白血病闘病記は(1)で一旦終了します。

白血病闘病記(2)「再発編」は、後日掲載予定です。
少しの間、撮り溜めた写真をアップしていきます。

完全寛解そして仮退院へ…

2021-08-25 16:40:21 | 日記
 (薬の副作用で、相変わらず血糖値の急上昇、急降下の繰り返しによる、

  強烈な眠気に抗えずにいる。)

 2017.05.12

  あと2~3回は軽い(軽いと言っても40℃近くはあるのだが…)

  熱が出るとの主治医の判断。

  その後は徐々に平熱に戻る。

  そして、血液検査の結果と骨髄穿刺で問題が無ければ、待ちに待った

  仮退院だ。

  一旦自宅へ帰り、少しの療養のあと再度入院し、3回目の治療

  (地固め療法)にはいる。

  その日の夜、次の日の夜と、38℃台が続いた。

  なぜか夜になると例の寒気と共に、体温が上昇するのである。

  何か原因があるのかと、主治医に聞いてみたが、特に無かった。

  一夜明けその次の日の朝、久しぶりに見た数字だった。

  体温計は、36.5℃を指していた。

  平熱である。

  この状態を継続させ、血液検査の結果も安定し、骨髄穿刺で白血病細胞が

  消えていたら、待望の仮退院だ。


 2017.05.18

  前日の採血結果で、白血球は8000 まで回復していた。

  (基準値は 4000~8000)

  微熱が少し続いていた。

  抗生剤をもう少し続ける。

  クリーンルームが解除となり、久しぶりに病棟奥のシャワールーム

  に入る。

  やはりタオルで体を拭くのとは大違いだ。

  とても気持ちがよかった。

  この日、主治医より、全ての検査結果数値も安定しており、体の状態も

  良好なので、次回の最終血液検査の結果次第で退院できるとの報告が

  あった。


 2017.05.22

  血液検査の結果は良好。

  体温は平熱。

  体調問題なし。

  完全寛解の状態だった。

  次の日、それまでの入院費用の一時清算と、次回の入院予約を済ませ、

  退院した。

消えた食欲

2021-08-21 17:58:59 | 日記
 2017.05.11 早朝

  深夜の高熱から一夜明け、ダメージもままならない。

  採血、検温といつものように過ぎていく。

  この時すでに平熱だったが、体そのものにまだ重い疲労感があった。

  充分に睡眠が取れたかどうかよくわからないが、ただただ体をベッドに

  預けていた。

  朝食は普通に食べれた。

  特に食欲がないという事もなく、出されたものは完食した。

  昨夜みたいな高熱が続くと体力的にもちょっと厳しいものがあるな。

  そう思いながら、朝食後の時間を過ごす。

  倦怠感は拭えずに昼食の時間が来ようとしたときそれはやって来た。

  首筋に悪寒が走る。

  ん?

  もしかしてこれは…

  首筋から背筋に寒気が走る。

  背中の震えが大きくなり、やがて全身に。

  こうなると体温が上昇しだすのは時間の問題だ。

  昨夜程ではないがかなり全身が揺れる。

  ナースコールを取る。

  昼食前、昨夜と同じ点滴による解熱剤の投与をする。

  体温計は、40℃を指していた。

  「寒い…しんどい…」

  昨夜と同じである。

  この時は初めて高熱で食欲が全くなく、昼食は手を付けれなかった。

  一口も入らないのである。

  こんな事は初めてだ。

  たとえどんなにしんどくても、体調が悪くても、出されたものは

  食べていたのだ。

  高熱でしんどい、体がだるい、頭が痛い。

  何よりもつらいのは、食べれないことだった。

  昼食を下げに来た看護師さんに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

  ただ、その気持ちを言葉に出せないくらいしんどかった。

  その日はもう熱は上がらなかった。

深夜の高熱。

2021-08-15 16:20:48 | 日記
  その日は、輸血も終わり1日のメニューは終了していた。

  ただそのあとも、断続的に寒気は襲ってきた。

  背中の上あたり、首筋に近い所にまず悪寒が走る。

  来たな、と思ったらそのまま背筋に伝わり、全身に回る。

  就寝前に幾度か寒気があり、37~38度であればだいたい解熱剤の

  飲み薬で治まる。

  主治医の説明では、熱の上昇は小さいものが断続的に起き、大きいものが

  そのあとに来るとの事だ。

  39度が2回ほど続き、そのあと断続的に37~38度。

  ん?

