ユトリロの風景画、オ・ラパン・アジル(Au Lapin Agile)である。
ここは、もともとは宿屋だったらしいが、ユトリロが通う頃には、キャバレーというかシャンソニエになっており、あのピアフも歌っていたという。
ユトリロの風景画はいいなぁ。
ユトリロ本人は、アル中だったり過酷な人生だったけれど、描く絵は、心が安まる色彩である。
現在の、オ・ラパン・アジル。
右側に、昔のままにぶどう畑がある。
ユトリロが生まれ育ち生涯を過ごしたモンマルトルの丘は、ぶどう畑だったという。
モンマルトルミュージアム。
ユトリロが、画家の母シュザンヌ・ヴァラドンと暮らしたアトリエである。
ユトリロの母は、恋多き女性で、セザンヌやサティとも付き合いがあったという。
何番目かの夫ポール・ムージスは資産家で、モンマルトのぶどう畑を買い、このアトリエも買ってくれたという。
その夫ポール・ムージスも捨てて、我が子モーリス・ユトリロの友人と恋仲になったという母親である。
再現されているユトリロのアトリエ。
このミュージアムの庭から、ぶどう畑とオ・ラパン・アジルも眺めることができる。
ユトリロは、オ・ラパン・アジルを四季の折々、何枚も描いている。
その中の一枚。
1950年の制作だという。
初夏のオ・ラパン・アジル。
ユトリロは、ゴッホと違って、絵を描いているときは精神の安寧があったようだ。
私はゴッホもとても大好きな画家だけれども、ユトリロの描く風景の色彩には心癒される。
1880年ごろのオ・ラパン・アジル。(ウキペディアから拝借)
オ・ラパン・アジルは、「身軽なうさぎ」、「軽妙なうさぎ」というような意味らしい。
ユトリロだけではなく、ピカソなど当時、貧乏な画家たちがたむろしていたという。
モンマルトルの風景には、どこかしこにユトリロの気配がする。
もう一度、行ってみたいなぁと、つくづく思う。
友人から頂いた一枚の絵はがきで、かつて散策したモンマルトルの道を思い出し、つれづれに綴る。
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