まず、これは児童文学であるということ。
これに着眼すべきだと思う。
しかも、1940年、あのヒットラー政権下のドイツで出版されたのである。
更に、大ベストセラーになったのだというから、すごい。
(因みに日本での出版は2000年。これも驚き。で、なんだかんだ言っても、岩波はエライ! 岩波だから出せるっていうの、ある。この出版界の、とりわけ売れない児童書の事情のなかで。)
著者ルィーゼ・リンザーの自伝的な小説のようにいわれる作品だが、後書きに上田真而子が書いているように、自らの体験をきっかけにしているが、あくまでも創作である。
上田真而子は言う。
「事実ではない虚の世界にある真実、心の世界の広がり、それこそが「文学」といえるのではないでしょうか。」と。
まさに同感である。
物語は5歳の少女が、南ドイツの架空の町ザンクトゲオルグの聖ゲオルグ僧院に、着いた場面から始まる。
第一次世界大戦下のドイツという歴史的背景の設定で、父親がロシア軍の捕虜になったために、母と娘は、母の実家筋になる聖ゲオルグ僧院に身を寄せる。
私は、キリスト教とは深い縁がないので、書籍による知識のみであるが、多分、そこに描かれている世界は、本質的にキリスト教のもつ教義というか、世界観、日常の生活感が、大きく重い意味を持っているのだと思う。
この物語の少女のように、おおよそキリスト教では当たり前の規律、倫理の事象のことがらに対し、
なにがしかの相容れない苦悩と快感を見出してしまったら、そのような、衝動にぶち打ちあたってしまったら、それは罪なのか。
1900年初頭のドイツに於いて、いわば、「好奇心」とか「興味」とか、人間の本能に存するそのような感情を厳しく律した空気感があったのではないか。
これは、そのような環境のなかで、自らの裡なる衝動を見詰めれば見詰めるほど、禁忌、タブーというものと、向き合わざる得ない少女の、哀しい辛い物語なのである。
とりわけ、「百合」の章では、読み進む私は、しばし、なんとも鳥肌が立つ思いに、一旦、本を置き肺の奥から、ゆっくりと息を吐き出し、一息を入れずには、おれなかった。
一方「ヴィッキー」の章では、私はようやく安堵感を覚える、そのような気分になったものだった。
農園での、人々の太陽の下の体力ありきの労働には、形而上学というか観念の世界、そういうものを一時、退かせる効能がある。
『波紋』という作品の中で、唯一、読者がほっとするシーンである。
いいね。土って。
シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』の、ジェーンとも違う。
フランソワーズ・サガン『悲しみよ こんにちは』の、セシルとも違う。
一葉『たけくらべ』の、美登利とも違う。
ある意味、極めてドイツ的な、と私には思えてならない。
精神に於いて、ほんの少しのほころびも認めない、そんな強靱な概念が存在しているような……そんな国なのかなぁと思うのである。ドイツは。そんな場所で、個、つまりエゴという概念と、真っ向、向き合い闘い、それでもかすかな希望を抱いて葛藤し、傷つきながらも歩まずにはいられないいわば、仏教的にいうならば「業」を背負った少女の話でなのある。
ドイツ文学は、ほんとうに、とことん、とことん、人はいかにしても、成長するかというテーマ、ビルドゥングスロマンの国である。
この本を読んだヘッセは、いたく共感し、作者であるルィーゼ・リンザーに手紙をしたためている。
ヘッセが、許容できなかった価値観と、リンザーが対峙した世界観は、多分、等しいものであったろうと思う。
主人公の少女の祖父は異端の人である。
自室にヒンズーのカーリー神であろうと思われる像を置き、少女に形見として、ゴータマ・シッタルダの座像を贈る。
ルィーゼ・リンザーが、ここに描こうとした意味を、考えてしまう。
作家ルィーゼ・リンザーは、台頭してきたナチスの党員になることを拒み続け、逮捕投獄され、死刑の判決が下る。
その判決がリンザーの捕らえられていたオーバーバイエルンの監獄の届く直前にドイツは敗戦し、リンザーの命は存続した。
リンザーはこの過酷な体験を『獄中日記』として、出している。
聖ゲオルグ僧院のモデルになったのは、リンザーが幼い時に夏休みで訪れたヴェッソーブルンの僧院は、『波紋』に描かれているとおりの、今はヨーロッパの美術史有名な僧院だと、上田真而子は記している。
(ヴェッソーブルン (Wessobrunn) は、南ドイツのバイエルン州オーバーバイエルンにある町。)
現在は、修道女たちが、病気の子どもたちを寝泊まりさせて世話をしているキンダーハイムになっているそうな。
上田真而子の訳文が、素晴らしかった。
この3日間、旅行に行っていた。
それで、15,6年前に、初めて読んだ物語だが、この度、再読しようと思い、旅に携えて行った。
再読して、あらためて考えることが多々あった。
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