白血病闘病記は(1)で一旦終了します。

白血病闘病記(2)「再発編」は、後日掲載予定です。
少しの間、撮り溜めた写真をアップしていきます。

2022-05-05 13:26:56 | 日記

        川沿いの桜
        


        木々を彩る
        


        夜桜
        


        


        咲き誇る
        

ラベンダーと公園

2022-05-04 14:02:28 | 日記
   ラベンダー畑

      


   ラベンダー畑にそびえる風車

      


   白浜 新庄総合公園

      


      


バラ園

2022-05-02 14:29:17 | 日記
  ひらかたパーク バラ園

    


    


    


    

命日。そして、告知後1年

2022-04-29 16:59:32 | 日記
 (令和3年度の収支は難航したが、まあ何とかやり切った感がある。

  次年度の予算は若干厳しいようである。)


 2018.1月

  父親の命日となった日からは、納棺、通夜と葬儀、葬儀後の打合せと

  山ほどの手続きを、杖を片手に母親と二人三脚で処理をしていった。

  一番困難を極めたのは、銀行口座の凍結である。

  本人がいない限り出金の手続きができず、それを可能にする為の証明書類

  の取り寄せ。

  解約を可能にする為の書類の取り寄せなど、戸籍を何代か遡り、

  聞いたことのない方々のお許しをもらわなければならなかった。

  光熱費関係の名義変更、年金関係での役所廻りなど、その月はまあまあ

  ハードに過ごした。


 同年2月

  49日法要のあと、お世話になった先生に挨拶に行く。

  父親を看取った日以来の病院だった。


 同年3月

  やっと落ち着いてゆっくりと自分の事を考えれるようになった。

  退院後からも日々のバイタルは欠かさず測定していた。

  特に数値が激変することも無く、穏やかに日々を過ごしていた。

  ふと、いつもの、予定その日の出来事などが書き入れられたカレンダー

  に目をやった。

  3月17日。

  病名告知から1年が経っていた。

天井の向こうにあるもの

2022-03-26 14:05:13 | 日記

 (造血幹細胞の移植後フォローアップにて、抗がん剤の影響で両足首の

  しびれ、両手小指の関節変形は完治しないことが確定した。)


 2018.1.1

  この日は元旦早々に病院へ向かう。

  ほぼ毎日の様に通っていた時とは違い、回数が少なくなってきていた。

  その頃の父親はもう会話が出来なかった。

  いつも天井を見て何かを目で追っていた。

  問いかけの返事もままならずただ口を動かしていた。
 
  年末のぎりぎりまで通っていた病院もあとどれくらい見舞えるの

  だろうか。

  母親に安堵の表情はない。

  主治医の説明は、やはり家族に選択を促す内容だった。

  延命処置をしない選択をした。

  この年齢、この状態で手術を行えば、一度がんで胃の3分の1を摘出

  している体には、この先の手術に恐らく持ちこたえられないだろうと。

  それから何度と通い主治医との話し合いをし、いまの状態でベストの

  治療法を模索していただき様子をみた。

  次の見舞いの時には、鼻からチューブを入れられ、天井を見据え、

  いつもと違う呼吸をしている父がいた。