白血病闘病記は(1)で一旦終了します。

白血病闘病記(2)「再発編」は、後日掲載予定です。
少しの間、撮り溜めた写真をアップしていきます。

吐き気、食欲不振、嘔吐そして…

2021-05-30 13:08:25 | 日記
  体重を測る。

  毎日、朝夕と記録していく。

  ベースの体重があり、抗がん剤と生理食塩液の1日の点滴量との差が、

  2kg以上になる様調整する。

  その体重差が排出量となる。

  1日2000ccを目途に体重調整をしていき、その値が少ない場合は

  利尿剤を注射し、排尿を促す。

  2000ccより少ない日は無く、毎日それを超えていた。

  そのたびに利尿剤を打たれるためしょっちゅうトイレに入っていた。

  毎回祈るような気持ちで尿測定を行った。

  初日から尿意のたびに目が覚め、その都度尿カップを取る。

  ほぼ1時間ごとに目が覚めるため熟睡できない。

  やがて朝を迎えて決まって6時に採血にやって来る。

  2日目、3日目と続き3日目の昼、異変を感じた。

  食欲があまり無いのである。

  いまだかつて体調が悪いからと言って、食べ物を残したことがない。

  いま思えば親の教育のおかげで、食べ物を残すとえらく叱られたものだ。

  そんなこともあり入院初日から点滴開始の2日目と、出される食事は

  おいしく頂いた。

  ところが3日目の昼食、出されたものに箸を伸ばせなかった。

  胸から胃にかけてむかむか感があり、どうにも食欲が沸かないのである。

  完食は出来なかったが、3分の2ほどは食べれた。

  夕食も同じで3分の2ほどだった。

  看護師さんに相談すると、次の日から白ご飯からお粥に変わった。

  胃に流し込むような形で、おかずも含め食べやすいメニューに

  変更してくれたのだ。

  抗がん剤の副作用による食欲不振、吐き気、尿意により頻繫に目が覚め、

  その都度尿カップの計量。

  この状態がこのあと4日続いた。

  自分の意思とは関係なく、ただただ1日のノルマとして体を奮い立たせ

  途中で本当に嫌になり何度も止めてしまおうかと思ったが、寝ていても

  尿意は起こりそのままでは漏らしてしまうため、仕方なくトイレに向かい

  尿カップを取る。

  トイレの流す音、自分の尿の音、輸液ポンプの電子音、すべてが不快で

  嘔吐を誘うほどだった。

  早く終わってほしい。あと何日かかるのか。

  その事だけを考えていた。

  そして7日目の朝、抗がん剤の点滴がはずれる。

  生理食塩液の方は、体内の残っている抗がん剤をすべて排出させるため、

  2~3日は投与を続ける。

  この日から尿測定がなくなり気分的にも、すごく楽になった。

化学療法による点滴治療

2021-05-27 10:36:34 | 日記
 2017.03.23 AM10:00

  支柱が運ばれてきた。

  看護師さんがおもむろに、輸液ポンプを取り付け始める。

  何もかもが目新しい出来事が目の前で行われた。

  1本の支柱に2台のポンプ、そこから繋がれた数本のチューブ。

  その先には支柱にぶら下がった、袋に入った液体。

  テレビで見たことのある、いわゆる病室にあるそれだ。

  物珍しさが先に立ち、それをこれから肌身離さずに連れて回らないと

  いけなくなるとは思いもせず、興味津々で見入っていた。

  袋に入った液体からの行き先は右首だ。

  先端を近づけ挿入部に押し当てる。

  看護師さん指導のもと、これからの事の説明を受ける。

  抗がん剤と同時に生理食塩液を投与する。

  点滴により体内に、1日約2000mlの量が入るので、それ以上の排尿が必要

  となる。

  そのため排尿量を把握する必要がある。

  尿意のあるごとに尿カップに採り、量を記録していく。

