COVID-19をめぐって、病原ウイルスについての知見、致命割合などの病原性、再生産数Rに基づいた感染力のこと、さらに検査や検出率にまつわる話題を追ってきた。
今回は、こういったことを踏まえた上で、中澤さんの私見も交えて見解を語ってもらおう。
中澤さんが、前に「クラスター対策班の押谷さんと少し意見が違う」と言っていたのは、感染の仕方についての議論だ。
「ランダムリンクな感染と、スケールフリーな感染が混ざっているという話を前にしました。押谷さんのこれまでの発言では、SARSの時にも見られたスケールフリーな感染、つまり、一人の感染者からたくさんの二次感染者がうまれるスーパー・スプレディング・イベント(いわば、「超ばらまきイベント」)によってクラスターができて、感染が広がっていくというふうに考えてらっしゃるようです。でも、僕はスケールフリーな感染だけでなく、ランダムリンクもあって、それらの混合分布になっているのではないかと考えています」
スケールフリーな感染は、いわゆる「3密」な環境などで、飛沫や接触による感染よりも、マイクロ飛沫を吸うことによって広がったのではないかというのが最近、言われていることだ。一方で、やはり、インフルエンザのような飛沫や接触での感染も当然あるわけで、1人や2人にしかうつさなかった場合はむしろこっちかもしれない。
中澤さんは、あくまで、ひとつの仮説としてこんなふうに続けた。
「欧米であれだけ急激に感染が拡大しているのに、日本ではそこまでではなかったのは、生活習慣の違いでランダムリンクの感染が少なかったからではないかと思っています。日本はもともと文化的に対人距離が欧米より遠いですよね。挨拶はお辞儀や会釈が普通で、握手、キス、ハグはほとんどしません。それに、清潔な水が潤沢に使えて、小さい頃から石鹸で手を洗う習慣が根付いているし、1月からは手洗いをしようという呼びかけもあったので、この部分のRが1よりも小さかったんじゃないでしょうか」
再生産数Rについて大きな分散があって、たくさんの人にうつす人がいる反面、ほとんどの人は0、1、2人といった少人数だけだったことはデータ上でも示されていた。後者だけを取り出した時のRが1未満なら、やがて感染の連鎖がどこかで自然と途切れるので、感染制御としては、もっと大きな前者の「クラスター」を見るのが合理的だった。しかし、生活習慣が違う欧米ではどうだったろう。
「欧米でのランダムリンク感染のRが1を超えていたんじゃないかと思うんです。小さな違いに見えるかもしれませんが、1より大きいか小さいかというところで結果は分かれてしまうので、その小さな違いで感染が拡大してしまいます」
日本のクラスター対策の本質
もしもこれが正しければ、一時、まことしやかに語られていた「欧米のウイルスは変異して感染性が高いのではないか」「なおかつ強毒性なのではないか」という今のところ「後付け」感のある仮説を取らずにすむ。また、日本のクラスター対策が、3月の半ばくらいまで有効に機能していたように見える理由も自然に説明できる。
「僕は、クラスター対策班がやったことの意義、その本質が過小評価されていると思っています。批判する人からは、クラスター対策班は、どの国でもやっている感染者の接触者追跡をして潰すことだけをやっていればいいと誤解を与えたというような言われ方をしてますが、それだけがクラスター対策ではないんです。彼らがやったことの一番大きな意義は、やっぱり集団感染が起こりやすい条件、『3つの密条件』を見つけて、それが起こるのを防げば新たなクラスターができるのを防ぐことができると予防策を打ち出したことのはずなんです。なぜか押谷先生はあまりそこを強調していませんよね。それで誤解されている部分があるんじゃないですかね」
たしかに、ぼくの理解でも、クラスター対策というのは、たくさんの人がまとめて感染した集団を見つけて、それを対策する、というイメージだ。そこから接触者を追いかけて抑えればよいというふうに響きがちだし、実際にそのために大きな労力を割いてきた。
でも、ふと考えてみると首をかしげることもある。
