(令和3年度の収支は難航したが、まあ何とかやり切った感がある。
次年度の予算は若干厳しいようである。)
2018.1月
父親の命日となった日からは、納棺、通夜と葬儀、葬儀後の打合せと
山ほどの手続きを、杖を片手に母親と二人三脚で処理をしていった。
一番困難を極めたのは、銀行口座の凍結である。
本人がいない限り出金の手続きができず、それを可能にする為の証明書類
の取り寄せ。
解約を可能にする為の書類の取り寄せなど、戸籍を何代か遡り、
聞いたことのない方々のお許しをもらわなければならなかった。
光熱費関係の名義変更、年金関係での役所廻りなど、その月はまあまあ
ハードに過ごした。
同年2月
49日法要のあと、お世話になった先生に挨拶に行く。
父親を看取った日以来の病院だった。
同年3月
やっと落ち着いてゆっくりと自分の事を考えれるようになった。
退院後からも日々のバイタルは欠かさず測定していた。
特に数値が激変することも無く、穏やかに日々を過ごしていた。
ふと、いつもの、予定その日の出来事などが書き入れられたカレンダー
に目をやった。
3月17日。
病名告知から1年が経っていた。