東京へ行って来ました。
20日、神保町の出版クラブホールで、
広瀨恒子さんの偲ぶ会がありました。
子どもの本の読書活動の礎を作った人です。
御遺影。
笑顔の広瀨さん。
とても優しく、とても厳しくもある人でした。
私にとっては、師のような人でした。
私の大好きな後藤竜二さんが、信頼した人でもありました。
私も追悼文を書かせて頂きました。
正直、私はたいした物書きでもないのに、広瀨さんの追悼の文のご依頼を頂き、受けるべきかどうか、家族に相談してしまったほどに驚きました。
そして、偲ぶ会では、沢山の方からお声をかけて頂き、心がなんだか、いろんな思いに、詰まりました。
広瀨さんの、忘れられない言葉は「これは、ほんとうに、子どもの糧になる本だろうか?」という問いかけです。
この広瀨さんの言葉は、いつも私の中で、子どもの本を読み、書評を書くとき、その尺度になっています。
献花。
懇親会。
スピーチをしている廣谷妙子さん。
また数年ぶりにお会いした方がおり、お話しもできて、これも広瀨さんのお陰だと思いました。
後藤さんと、広瀨さんは、どこぞの場所で、楽しく深く、そして互いに妥協しない言葉を言い合って、話をしているに違いありません。
そんな、お二人の姿が、目に浮かびます。
ご子息お二人ともに、もっと親孝行をしたかったというようなことをおっしゃっていました。
私は、今、死んでも、息子には、親としての私に、過ぎるほど充分な孝行、気遣いをしてもらっている思っています。
広瀨さんのご子息の言葉を聞いて、私は息子に、これは、ちゃんと、言葉で伝えておかなくてはならないと思いました。
広瀨恒子さん
逝去 91歳 2024年3月31日。