例えば、西浦さんたちの論文(※1)では、札幌の雪まつりの屋内施設など密閉された環境で集団感染が起きたという話があった。また、その後、日本各地で、集団感染が起きやすい施設や状況の具体例がいろいろ報告されるようにもなった。しかし、それらは「すでに起きてしまったクラスター感染」だ。地道にリンクをたどり連鎖を断つのが大事であることには異論はないけれど、起きてしまったことを事後に追いかけても自ずと限界があるのではないか。
「たしかに会見などでは連鎖を切るのが大事だということが強調されてきたので、そんなふうに思う人もいるわけです。でも、クラスター対策には、一人が8人、10人感染するような条件ができるところを見つけて予防する意味もあって、実際に起きた集団感染の連鎖を断つことと、そこから得られた知見をもとに、まだ起きていない集団感染を予防すること、というのが重要なことだと思うんですよね」
連鎖を断つことと、予防することが、表裏のようになっている、というふうにぼくは理解した。
クラスター感染した人たちというのは、そのような発生がありうる行動をしていた集団だ。集団感染の現場になった施設Aの顧客が、施設Aが閉鎖された後も、自ら感染していることに気づかないまま類似の施設B、Cを訪ね続けたらどうだろう。同じ行動パターンを取り続ける限り、次のクラスター発生の起点になりかねないことは簡単にイメージできるし、実際にそのような報告がいくつもある。リンクをたどる先には、もちろん「ほとんど感染させない人」も多いわけだが、「高リスク」な人も当然のように混ざっていることも忘れてはいけない。
その一方で、そもそも「3つの密」が揃う場所はどこにでもあるわけだから、過去に感染が起きたリスクの高い具体例を知るだけでなく、自分で「ここは危ない」と判断できるような知識につなげてもらえればなおよい。まさに「不要不急」の場合は、そういった場所や状況を避ける行動変容で予防するのも、また大事な対策である。
連鎖を断つことで予防につなげ、予防することで連鎖を起こさない。これらの両輪があってこそのクラスター対策だということである。
「大規模集会を抑制するのは、WHOや欧米もやってきたことですが、もっと条件を特定した上でのクラスター発生『予防』は日本の特徴だったと思います。そして、3月10日頃まではランダムリンクな感染のRが低いこととクラスター対策が奏功して、感染者数をある程度低く保てていたと評価できると思っています」
なぜ3月末以降に感染者が急増したのか
しかし、3月末以降に起きたことは、かなり様相が違う。
それまでのクラスター対策が奏功しなくなった。そこから、緊急事態宣言に至り、「家にいよう」ということになったのは現在進行系の事態である。
「まず確認しておきたいんですが、2月の初旬、春節で日本に来る人たちをウエルカムと言ったのがいけなかったという話があるじゃないですか。でも、中国から入ってきた第1波は、北海道の流行曲線を見れば分かるように、クラスター対策で何とか抑え込めたんです。そして、このときの判断自体は、世界の感染症対策の基本である国際保健規則2005年改訂版(IHR2005)にのっとって行われていて、WHOがPHEIC(国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態)をなかなか宣言しなかったのと同じ理由です。IHR2005には可能な限り交通や貿易への影響を最小にしながら対策するって書かれていますから。今みなさん実感していると思いますが、貿易が制限されると物資が不足するから、なるべく制約をしないままに対策しようというのが世界の方針です」
ちなみに、4月27日に国立感染症研究所が公表した、ウイルスのゲノム研究(※2)などでは、1月、2月に日本各地でおきた感染は、中国から日本に入り込んだ株だったことと、既にほとんど見られなくなっていることが分かっている。これは、初動のクラスター対策が成功していたことの強い証拠になる。
でも、今ではその時と様相が違っている。WHOはPHEICを宣言したし、COVID-19はパンデミックになった。日本でも3月末から感染者が急増し、今にいたる新しいフェーズが始まった。先に紹介したウイルスのゲノム調査では、それ以降の流行は、欧州経由で入ってきたウイルス株に起因することが分かっている。
