Ulm Hbf から、HZL(Hohenzollerische Landesbahn )に乗って、ケーニヒスブロン Königsbronnへ行った。
地方鉄道のHZL。
乗り換え無しで約1時間。
Königsbronnへ到着。
エルザーの故郷である。
電車を降りると、目の前にゲオルグ・エルザーの像があった。
ゲオルグ・エルザーは、1939年11月8日、ミュンヘンの巨大日ヤーホール「ビュルガーブロイケラー」に、時限爆弾をしかけヒトラー暗殺を企てた。
彼は己の良心の信ずるところに従って行動をした。
しかもたった一人で。
Königsbronnの無人駅に佇むエルザー。
この像のエルザーは、処刑された時の年齢より、はるかに年老いている。
生きていたら、こんなだったろうか、という意図が制作者にあったのかも知れない。
鞄は、象徴的だ。
この鞄に時限爆弾の設計図と工具を入れて、彼は国境を越えようとしていたのだたった。
Königsbronnは、今も人口7000人ほど小さな村だ。
戦時中のKönigsbronnは人口2000人ほどの村だったが、村民は圧倒的にナチスを支持していた。
その村で、家具や指物、時計の職人をしていたゲオルグ・エルザーが計画し、時限爆弾を作り、それを「ビュルガーブロイケラー」の石柱に仕込み、ヒトラーの暗殺計画を実行した。
ゲオルグ・エルザーは、東ドイツからは凶暴なテロリストとされ、西ドイツからは過激な共産主義者とされ、出身地のケーニヒスブロン Königsbronnでは、村民全員がゲシュタボに厳しく捜査されたこともあり、エルザーは無教養、粗暴、共産主義者と誹謗され、存在そのものが無視されてきた。
東西の壁が壊れドイツが統一されてから、ゲオルグ・エルザーのヒトラー暗殺計画の調書など詳細が明らかになり、彼の人権や名誉が、メルケル首相によってようやく回復された。
正面が村役場ラートハイス。
左の建物が、ゲオルグ・エルザーの記念館。
記念館を示すプレート。
ブザーを押すとドアを開けてくれる。
訪問者があると、開館するらしい。入館料は3ユーロ。
ゲオルグ・エルザーは、コンスタンスのスイスとの国境で逮捕された。
ゲオルグ・エルザーは映画にもなったので、知っている人も多いと思う。
『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(字幕版)
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