白血病闘病記は(1)で一旦終了します。

白血病闘病記(2)「再発編」は、後日掲載予定です。
少しの間、撮り溜めた写真をアップしていきます。

血液培養検査

2021-09-26 17:04:59 | 日記
 2017.06.19

  この週も朝一の採血から始まる

  カレンダーではこの週、高熱に襲われる予定だ。

  そんなにきっちりと暦通りにいくものか。と勝手な強がりは、

  ものの見事に打ち消された。

  夜中、高熱で目が覚めた。


  一度、人生で最大の高熱を経験しているからか、ぽかぽかと体が火照る

  ような妙な感覚だった。

  体温計の数字は、38℃を示していた。

  この日からほぼ毎日のように38℃台を記録した。

  その都度解熱剤の点滴を投与され、時には解熱用の錠剤も処方された。

  38℃台が2回以上続くと、別の症状も心配されるため、2回目の38℃台の

  際に、別枠で採血をする。

  通常の蚊に刺された様なものとは違い、タバスコの親玉のような

  ビーカーに2本分、採取するのである。

  高熱による血液中の細菌の含有を確認する為だ。(血液培養検査)

  仰向けの状態なのでそのビーカーは確認できないが、かなり長い時間

  抜き取られていた様に記憶している。

  採取したものは即、検査に廻すため看護師さんはすぐに病室を出て

  行った。

  その物体を一度も確認することは出来なかった。

  ただ、感触として残っているのは、大きいビーカー同士がぶつかり、

  キンキンとなっていた音と、採取中の看護師さんの脈動だけである。

  やがて、2回目の赤い方の輸血の前日を迎える。


赤色の概念。

2021-09-25 17:14:58 | 日記
 2017.06.16

  この週はこの日で3回目の採血だ。

  やはり抗がん剤投与後の血液検査は詰めて行われる。

  白血球、赤血球、血小板の数値が減少していくのを追いかける為である。

  予定ではこの週末から次週の始めにかけて、ほぼほぼ "0" に近い値に

  なってくるはずだ。

  この日の午後は赤血球の輸血だった。


  前回の輸血の時もそうだが、いつも午後に行われる。

  輸血用のものがセンターに到着するのを待って、輸送されるからだ。

  凍結保存された血液がやって来るのである。

  到着の知らせを看護師さんから聞いた。

  主治医の先生が今日は赤いのをしますと言っていた。

  われわれ患者は、輸血と言われると赤い血の映像しか浮かばない。

  先生があえて、今日は赤いのをすると言った意味が前回の薄黄色い血小板

  と比較してのことだと、理解するのにさほど時間は掛からなかった。

  準備に入り、到着したそれを見た瞬間、想像していた物とはかけ離れた

  ものがそこにあった。

  およそ赤色とは表現するのがおこがましいくらいだった。

  深い赤、濃い赤、どす黒い赤、どれも当てはまらない。

  今までの赤という概念が全く当てはまらない。

  とにかく赤血球がそこにあるのだ。

  赤血球が入った袋を点滴柱の先にぶら下げる。

  次に、その下からチューブの先端を差し込み、反対側のチューブの先を

  喉元から伸びたカテーテルに繋ぐ。

  看護師さんがチューブの中を流れる赤血球のスピードを、袋から下りて

  くるのを見ながら調整する。

  当然まだ眠気すら襲って来ない自分は、その光景を目の当たりにした。

  その液体の色でかなり強烈な印象を持った自分は、それがチューブを

  伝って体の中に流れ込んで行ってるとは、どうしても受け入れられないで

  いた。

理屈では測れない事

2021-09-18 10:03:35 | 日記
 2017.06.06

  クリーンルームも2回目となると、部屋の雰囲気にも慣れてくるもの

  である。

  とは言えず、

  内装はわかる。

  ベッドの様相もわかる。

  滅菌水道装置の形状もわかる。

  最初にクリーンルームに入った時に、滅菌水道装置のセンサーが

  過剰反応し、水が頭に降り注ぐので電源を抜いておくこともぬかりは

  なく、事情を知らない看護師さんが、それを見るなり一回一回指摘する

  ので、これまた一回一回説明をするのも、怠らない。

  点滴柱に常駐している抗がん剤とそれを体外に排泄する用の生理食塩液を

  引っ張って歩くこと。

  シャワーを浴びれずに、1日何回かタオルで清拭すること。

  朝昼晩、3食の後のパイン味のうがいも忘れない。(忘れたいが…)

