白血病闘病記は(1)で一旦終了します。

白血病闘病記(2)「再発編」は、後日掲載予定です。
少しの間、撮り溜めた写真をアップしていきます。

天井の向こうにあるもの

2022-03-26 14:05:13 | 日記

 (造血幹細胞の移植後フォローアップにて、抗がん剤の影響で両足首の

  しびれ、両手小指の関節変形は完治しないことが確定した。)


 2018.1.1

  この日は元旦早々に病院へ向かう。

  ほぼ毎日の様に通っていた時とは違い、回数が少なくなってきていた。

  その頃の父親はもう会話が出来なかった。

  いつも天井を見て何かを目で追っていた。

  問いかけの返事もままならずただ口を動かしていた。
 
  年末のぎりぎりまで通っていた病院もあとどれくらい見舞えるの

  だろうか。

  母親に安堵の表情はない。

  主治医の説明は、やはり家族に選択を促す内容だった。

  延命処置をしない選択をした。

  この年齢、この状態で手術を行えば、一度がんで胃の3分の1を摘出

  している体には、この先の手術に恐らく持ちこたえられないだろうと。

  それから何度と通い主治医との話し合いをし、いまの状態でベストの

  治療法を模索していただき様子をみた。

  次の見舞いの時には、鼻からチューブを入れられ、天井を見据え、

  いつもと違う呼吸をしている父がいた。

渡したくないバトン

2022-03-09 15:51:33 | 日記
 2017.12.22

  この日の検査結果も前回とはあまり変わらず平行線だった。

  まあこのまま何事もなく行ってくれればいいのだが…

  (そうは問屋が卸さなかったのだが)

   
   
  
 
  この2017年は、壮絶な入院生活と通院、父親の入院と見舞いなど、人生で

  1回あるかないかの出来事が、目まぐるしくやって来たそんな一年だった。

  自分自身はそれまで、何の病気もなく健康そのもので生きてきた。

  当然他人からは、一応(お世辞も含めて)羨ましがられ、年齢よりは

  若く見られ、この歳になって「兄ちゃん!!」と今だ呼ばれている事に、

  ちょっとした優越感さえ覚えていた。

  ただ、腹回りの大きさが少し人とは違うと言う事を除けばだが…笑

  そして、

  「自分は他の人とは違う…今まで病気という病気はしていない、ましてや

  入院するような事など一生ない!」と、高をくくっていた。


  年末も押し迫り、やれやれ、大変な一年だったよなぁ…と、思いにふける。

  次の年は今年よりは、ちょっとはいい年であって欲しいなぁ…。

  しかし次の年には、この年の出来事など足元にも及ばない、生死に関わる

  重大な体験をする事になる。

他人に映る姿

2022-03-06 14:58:34 | 日記
 2017.11.22

  この日は5回目の通院日。

  

  


  あれから連日は父親の見舞いだった。

  母親も病院の往復だけでも、今思えばしんどかったろう。

  毎回二人タクシーでの往復だった。

  片方はリウマチを患った(表向きは健常者と何ら変わらないが…)

  重い体、もう片方は入院明けの杖をついた不自由な体。

  そんな二人がタクシーに乗車し、病院までの歩道を歩き、途中で

  コンビニへ寄る姿は、他人からはどう映っていたのだろう。

通院と見舞の連鎖

2022-03-05 06:00:16 | 日記
 2017.11.10

  救急隊員は到着後、尋ねた。

  「事故ですか? 病気ですか?」と…

  その時は聞かれる意味など考える余裕などなかった。

  後日、人から聞いてわかった。

  それは事件性を問うための質問だったことが。


  父親の緊急入院は、手続きと着替え、洗面用具など必要なものの準備

  などでバタバタしていた。

  自分が何か出来るとはあまり考えられず、身の回りの用意などは母親が

  ほとんどした。

  主治医に状況を説明し、入院での注意事項等を聞く。

  父親は応急処置のあとICUに運ばれた。

  それ以降、月一回の自分の通院と週一回の見舞に行く生活がはじまる。

喧騒の中のサイレン

2022-03-03 15:12:49 | 日記
 2017.11.10

  「お父さんの様子がおかしいねん!」

  母親の不安げな電話の後、自宅からすぐの実家へ向かった。

  エレベーターで7階まで上がり、玄関を開け中に入るとすぐに、母親と

  部屋に入った。

  そこには非常に呼吸が荒く高熱で顔を歪めたつらそうな父親が寝ていた。

  以前から大人用おむつをはいており、急な排泄に備えていた。

  その時もいつも通り準備万端で着用していた。

  汗をかいていたので着替えさせようと脱がし始める。

  匂いがしたので確かめると、やはり準備万端のそれが役に立っていた。

  母親が処理をしてすべてを整えた。

  それを横目で見つつ、父親の主治医がいる病院へ電話を入れる。

  状況を説明し許可を得た後、119へ連絡した。

  程なく町のどこかでよく耳にする例のサイレンが鳴った。

  またどこかで鳴り響いている。

  いわゆる普通に聞こえてくる町の喧騒の一部のような感覚だ。

  ただ今度のサイレンは間違いなく、自分達の方に近づいていた。