4/7/2009
あつい季節になった。最初に言い訳をさせてもらう。ここ暫くの更新回数が減っているのは、劇的な出来事が生じないといった現実的理由からではない。むしろ、様々な小事件は増えている。問題なのは、引っ切り無しに押し寄せるそれらの出来事が私の脳に多くの刺激を与え、軽い錯乱状態にしている事だ。カオスと化した脳は収拾がつかない。捌け口であったり、気持ちの整頓場所としても利用してきたこのブログにも手を付けれなかった。制御不能だが、言いたい事は山ほどある。だが、言いたい事が分からない。幾度と酒を入れて逃避を図ってみたが無駄だった。「常識」を外してしまった自分の脳は今どうなっているのだろうか?キムタクに見てもらうのは非現実的である。弁解にしか聞こえないが、これが更新を怠った理由・・・、いや釈明である。以前英国の友人が宮本の「物欲と同等以上の勝利の証を今すぐ探せ」の文言を引用していた。彼の声量に圧倒され歌詞の意味がそれほど深く入ってこなかったが、書面で読むと改めて文章の迫力に驚かされる。意味の迫力といった方がいいのか、深イイというとなんとも滑稽に聞こえてしまう為、避けたい。超越した言葉である。自分を磨くために読んでいた分厚い自己啓発本も、この文言に衝撃を受けた後は、殆ど頭に入らなくなってしまった。学生時代に思い描いた理想像と、高校時代に描いた理想像。どちらも到達した時に満たされる点は同じであるが、彼の文言を踏まえると前者は本当の意味での「勝利の証」になっていない気がする。本から例えを引用しよう。頭の前に人参をぶら下げられた馬は、それを食べようと途方に彷徨い歩く。惨めに思った飼育員がその人参を与えてやると馬は嬉しそうに喰う。面白くなった飼育員はもう一度、目の前に人参をぶら下げる・・・。人間の場合、人参が紙幣で飼育員が経営者なのだそうだ。金とモノが交換できる仕組みは実に便利だが厄介だ。紙幣が目的を煙に巻いてしまうから。金の恐怖に打ち勝って、しっかりとしたラインを据えれたとしても、まだ障害はある。夢なんて言葉を使うと、実に爽やかで清清しい。ルーキーズの名曲が自然と流れてきそうだが、現実は林檎姉さんの「迷彩」等がサウンドトラック向きである。彼はもっともな事を言ったが狂人である。勝利の証を見つけても、それが一般社会には通用しないケースだってある。上京前に夢見たものとは到底違う、不健全な生活。良かれと思いやっているのが一番厄介だ。何事も省みない反抗期のような日々。違うのは酒が入り、矢の矛先が社会に向いている事。自己投資している二つの内容が、全く別の場所に向かいつつある。
「今日のお薦め」
エレファントカシマシ [ 俺の道 ]