ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◇『書物の世界』  高階秀爾 中村雄二郎 山口昌男 著   青土社

断捨離箱から、一時的に救出の書。

1980年9月と鉛筆で記されている。

再読して、あの時代の「知性」の流行が、今さらだけど、ほんとよく分かった。
時を経て、読み直すことも、いろんな意味で良いことかも知れない。

書評の形骸化を嘆き、レヴイ・ストロースとユングについて、このインテリたちが論じ合っている。

当時は、河合隼雄が圧倒的な人気で、そのお陰というかユングもかなり一般化した。
結局、河合隼雄は文科省のなんたらオエライ立場に着任して、小中学校の道徳の副読本『心のノート』とかいう妙な本を出版した。

ユングの次に流行ったのがアドラーだった。
フロイトはとっくに流行遅れになっていたけれど、当時、私はなんとなくユングとかアドラーって、危ない匂いがするなーと思ったものだった。

 

で、この『書物の世界』だが、「西欧中世とはなにか」とか「錬金術と人間科学」とか、「音楽は精神史の扉を叩く」とか、往時のインテリゲンチャの博学ぶりを、たっぷりと眺めることができた。
現在は、インテリやインテリゲンチャという言葉は、すっかり死語になってしまったようだが。

最終章「書物をめぐる書物をめぐって」は、書評と批評の違いとか、注と索引とか、改めてなるほど!と思いつつ読んだ。

実は、こんな道楽のような本を読んでいる時間は私にはないのだ。
相変わらず切羽詰まると、読書に没頭する悪癖から抜け出せない。

しかも、今日は6時半から日本シリーズ第4戦を、しっかり見ちゃったし。
ソフトバンクホークス、強い。
来年の西武ライオンズは、勝てるだろうか、などとそんなことまで心配する始末。

ああ、なんたることか。
私は、ソフトバンクの強さを気にかけたり、音楽の精神史なんぞ読んで扉なんぞ叩かずに、パソコンのキーボードを叩かなくちゃいけないのだ。

 

<追記>
河合隼雄は「物語」理解について、彼の独壇場とも言える所謂ユング的解釈本をいっぱい書いていて、私も大概、読んだけれど、兄の河合雅雄の本の方がはるかに面白かった。
河合雅雄は、京大霊長類の、あの途轍もなくバカバカしいと言ってしまいたくなるような素晴らしい領域の学問をひたすら研究していた今西錦司の弟子で(同僚かも)、ゴリラの生態観察の本を執筆している。
これまた驚くほど、あり得ない状況でのゴリラ観察日誌的記録文学で、読んだ時は、大いに笑った。今でいう“ウケル〜!”である。

『少年動物誌』は、これは間違いなく名著。
私が、子どもに勧めたい本は?と訊かれたら、いつも「読みたい本は、人に勧められるのではなく、自分でみつけるものだ」と答えるのだが、これは、勧めたいかも、と思って、いるかも。(^_^;)(^_^;)

 

  

野口英世やキューリー夫人、エジソンの伝記を読むより、はるかに面白い。

寺田寅彦とか、中谷宇吉郎とか、ファラディとか、ファインマンとか、理系の研究者の本は、なかなかの名作がある。


吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』なんて、まっぴらごめんだ。
それこそ「私の勝手でしょ!」と言いたくなる。←← かなり古いギャグ(^_^)v
文系知識人の上からの目線というか、説諭論を展開している本は、私はどうにも苦手だ。

 

 

 

 

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