2007.6.29
「緑をたくさん出したいのだということを伝えたい」
朝から叫んでいた。「緑!! 緑!!」上の線下の線横ちょっと右や左だけでこんなにも
違う線なのだ。つまり、どういうことかって?
1枚の葉っぱを見れば分かる 枝 と 葉 芯と広がり 流れているものが違う組織が
ちょっとずれただけであんな違いが!!
どうやら似たような緑ばかり集めてしまったようだ。いいや大事なミドリがネズミに
取られてしまって出てこないということが重要!! なにも ないことと同じ。
一向に引き立たない。ビリジャンとカドミウムグリーン。
グリーングレーは これらがあってはじめて使える。グリーングレーの微妙なのが
何種類もあったってだめ。無いと同じ。
緑 緑と朝から叫んでいたのに一向に満足のいく緑が出てこない。
緑を引き立たせる色。赤。突飛だ。
徐々に。ドクダミの葉っぱの上の葉と下の葉ほどの違いが出せるように引き立てる色は?
ターコイズブルーは欠かせない。オーレオリンも。 問題は緑なのだ!!
すっかり調子が狂ってしまった。ちょっと2カ月留守にしていただけでずいぶんと
めちゃめちゃにされた。なぜフンが黄緑? 紫にもなっている?
とてつもない尿の臭いとともに。何日落ち込んだと思ってる?あんな無惨な絵の具の姿、
初めて見ました。
2か月も留守にしていたのがいけないのじゃないかって?!なにも怠けていたわけでは
ありません。ちゃんと習いごとをしておりました。「独り言」の。ヨーロッパ人のおじさまたちに
であります。すっかりとおしゃべりができるようになった。口をまったく動かさずに。
なんと楽になったことか。田んぼにはすずめだけではなくサギもいる。
すずめは大勢で群れるがサギは単独行動だ。泳いで逃げるヘビを追いかけていた。
1対1。エサの追い方がちがうだけ。足して2で割ったのが冬にだけあらわれる白鳥。
WATARIDORI.
なにしろ油絵の具も マルクスもヨーロッパからなのだから。この人の作品なら私に
ヨーロッパを教えてくれる、そう判断したら 即吸収。おかげで1カ月足らずで「独り言」を
マスター。そんな間にもネズミは黄緑の絵の具をかじっていた・・・・・。
いつの間にかできたねずみの巣に、冬眠から覚めておなかをすかせたヘビがやってくる
というのは実に自然なこと。私の座るイスの1m先でなければ。ふすまにはねずみの
食いちぎった穴が広がり、いつの間にかヘビ穴まで出来ていた。
人間が来る→巣から遠ざかっていたネズミがまた巣に戻る→ネズミの巣に陣取っていた
ヘビにとっては正に好都合です。まさか目の前でヘビの狩りを見物できるなんて・・・!
血なまぐさいこと2~3日。消臭剤がずいぶん役に立った。
血なまぐさいのは20世紀前半。後半は消臭剤。自然なこと。
私は1920年代の作品を気に入ってるらしい。いいな、と思うと20年代だった。
前田寛治なんかとくに!!あの家族の絵は一目見て忘れられない。
そういえば私も家族をテーマにした下絵を描いている。100号に。今度着手するのは
秋以降。具象っぽいから。具象はときに説教くさくてうんざりするから遠ざかりたくなる。
線か面だけになる。やがて手のリズムの。しばらくすると今度は主張やストーリー性、
流行を求めるようになる。
5歳と80歳の共存を日々目の当たりにしている。見事に調和しているものだ。
障害者ということばは不要だ。絵なら絵だけでいい。独特な動きをするならそれだけでいい。
書類処理の便宜上必要なだけだ。共通のものを探せばいいだけなのだ。道具を使おうと
するか、大声を張り上げたいのか、体を動かしたいのか、何かを叩きたいのか、
しゃべっていたいのか、見ていたいのか、聞いていたいのか、そして日に応じたメニューが
あるだけ。この大枠は世界中どんな人類問わずだ。誰だってやっている。
しゃべりたい人、演説を聞いてもらいたい人はその能力を発揮してそれぞれ競う。
孤独な語りかけに終わらないか、誰も聞かない答弁を繰り返さなきゃならないか、
そんなことで黙ってしまうタイプではないのだ。全エネルギーを費やして、
声を出すのだ。歌ということでもある。
80歳と5歳が同居している垂れ乳ばばあの聴衆は愛犬ポチと、私だけ。
全エネルギーを投じて大声を出す。朝、生きるために。
ただ ただ 生きるためだけに大声を張り上げる。もっと多くの人にも聴かせる機会が
あればいいのだが・・・・・。