ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◆ ユトリロの風景  オ・ラパン・アジル Au Lapin Agile

 10日ほど前、友だちから届いた絵はがき。 
 ユトリロの風景画、オ・ラパン・アジル(Au Lapin Agile)である。
 ここは、もともとは宿屋だったらしいが、ユトリロが通う頃には、キャバレーというかシャンソニエになっており、あのピアフも歌っていたという。


 ユトリロの風景画はいいなぁ。
 ユトリロ本人は、アル中だったり過酷な人生だったけれど、描く絵は、心が安まる色彩である。


 現在の、オ・ラパン・アジル。 
 右側に、昔のままにぶどう畑がある。
 ユトリロが生まれ育ち生涯を過ごしたモンマルトルの丘は、ぶどう畑だったという。


 モンマルトルミュージアム。  
 ユトリロが、画家の母シュザンヌ・ヴァラドンと暮らしたアトリエである。 

 ユトリロの母は、恋多き女性で、セザンヌやサティとも付き合いがあったという。
 何番目かの夫ポール・ムージスは資産家で、モンマルトのぶどう畑を買い、このアトリエも買ってくれたという。
 その夫ポール・ムージスも捨てて、我が子モーリス・ユトリロの友人と恋仲になったという母親である。
 

 再現されているユトリロのアトリエ。 
 
 このミュージアムの庭から、ぶどう畑とオ・ラパン・アジルも眺めることができる。


 ユトリロは、オ・ラパン・アジルを四季の折々、何枚も描いている。 
 その中の一枚。 
 1950年の制作だという。
 初夏のオ・ラパン・アジル。

 ユトリロは、ゴッホと違って、絵を描いているときは精神の安寧があったようだ。
 私はゴッホもとても大好きな画家だけれども、ユトリロの描く風景の色彩には心癒される。
 


 1880年ごろのオ・ラパン・アジル。(ウキペディアから拝借) 
 オ・ラパン・アジルは、「身軽なうさぎ」、「軽妙なうさぎ」というような意味らしい。
 ユトリロだけではなく、ピカソなど当時、貧乏な画家たちがたむろしていたという。
 


 モンマルトルの風景には、どこかしこにユトリロの気配がする。
 もう一度、行ってみたいなぁと、つくづく思う。


 友人から頂いた一枚の絵はがきで、かつて散策したモンマルトルの道を思い出し、つれづれに綴る。

最新の画像もっと見る

最近の「旅ばなし」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事