  記録が終われば尿を捨て、ペーパータオルをカップにかぶせておく。

  そのままだと尿に流れ出た微量の抗がん剤が蒸発し、体に2次的な影響を

  及ぼす為だ。

  ナースコールを押す。

  洗浄に看護師さんが来てくれる。

  1回目の尿計量、一連の作業が終わり一息つく。

  ふと思った。24時間の投与の為、点滴は装着しっぱなし、ということは

  これから24時間1週間ずっとこの作業の繰り返しになると。

  いつでもどんな時でも尿意があればすぐにカップを取り計量しなければ

  ならない。昼夜を問わず。

  そんなことが自分にできるのだろうか。

  想像できないが、とにかくやらないといけない。

  壮絶な1週間が始まった。

抗がん剤治療の開始。

2021-05-24 14:07:03 | 日記
  2017.03.23

   朝、おぼろげに目が覚めた。

   寝返りを打とうとすると右首に違和感と痛みが。

   時計を見るとまだ6時だ。

   名前を呼ばれる。

   こんなに朝早くからなんだろう。

   「採血で~す。」

   そうか、そう言えば昨日言ってたような…

   寝起きの体にその看護師さんは、躊躇なく針を挿入する。

   今まで注射というものは何度か経験をしてきたが、

   これほど無抵抗の状態で打ったのは初めてである。

   痛!一瞬で目が覚めた。

   何本か採血すると、「終了で~す。」と、おもむろに立ち上がり

   病室を出て行った。

   無理やり起こされた感がありまだ体がシャキッとしない。

   ほどなく、担当看護師さんが血圧測定と検温に来てくれた。

   数値も特に問題はなく、右首のそれ以外は至って体調はいい。

   事前説明の通り今日から点滴治療の開始だ。

   これには事前にスケジュールが組まれていて、日程表も貰っていた。

   この日から1週間の予定で点滴による化学療法が始まる。

   寛解導入療法といい、薬剤2品を1週間かけて投与していく。

   最初の3日間は イダマイシン、キロサイドという薬剤を

   同時投与する。

   イダマイシンは1日30分を3日間、キロサイドは24時間を7日間。

   右首にカテーテルを装着したのは、静脈の流れが速く、より心臓に

   近い状態で安定して投与できるからで、これが腕に装着した場合だと、

   寝返りを打った時などに外れてしまう可能性があるからだ。

   主治医からはその説明はあったものの、どこか心に引っ掛かりが

   あった。

   寝るときはカテーテルを外したら、楽な格好で寝れるのではないか。

   寝返りを打っても何ら支障は無いのではないかと。

   その勝手な解釈はものの見事に崩れ去り、もう一度説明事項を

   確認した時にそれを確信した。

   これから1週間、つけっぱなしなんだと…

   いま思い出しても過酷な1週間がこの日から始まった。

入院最初の朝。

2021-05-21 15:47:35 | 日記
  2017.03.22

   目が覚めた。いつもと違う。

   背中に当たる感触と枕の感じ、天井が違う。

   寝返ると何かが当たった。

   一瞬でベッドの上だというのはわかった。

   おぼろげに昨日の入院手続きのことが浮かんできた。

   (そうか、自分は昨日から入院したのだ!)

   (それで病院のベッドで寝てたんだ! ん? 入院? 何の病気で?)

   だんだんと頭が冴えてきた。

   完全に目覚めた時は少し体が震えた気がした。

   (白血病になったんだ......)

   白血病......

   日記を書いているこの瞬間でも、この文字を入力すると

   本当にこの病気は自分が患ったのだろうかと思ってしまうくらい

   自分には縁の無いできごとなのだろうと当時は思っていた。

   事前に伝言があったようで(本人は覚えていない)

