白血病闘病記は(1)で一旦終了します。

白血病闘病記(2)「再発編」は、後日掲載予定です。
少しの間、撮り溜めた写真をアップしていきます。

時給 ” 0円 ” の仕事

2022-01-31 05:34:54 | 日記
 2017.8月

  退院後の自宅療養は、自身の体力との勝負だった。

  筋力の超低下に加え、ちょっとした動作でも疲労感が半端ではないのだ。

  気晴らし、運動を兼ねて外出はするものの途中で疲労感が襲ってきて、

  へたりこみたい衝動に駆られる。

  座り込んでは歩き、また座りと休み休みである。

  ウインドウショッピングでもと思うが、たどり居つくころにはもう体力は

  残っていなかった。

  それでも休み休み歩く。

  帰宅するころにはなだれ込む様にソファーへ崩れる。

  最初の頃の食欲は久しぶりに対面する食べ物たちに遠慮はなかったが、

  慣れてくるとやはり体が反応するのか、便の出ぐあいがおかしくなって

  きた。

  退院時に処方されていた下剤、ピコスルファートナトリウムの出番が

  やって来た。

  お腹に溜めこむと、腸内菌がまだ免疫不充分な体を攻撃してくるのだ。

  極力溜め込みを防ぐため数滴を服用する。

  そんな事の繰り返しだった。

  その時の自分の仕事と言えば、時給 ” 0円 ” でいかに普通の生活を

  早く取り戻すこと以外なかったのである。

歓喜のダブルチーズバーガー。

2022-01-21 10:36:40 | 日記
 2017.08.16

  延べ5ヶ月に及ぶ入院生活が終了した。

  入院期間 2017.03/21~2017.08/16

  退院後は月1回のペースで、自宅療養と並行して通院が続いた。

  長期入院と投薬等の影響で、全身の筋肉が落ち(特に両足の筋肉)

  少しの動作で翌日の筋肉痛が酷くなる。

  外出は杖を突いての歩行が必要となり、3か月くらいはその状態が

  続いた。

  退院と言ってもあくまで治療の途中段階で、病室から自宅へ移動した

  だけのことである。

  ただ風景が変わるため、やはり気分的には開放感が半端ではない。

  完治したのだと勘違いしそうになるが、あくまで自宅療養である。

  朝昼夕の検温、血圧測定、尿・便の管理、薬の仕分け、服用と、

  することが山ほどある。

  運動を兼ねて食料品の買い物等、外出は楽しみの一つだ。

  そのほか医療保険の手続き、傷病手当の申請、見舞品の整理等も

  日課のひとつだ。

  そんな中、数か月ぶりに食べたマクドナルドのダブルチーズバーガーには

  全身の細胞組織1個1個が一斉に反応し歓喜の声を上げていた。

下界のフィールドアスレチック

2022-01-09 06:31:44 | 日記
( 昨年末からの微熱続きでお正月はほぼ冬眠状態。

 長い倦怠感のトンネルからようやく抜け出し、気づけばオミクロンの嵐。

 基礎疾患者には住みにくい世の中になっていた。)


 2017.08.14

  敗血症の心配をよそに、着々と退院に向けての準備がなされているような

  気がする。

  気のせいか、体が少し楽になっていた。

  多分気のせいだ。

  自分の意思とは関係なく、この日から主治医は不在になった。

  一週間ほど居ないまま途中下車での退院だ。


 2017.08.16

  晴れて?退院。

  この時は何故かほぼ平熱におさまり気分的に楽になっていた。

  (多分、気のせいとは思うが…)

  主治医に挨拶もできないまま病室を後にするのは、何か違和感があったが

  副主治医とお世話になった看護師さんたちにはお礼が言えた。

  仮退院の時とはまた違った感覚で、もうあの無機質で寂しい部屋に

  戻らなくていいのだ。と清々しい気持ちで病院をあとにした。

  家に向かう途中、タクシーの後部座席から外を眺めていた。

  やっと退院できた…もう病室に戻らなくていいんだ…

  病院食じゃないんだ…

  いろんな思いが頭の中を巡った。

  何故か、ごく普通の景色が新鮮に映り、建物、車、人、信号機、空、

  いろんな風景を確かめるように見ていた。

  病室から見る感覚とは違い、下界に降り立ったという感じがした。

  いつも上から見下ろしていたのと、ほぼ雑菌のない病室に置かれている

  自分の状況から、そこを勝手に下界と呼んでいた。

  免疫がまだ完全ではない体はすごく不安定で、杖なしでは歩けない。

  ましてや階段などは一段も登れる気がしなかった。

  やっと到着した家の中は、その時の自分にとってはまさに

  フィールドアスレチックだった。