  高熱が近々また来るのだろうか。

  何日後かにくるのだろうな。

  高熱、39度。

  この病気をする前でも、ここに入院してからでも、幾度か経験していた。

  自分の中で、いずれやって来る高熱に対してシミュレーションをして

  みる。

  経験がある分、精神的には準備はできる。

  寒気が起き熱が上がるタイミング、どれくらいで上昇するか。

  どのタイミングでナースコールを取るか。

  自分の中で頭を整理する。

  その時もそうであった。


 2017.05.10 深夜

  寒気で目が覚めた。

  ん?

  もう来たのか?

  予想していたより早かった。

  まさかその日に来るとは…

  まあ仕方ない…

  心の準備にそんなに時間は掛からなかった。

  ぐんぐんと熱は上昇していき、心拍も上がっている。

  寒気も増して、さらに寒気が襲う。

  寒い…

  体全身が異常にガタガタと震え、ベッドが波打った。

  寒い…

  39度に達しただろうか。

  自分の中でそう判断した。

  熱が上限まで来たら、寒さは治まってくる。

  治まらない…

  思い違いか。

  おそらく39度には達しているはずなのだが…

  やはり素人判断なのか。

  それにしても寒気が治まる気配が一向にないのである。

  それどころか一段と強くなる。

  寒い…

  同時に体温の上昇も治まらない。

  いまだかつて経験したことのない感覚だった。

  自分で言うのもなんだが、今までいくら痛くてもしんどくても、

  ひとりで居る時に、その言葉を発することはなかった。

  ただこの時ばかりは、思わず口走っていた。

  「寒い…しんどい…」と。

  ナースコールが取れない。

  手が動かないのである。

  手だけではない。全身寒さで硬直していた。

  何とか指は動かせたのだろうか。

  看護師さんが入って来た。

  声は聞こえるが言ってることの理解ができない。

  何とか自分の状態を伝えようと声を絞り出す。

  「寒い…しんどい…」と。

  もうそれしかしゃべれなかった。

  恐らく解熱剤、抗生剤の点滴の準備をしてくれたのだろうが、

  記憶がはっきりしない。

  寒気が治まり、体の震え硬直はなくなった。

  ただ頭がボーっとして全身の力がぬけていた。

  その時の体温計の数字は、41度を示していた。


死を意識する

2021-08-12 15:10:29 | 日記
 2017.05.10

  酸素マスクの使い方を、まともに聞ける精神状態ではなかった。

  息苦しさが襲ってきてしばらくは、過呼吸か息が出来てないのか、自分が

  どういう状態なのかわからなかった。

  とにかく、ハァハァハァと、断続的に息をしているのだ。

  いままでテレビの世界で見てきたような事、古くは、故 丹波哲郎氏の

  著書、それを題材にしたドラマ、タモリ氏がストーリーテラーの

  オムニバスドラマ、このシーズンになると必ずと言っていいほど放送

  される特集(ここ何年かはやらないが…)、その世界を見てきた人が

  一部始終を語る番組、など、

  およそ自分自身には関係のない、自分の身には決してふりかからない

  出来事と、根拠のない自身でそれらを客観的な立場で見てきた。

  この時、それが自分の身にいま、降りかかっているのだと確信した。

  このまま意識が無くなるのだろうか、それとももうすぐ息が出来るように

  なるのだろうか、意識が無くなったらそのまま目が覚めないのだろうか、

  看護師さんが起こしに来てくれるのだろうか、人の命が終わる瞬間とは

  こういう事なのだろうか、と、初めて死を意識した。

  (本気で死を意識したのは、入院直後のベッドの上と、この時と、

   再発後、移植のあとのアナフィラキシーショックである。

   これについては第2章で書くことにする)

