紙媒体の劣勢は、すでに存在理由を問われるレベルになっているかも知れない
▼共同通信の記者経験をもつ政治家が、出演したニュース系コンテンツで共同通信社について頻繁に紹介されていた事項があります。
・地方紙は、多くの部分で通信社の配信記事で自社の記事を起こしている。
・共同通信は一つ記事を通常三ブロックの表記で配信する。
・それぞれのブロックでスペースに応じた記事が出来上がる体裁になっている。
・これは社説記事の範疇も含む
と。。
▼これで見える光景は、新聞制作は紙面枠、つまりスペースを埋める記事と広告を情報でうめれば、商品はできあがり、極論すれば、取材の必要もなく新聞発行が可能であることです。
これを踏まえて、紙媒体ではgooニュースのリンクにある記事が仮にそのままの配信記事のコピペだとすれば、読者はこの記事をどのように読み解くべきかに興味がいくような立て付けの典型かと、勝手に想像できます。
▼二つのブロック構成でgooが取り上げたニュースは、読めば、
・そういうことがSNSとかのトコロであったのか。。。
ところが
・それで。。そして、どうなるの。。
の部分が欠落しており、簡単に言えば消化不良に陥ります。
つまり、リテラシー次第では毒にも薬にもなる記事で終わっているというとです。
▼日本の大手メディアすら、最近はtwitter情報に依存しているケースが多くあって、現在では記者クラブの記事を凌ぐとも言わております。
そうなると、SNSツールを利用できる環境にいれば、かなりの部分は個人レベルでも紙媒体無しでニュースを自分のものにできるということになります。
▼実体験では、ここ十年近いあいだ、不肖kazanは、紙媒体の情報には全く無縁です。
わずかに視聴できるNHKのメインタイム、
日本時間の07:00(これだけは100%視聴しない)
12:00(せいぜい10%)
19:00(90%)
21:00(50%)
とネット情報だけで、不便は感じません。
強いて言うなら、紙媒体に掲載される広告情報と、電車内の吊り広告が見れないストレスだけは否定できません。
▼民放キー局ですら、それまで、「ネット空間はフェイクでナンチャラ。。」と発信してたACやMC自身が、地上波で発信されたコンテンツが制作側による同時進行で、youtubeにライブコンテンツとして配信され、その冒頭で、媚びへつらうように笑顔で、「チャンネル登録はここです」と画面の右下を誘導する様変わりを見るにつけ、新聞が消える日は遠くないことを感じます。