワイマール憲法下で、1935年誕生したヒトラー・ドイツの要求をのんだネヴィル・チェンバレン 首相の一連の過程・宥和政策を論文化したもの。
後に、卒業論文の執筆者は、米国大統領になり、在任中の暗殺されたこともあり脚光を浴びた論文として有名です。
画像:ネヴィル・チェンバレン
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ちなみに在任の1962年10月から11月中のキューバ危機では、世界は瞬間、核戦争の危機を感じたと言われていますが、ちなみにこの時期・1962年10月には日本では日本シリーズが開催され、てます。
東映フライヤーズと阪神タイガーズの全7戦では、甲子園開催の6戦、7戦でそれぞれ2万5千人以上、その他では毎回、3万人を超える看過客を動員した事実を見るなら、世界が「核戦争による終末」を危惧したという文学的な歴史家の表現は適当でないと確信してます。
その意味で、日本人の楽天性を評価するべきか、ノーテンキを悩ましく思うべきか、最近では、少々見境がつかなくなている自分を感じます。
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半世紀前に、卒論を書く必要性から、当時、この論文の存在を知り、このエピソードを知り、「卒論とは」を意識したこともありますが、当時はネット環境も無いし、当然Wikiなどという便利なツールありません。
ネット時代になってから、「ここ一番」でふやけて「クソ内閣」「ダメ内閣」を見る付け、幾度となく、”Why England Slept” 論文を切り口に対象をdisってきた記憶があります。