  それから何日間かは酸素マスク装着状態で、食事以外息苦しい時は、

  ずっとである。

  血中酸素濃度計、いわゆるパルスオキシメーターで定期的に測定する。

  世の中には便利なものがあるものかと、その機械を見ていつも思って

  いた。

  指をそれに挟むだけで、体の内部の状態がわかるのだから相当すぐれ

  ものだと。

  いまでこそ、このコロナ禍では、ドラッグストアで売っており、常時

  持ち歩くくらいにまで進歩しているが。

  呼吸も落ち着き、酸素マスクも付ける頻度が減ってきていた。

  念のため枕元に常備しておくことになった。

  あしたはまた、採血と次の輸血だ。


 2017.05.10

  いつも通りの採血と血圧測定、検温である。

  血小板の数値があまり上がらないので、再度の成分輸血がその日の

  午後からあった。

  やはり副作用が出て、顔にポツポツ、足にも広がった。

  そのあとの抗生剤で1時間ほどで治まる。

  いつも通りの午後だが、やがて軽い寒気を感じるようになる。

  寒気を感じると決まってすぐに体温が上昇し、高熱になる。

  この時も同じだった。

  ただ、1回目の経験があるせいか、気持ちはわりと落ち着いていた。

  自身で体温計を取り、測る。

  目盛りは39度を指していた。

  ナースコールを取る。

  前回の如く解熱剤と抗生剤を点滴投与する。

  1時間もすれば全身汗びっしょりになり、体が楽になった。

  目が覚めたら夕食前だった。

初めての酸素マスク。

2021-08-05 13:46:46 | 日記
 
  (退院後、102回目の外来。血液検査の結果は良好。CRPの値が

   基準値より高いのが気になる。今日も食後の血糖値の急上昇と

   急下降のあとの、だるさ、強烈な眠気にあらがえずにいる。)


 2017.05.08

  前日の高熱で、体に対してのダメージが大きかったのか、その日は早朝の

  採血で起こされるまでぐっすり眠っていた。

  これは自身が勝手に思っていた事なので、もし看護師さんがおられたら、

  どうかお気を悪くなさらないで下さいませ。

  「また今朝も、血を取りに吸血鬼がきたゕ・・・」…スミマセン…

  その日は午後から輸血だった。

  冷静に考えると、採血、輸血、採血、輸血と内容量は違えど、

  血を抜いたり入れたりと繰り返しているうちに、このまま行くと本来の

  自分の血がよそ様の血に入れ替わってしまうのではないかと思って

  しまい、またそれはそれで言いようのない不安に駆られるのである。

  (この1年半後、本当に自身の血が入れ替わってしまうのであるが…)

  輸血に使用する血液は、血液センターからの搬入待ちで、この日も

  輸血の予定時刻を大幅に超えて搬入された。

  血液の成分輸血で、血小板の輸血である。

  また例の黄色く少しドロッとした液体の先をカテーテルにつなぐ。

  つないで輸血が始まると、特になにをすると言う事もなく点滴と

  同じ要領だ。

  30分ほどで袋の中身はなくなる。

  そのあとすぐに抗生剤の点滴が始まる。

  輸血の後は、過去2回の時もそうであったように、やはり副作用が出た。

  今度も顔にポツポツができ、それ以上は広がらなかったが、太もも、

  背中と大きくは広がらなかったが出ていた。

  熱はこの日は上がらなかった。


 2017.05.09

  この日もいつも通りの吸血鬼…いっいや…早朝と、いつも通りの午前中

  を過ごした。

  熱が出るときは決まって体に寒気が走り、すぐに温度が上昇するのだが

  この日は特に何も変化はなかった。
 
  午後からは少し違っていた。

  この病気になる以前からもあったのだが、もともと痰が絡みやすく

  咳込んで止まらず、一時期吸入器を使うほどだった。

  その時の医師の診断は、ぜん息とまではいかないが、それに近い状態

  であるとの事だった。

  そんな事もあり、入院前の問診では主治医には伝えていた。

  入院後から最初の抗がん剤治療、そして2回目の抗がん剤治療と

  入院生活の中で、断続的な咳込みはあったが、看護師さんはその都度

  スルーだったので、自身も大したことはないのだろうと思っていた。

  ところがこの日はやけに咳込みが激しく、止まらない状態が何度か

  続いてた。

  いつもの咳込みがまた始まったかと高をくくっていた。

  様子がおかしい。

  異常に咳が出る。

  苦しい。

  それでも咳が出る。

  ん?

  これは…

  息苦しい…

  息ができない…

  さんざん咳込んで、息ができない…

  その瞬間ナースコールを掴んでいた。

  すぐに看護師さんが駆けつけてくれ、ベッド脇の酸素ボンベをセット

  する。

  無心で酸素マスクを掴んだ。

  どれくらい時間が経過したのかわからないが、いつの間にか酸素マスクを

  つけたまま横になっていた。

  生まれて初めて(もちろんそんな事は何回もあってはならないのだが)

  酸素マスクをつけた。

  まさにテレビドラマで見たあれである。

  そしてしばらくその状態が続くことになる。

  そしてこの日、高熱にはならなかった。