   看護師さんが検温と血圧の測定に部屋に入ってきた。

   ここの部屋の担当看護師さんだ。

   不安しかない自分はここぞとばかりに質問をした。

   病名宣告後、最初に掛かった市大病院の先生にした質問の時と

   同じ事をしていた。

   ただ看護師さんだけあって、言い方が優しく、耳にソフトに入って

   くるので安心できた。

   PM1:30 これから始まる治療の前処置として、右の首あたりの

   静脈から、10cmほどのカテーテルを挿入する。

   副主治医の指が、右のえら顎辺りから鎖骨を何回か往復する。

   指が止まり位置を確認する。

   続いて周辺に麻酔を打つ。

   麻酔はすぐに効いてきたのか、痺れてきた。

   いよいよ挿入なのだが、本人にはそれがどんなものなのか見えない。

   仰向けの状態で体を動かすことができないのだ。

   一点天井を見つめるだけである。

   先生の表情も助手看護師さんの表情も見ることができない。

   声だけを頼りに聞き耳を立てるが、話の内容が入ってこない。

   何が始まるのだろうという不安でいっぱいだ。

   その時、副主治医が突然

   「では今から管を入れていきます。最初少し違和感がありますが、
   すぐに無くなります」

   (最初の違和感? すぐに無くなる?)

   首に、小さく何か硬いものが当たった。

   次の瞬間、痛みというより、何かが皮膚を突き破って体内に

   入って行ってるという感覚があった。

   少し押しますよ。と先生。

   (少し押す?)

   わけがわからないまま体を預けていると、首をグッと押される感覚

   があった。

   次に、エコーの時に使用するような機械で、カテーテル挿入部周辺を

   検査し、正常に挿入されているかを確認した。

   ほどなく助手看護師さんが処置の為の消毒、挿入部に保護テープを

   貼って、一通りの処置は終了した。

   1時間程処置室で休み、病室に戻った。

   部屋に戻ってから少しの間、放心状態だった。

   何かを首に埋め込まれた経験は今だかつて無かった。

   (当然普通は無いのだが)

   副主治医の言う事には、確かすぐに違和感は無くなると言っていた。

   思いっきり右首全体が石の様になっていた。

   首が回り切れない。

   どの位置に持ってきても違和感満載だった。

   え? この状態のままこれから過ごすのか?

   この先どうなって行くのだろうか。

   そう思うと何とも言えない気持ちになった。

入院生活のはじまり

2021-05-19 11:31:09 | 日記
 2017.03.21 入院当日

  AM8:45 事前に予約を入れていたタクシー会社より配車の

  いまは無き、某社ピンク色の車が到着する。

  自宅前、入院に必要な衣類、洗面具、その他必要と思われる物を詰めた

  ケースを乗せ、実家へ向かう。

  父親と母親が立っており、後部座席から合図をするが気づかない。

  おそらく、入院でいずれ抗癌剤を投与されることを考えて、髪の毛を

  かなり短くしていた為と、車がピンク色だというのが原因だったろう

  と思う。

  父親に見送られ母親と病院をめざす。

  事前に来院していたので、受付まではスムーズに進んだ。

  待つ事30分
  入院案内係の方が自分が入る病棟まで案内してくれた。

  病院のワゴンを借りていたので荷物の運搬に苦はなく部屋まで到着。

  初めての入院で初めての部屋、ベッド、床頭台、その他全部が

  目新しく、不安を感じながらもこれから送る入院生活に、興味津々で

  乗り込んだのである。

  部屋の荷物を整理し一息付くと、看護師さんの呼び出しがあり、

  いまから検査を行いますと。

  市大病院で一通り検査を経験していた自分は、何の検査をするのだろうと

  不安になり、看護師さんに聞いてみた。

  内容は市大病院で受けた検査と同じだった。

  本人カルテは申し送りされるのだが、それでも一通りの検査が必要との事

  だった。

  検査の数が多く、すべて終わるのに半日近くの時間を要した。

  母親はその間も居てくれて検査終了後も遅くまで居てくれた。

  リュウマチを患っており、長時間の姿勢があまり良くなく、座っている

  だけでも、かなりしんどいはずなのに遅くまで居てくれた。

  この日の検査は患者に一通りするごく一般的な検査であって、

  これに比べれば比較にならないほどの検査、処置が次の日から始まる

  ことを本人はまだ知らない。