白血病闘病記は(1)で一旦終了します。

白血病闘病記(2)「再発編」は、後日掲載予定です。
少しの間、撮り溜めた写真をアップしていきます。

増えた仲間と沸かない実感

2021-10-31 14:27:19 | 日記
 2017.07.18

  土日明けでクリーンルームに移動した。

  いよいよ最後の治療である。

  右首にカテーテルを挿入し、またあの違和感を経験する。

  思った通り2~3日後には違和感はなくなる。

  3回目最終の地固め療法の開始。

  1日3時間を5日間、抗がん剤シタラビンの大量投入だ。

  3回目ともなるとプログラムの内容はもうわかる。

  抗がん剤は1日3時間の付き合いだが、排出用の生理食塩液は

  24時間で5日間通しである。

  この日から毎日飲む薬に仲間が増えた。

  痛み止めと予防で、リリカ75㎎とアシクロビル錠200㎎だ。

  この時からアシクロビル錠との付き合いが始まった。(現在も服用中)

  帯状疱疹の痛みがまだ残る中、プログラムは普通に進んで行く。


 2017.07.31

  プログラム 2. 発熱

  夜中に暑さで目が覚める。

  おかしい。

  体温計を探す。

  あった。

  すかさず脇の下へねじ込む。

  暑い。

  これは普通じゃないな…

  そう思い、ピピッとなった体温計を覗く。

  41.5℃を指していた。

  2回目の時の高熱で免疫が付いたのか、記録を更新した実感が沸かない。

  しかし高熱特有のあの倦怠感は何ら変わらなかった。

  予定通り高熱が出た。

  この先一週間は続くのか。

  ある種覚悟の心境ではあった。

  しかし、そうそう予定通りに物事は進まない。

  一週間では終わらなかったのだ。

リリカの増量と最後のプログラム

2021-10-24 14:02:58 | 日記
 2017.07.09

  痛みはさらに進化し、ちょっとやそっとのリリカではもはや

  手に負えなくなっていた。

  ミリ数を少しずつ上げていき、その都度様子を見る事にした。

  しかし断続的にやって来る痛みはすぐには消えず、昼夜関係なく

  襲ってきた。

  就寝時、痛みをこらえ無理に眠ろうと目をつぶり、うとうと仕掛けたと

  思ったら、すぐに襲ってくる。

  この繰り返しで朝を迎えるのだ。

  睡眠不足と強烈な痛みで精神的にもおかしくなりそうな日々が続いた。

  ある日の夜中、痛みは最高潮に達し、たまらずナースコールを取る。

  だましだましの鎮痛剤はくれたが、だましだまし朝を迎える。

  主治医の往診時に昨夜のことを訴える。

  リリカのミリ数が上がった。

  痛い。

  そんな甘いものではなかった。

  何とかしてほしい。

  これがもし自宅待機時に起こったと思うとゾッとする。

  さらにリリカのミリ数が上がった。

  ようやく極限の痛みはおさまったのか…

  自分寄りに判断をしてしまう。

  ただ本当に痛みは、気持ちの問題でなく薄らいでいた。

  とにかく夜は小用に起きるだけで、ぐっすりと朝まで過ごせた。

  一週間ほどで帯状疱疹の治療は終わり、ようやく最後のプログラムに

  入ろうとしていた。

通用しなかった概念

2021-10-23 16:01:55 | 日記
 2017.07.08

  以前の再入院の心構えとは少し違った。

  痛みに対しての不安を抱えたままだ。

  ただこの最後の再入院ですべて解放される。

  翌日にかけてさらに痛みは増してきた。

  血液内科から出る処方箋も痛み止めだ。

  リリカの最小量から始まる。

  特に痛みに特化した薬剤で、その日服用後は痛みは治まり静かに

  眠りにつけた。

  よく朝、

   「いかがですか?」

  主治医のいつもの往診に少し安心した。

   「だいぶマシになりました。」

  ウソでなかった。

  本当に少しマシになったのである。

  ただ心の中には、

  (本当はもう少し痛く、このままでは済まない奥の深い何かがあるような

   気がしていた。)

  いつもの副作用予防と治療の薬に加えてラインナップが増えた。

  採血検温も普通に行われ、この痛みがこのまま消え去ってくれたら

  いいと…

  期待は大はずれだった。

  その日の夜からさらに痛みが増していった。

  痛い。

  腰をひねり左腰に目をやった。

  何とか見て取れた。

  赤いポツポツが目に入る。

  全体は自分では見れないが、看護師さんはくまなく見てくれる。

  まず炎症の治療と防止の塗り薬を塗り、次にその部分を覆うように

  ガーゼを敷きテープで固定。

  ポツポツそのものは痛くも痒くもないのだ。

  いたみはさらに悪化し、とうとう睡眠にまで影響してきた。

  痛みは断続的にやってきた。

  左のおしりの奥底にある神経細胞を容赦なく、ヘルペスウィルスは攻撃

  してきた。

  手首のぞうきん絞りならまだマシである。

  (この表現はわかる人にはわかるが…)