  もちろん、24時間営業の尿計量もである。

  すべては一度経験していることだ。

  体調変化と精神状態保持以外は。


  その日の夜。

  いきなり高熱が出た。

  38℃だったが、この日以降2週間、熱は出なかった。

  抗がん剤投与による体の反応だとの主治医の説明。

  しかしこれは、1回目の抗がん剤投与の時には無かったことだ。

  5日間の抗がん剤投与が終わり、洗浄のための生理食塩液の投与のみに

  なった。

  1回目の経験によれば、この後1週間後あたりから熱が出てくるはずで

  ある。

  抗生剤と生理食塩液の投与が続く。

  1日置きの採血がありその結果次第で、輸血を検討する。

  予想通り血液中の各成分が、抗がん剤の影響で日々数値が変わって行く。

  この週もみるみるうちに数値が下がって行き、血小板の減少に伴って

  赤血球の減少も始まっていた。

  この血液結果を受け、赤血球の輸血が予定された。

再入院

2021-09-12 16:10:41 | 日記
 2017.06.02

  再入院当日。

  手慣れたものか入院の準備は早く、持参品もある程度わかっていたので、

  そんなに大変ではなかった。(本人はのんきなものである)

  今回は2人部屋から始まる。

  4人部屋よりもかえって気を使うものである。

  当初は4人の大部屋よりは、少しでも人数が少ない方が良いと

  思っていた。

  周りがガヤガヤせずに落ち着いて過ごせると思ったからだ。

  ところが、2人だと対象がどうしても相手一人に限定されてしまい、

  シーンとなったところで逆に相手の行動が気になってしまい、注意が

  散漫になるのだ。

  気にしないでおこうとすればするほど、気になる。

  しかし2~3日後には、またあの無菌室行きになる。

  どこへ引っ越そうが過酷(笑)であることには違いない。

  移動後は早速抗がん剤治療の開始だ。

  2回目の地固め療法である。

  前回と同じ薬剤による点滴治療で、投与期間も同じ5日間の24時間の

  継続投与だ。

  やはり一番つらいのが、排尿ごとの尿計量で、全く慣れない。

  1回目の地固め療法と同じ、今回も濃厚薬剤だ。

  胃のムカつきが常にあり、食欲とはあまり関係なくずっとあるのだ。

  口内炎の予防のためのうがい薬はやはり気持ち悪く、ノーマルと

  パイン味の2種類しかない。

  ガリガリ君でも何十種類とあるのに…

  (ノーマルがおいしいが、コーラ味も捨てがたい…)

  パイン味はおいしく感じた。

  まあノーマルの妙な味よりはましである。

  ところが、これ以降このパイン味に悩まされることになる。


 2017.06.05

  無菌室へ移動。

  またあの日々が始まった。

  例のうがい薬を歯みがき直後に1回。

  歯みがきの回数ごとに1回…

  食事は生物禁止飯に変わった。

  通常食から変わって少しの間は、味にも変化があって少しは食事を

  楽しめる。

  ところが、2~3日後にはそうでは無くなった。

コロナ禍の先取り

2021-09-04 22:53:02 | 日記
 自宅生活が2ヶ月ぶりに始まった。

 足が地に付かない感じが違和感を増した。

 少しの間それはあったが、すぐに慣れた。

 人間というのは不思議なものである。

 順応性があり、その場所場所ですぐに順応する生き物なのだ。

 2ヶ月も天界(下界から見るとである…)に居た自分も例外ではない。

 生活の感覚は取り戻せたが、体が頭の思考についていけない。

 思うように動かないのだ。

 ゆっくりゆっくりと、まるでお爺さんのように。

 筋肉がほとんど落ちてしまい、特に足腰は触るとぺこぺこだった。

 人間の筋肉は使わないと衰えていく一方なのである。

 もちろんリハビリで時間を掛ければいつかは元に戻るはずである。

 (この時はこう考えていた。4年後の現在、まだ100%ではない)

 ただ10日後にはまた病院に逆戻りになるため、ひたすら普通の生活を

 する事だけに専念した。

 とは言っても、周りの出来事は目新しく変わっていた。

 新しい冷蔵庫が搬入され、新車が納車された。

 電気店へ行き、スーパーマーケットにも行った。

 銀行廻りをし、入院生活では出来なかった事を一通りした。

 免疫力、数値的には戻っているものの現実は違った。

 突進してくる人に対しても上手くかわせなかった。

 当然にマスク、腕のサポーター、杖、ニット帽なども外せなかった。

 マスクに関しては、この頃からコロナ禍を先取りしていたのである。(笑)

 便の状態と検温、食事の管理は自主的に記録していく。

 そうこうしているうちに、再入院の前日を迎える。