ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◇ ゲオルグ・エルザー

 ちょうど2ヶ月前の4月の中旬から2週間ほど、ドイツを訪れたときの写真をup。

 Ulm Hbf から、HZL(Hohenzollerische Landesbahn )に乗って、ケーニヒスブロン Königsbronnへ行った。

   地方鉄道のHZL。  

 乗り換え無しで約1時間。
 Königsbronnへ到着。
 エルザーの故郷である。


                  

 電車を降りると、目の前にゲオルグ・エルザーの像があった。
 ゲオルグ・エルザーは、1939年11月8日、ミュンヘンの巨大日ヤーホール「ビュルガーブロイケラー」に、時限爆弾をしかけヒトラー暗殺を企てた。
 彼は己の良心の信ずるところに従って行動をした。
 しかもたった一人で。
 
 
               
 Königsbronnの無人駅に佇むエルザー。 
 この像のエルザーは、処刑された時の年齢より、はるかに年老いている。
 生きていたら、こんなだったろうか、という意図が制作者にあったのかも知れない。
 鞄は、象徴的だ。
 この鞄に時限爆弾の設計図と工具を入れて、彼は国境を越えようとしていたのだたった。


 Königsbronnは、今も人口7000人ほど小さな村だ。 
              

 戦時中のKönigsbronnは人口2000人ほどの村だったが、村民は圧倒的にナチスを支持していた。
 その村で、家具や指物、時計の職人をしていたゲオルグ・エルザーが計画し、時限爆弾を作り、それを「ビュルガーブロイケラー」の石柱に仕込み、ヒトラーの暗殺計画を実行した。
 

 
 ゲオルグ・エルザーは、東ドイツからは凶暴なテロリストとされ、西ドイツからは過激な共産主義者とされ、出身地のケーニヒスブロン Königsbronnでは、村民全員がゲシュタボに厳しく捜査されたこともあり、エルザーは無教養、粗暴、共産主義者と誹謗され、存在そのものが無視されてきた。

 東西の壁が壊れドイツが統一されてから、ゲオルグ・エルザーのヒトラー暗殺計画の調書など詳細が明らかになり、彼の人権や名誉が、メルケル首相によってようやく回復された。


 正面が村役場ラートハイス。
 左の建物が、ゲオルグ・エルザーの記念館。

                 

 記念館を示すプレート。 
 ブザーを押すとドアを開けてくれる。 
 訪問者があると、開館するらしい。入館料は3ユーロ。

    


                      

 

 ゲオルグ・エルザーは、コンスタンスのスイスとの国境で逮捕された。



 ゲオルグ・エルザーは映画にもなったので、知っている人も多いと思う。

 『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(字幕版)
                      





 

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