  おしりを竹刀で叩かれるのもマシである。

  おしりの皮を指でつねられ、それをさらに引っ張られるのもマシである。

  おしりを遠目の火であぶる(決してまねはしない様に…)

  その方がまだマシかと思うくらいの激痛がやってきた。

  表皮から手を突っ込み、奥の方の神経の束を掴み、そのままぞうきん絞り

  をされている。

  とにかく今までに感じたことのない痛みが襲ってきたのである。

  断続的に終わりなく続くのだから睡眠どころではない。

  よくテレビなんかで、「昨夜は痛くて眠れませんでした」

  という表現をするのを見た事があるが、

  (いやいや、いくら何でも眠れないなんて。

   しかも寝てしまえば痛みなんか忘れて、気が付けば朝ではないか。)

  そんな甘い考えはまったく通用しなかった。

皮膚科のドアを叩く。

2021-10-17 10:54:19 | 日記
 (投薬の副作用により、食後の急激な血糖の上昇で、大量のインスリンが

  分泌されるが追いつかないため、急激かつ強烈な眠気に襲われる日々が

  続く。)


 2017.07.01

  仮退院から2日目、久しぶりの自宅の雰囲気に浸っている間もなく、

  右腰部分はさらに痛くなってくる。

  この時点ではまだ腰痛の対処方法を模索し、まずは無難な市販の

  シップ薬を貼り、様子を見た。

  痛い。

  貼る位置が違うのだろう。

  位置を変えて様子を見る。

  次の日、腰痛は治まっておらず、シップの位置を確認する。

  すこしずらしまた様子を見る。

  痛い。

  おかしい。

  よく見ると、痛い部分を中心に赤いポツポツが出ていた。

  やがてそれは水膨れとなって、右腰全体に広がっていった。

  痛みはさらに増していき、断続的に強烈な痛みに変わっていった。


 2017.07.07

  織姫と彦星にろくにあいさつをする間もなく、再入院の日を迎える。

  強烈な痛みのまま主治医の指示通り、皮膚科を受診する。

  皮膚科のドアを叩き中に入った。

  大体は患者の症状をすべて聞き、患者側も自分の身体の症状を事細かく

  説明をし、さまざまな症例を参考にして診断結果を出すのだが、

  その先生は、上着を胸のあたりまで上げ後ろを向き、その箇所を見た

  瞬間、答えを出したのだ。

   「帯状疱疹です。」

  一瞬の出来事だった。

忍び寄る新たな痛み…

2021-10-07 13:55:00 | 日記
 2017.06.26

  仮退院の日が6月29日と決まった。

  しかし直前の血液検査結果次第では、その日が伸びる可能性がある。

  抗がん剤の副作用で高熱の期間が約1週間、これも”無事”終了し、

  輸血も、黄色と赤い方が無事終了した。

  あとは特に何の問題もないはずだ。

  問題があるとすれば、再度高熱が出て下がらなくなるか、熱は無くても

  数値が退院の基準にあっていなければいけない。

  少し微熱だったが幸い高熱には至らず、数値も基準値をクリアーして

  いた為、予定通り退院の日を迎えた。

  今回は1週間の退院期間であった。

  仮退院も2回目となると、再入院前提で物事を考えるようになる。

  自宅に居ても、地に足が着いていない感じだった。

  次の入院時には何を持って行こうか、どんなDVDを選ぼうか、本は…

  しかし案外何も持って行かないものである。

  当初に持っていったDVDも結局は見ていないものがあったりする。

  その週の後半、右の腰部分が少しむず痒くなりだした。

  それはやがて痒みから痛みに変わっていった。

  以前から腰痛を持っており、この病気のかなり前から悩まされていた。

  皮肉な話だが入院が功を奏して、腰痛の痛みは消え去っていた。

  それ以降自分の概念からは、およそ腰痛の2文字はなかった。


  仮退院で体の気が緩んだのか、多分また出始めたのだろう。

  仕方ない、痛みが増して来るようだったら、再入院の時に言えばいい。

  この時はその程度にしか思えなかった。

  しかしこれが新たな苦しみとの闘いになっていくとは、この時は

  夢にも思わなかった。