「専門家会議の人たちにとっても、クラスター対策班にとっても予想外だったのは、欧米でこんなに急速に感染者が広がったことだと思います。だから3月上旬以後、欧米から多数の感染者が帰国したことによる急速な感染拡大に対処が追いついていかなかったんです。3月17日には、専門家会議から海外からの流入対策を強化するように厚労省に申し入れがされていますが、充分ではありませんでした。中国からの第1波ではそれでもクラスター対策が機能しましたが、欧米からの第2波には対応しきれなかったわけです。そこでは、空港検疫がザルみたいだという批判も当たっていると思います」
欧米から帰国した人にPCR検査をして、結果を待ってもらわなければならない時にも、ただ待機してほしいと要請するよりなく、いざ、陽性が出て隔離ということになったときには、すでに地方の自宅に戻ってしまっていたというようなこともあった。公共交通機関は使わず、2週間は自己隔離と言われても、それができない人が多いのは自明で、それでも、有効な手立てを取れなかったのは、痛恨事だったと考えてよい。
「8割減」の合理性
欧米からの帰国者に由来する感染者が急増した後のことは記憶に新しい。東京都などの5都府県では病床が逼迫し、専門家会議は「医療崩壊」を避けなければならないと頻繁に警鐘を鳴らすようになった。これ以上進めば急坂を転げ落ちるように事態が悪化して、イタリアやニューヨークのような状況になる可能性も見えてきた。
では、どうするか、という重大な問いに対する回答が、緊急事態宣言の記者会見があった4月7日前後から言われているように、「80パーセント、接触を減らす」である。
「第2波からの見えないクラスターが発生して、リンクが追えない感染者が急増しているとクラスター対策班は考えていたようです。見えないクラスターがいっぱいあったら、その接触者を追えるわけがないので、積極的疫学調査も隔離も不可能です。もうすべての人を対象に、80パーセント、接触を減らすしかない。感染していない人も含めて、みんなが動かないようにしてもらい、見えない感染者からの感染を減らすしかないという結論に達したんですね」
この80パーセントという目標は、分析担当の西浦博さんが「8割おじさん」としてみずから発信し、世の中に広がった感がある。根拠になる分析は論文化されていないが、ここは疑うところではない、というのが中澤さんの見立てだ。
「リスクコミュニケーションの専門家からの提案に従って出したのであろう介入効果の予測グラフを深読みして、それがすべてであるかのような批判を見ますが、完全に的外れだと思います。あの背景にもっと緻密なデータに基づいたモデルが構築されていることは、これまで対策班の構成員が発表してきた論文を見れば当然分かるはずなんです。夜の街のなかなか接触を減らせない人たちがいて、さらに病院クラスター、介護施設クラスター、デイサービスクラスターなども、接触を減らせないとしたら、他をどれだけ減らさなきゃいけないかを考えているんですよね。それが、今は8割減らさなくちゃダメなんだという計算なんだと思います」
ぼくも西浦さんや押谷さんの仕事を、それこそSARSの後から15年以上にわたり見聞きする機会があり、中澤さんと同じ感覚だ。しかし、今、対策班のメンバーが現状分析と政府への提言の作業で手一杯で、論文として発表したり(査読を経るため、世界の同業者のチェックを受けられるメリットがあり、望ましいと思う)、あるいは、専門的な情報公開サイトを作って一貫した情報開示を行う余力もない。これは、イギリスでは、インペリアル・カレッジ・ロンドンのグループが中心になってウェブサイト上に矢継ぎ早に新しい分析を公表し続けていることや、アメリカでもハーバード大学のチームを中心に、理論疫学系の論文が出されていることと対照的だ。北海道大学の西浦さんのチームは初期、欧米勢に負けないスピードで分析し、論文を出していたものの、西浦さん自身が対策班入りしてからは、かなり論文生産速度が落ちた。この層の薄さは、実に悩ましい。学術行政の失敗だという声もある。
また、対策班が置かれている立場というのも「微妙」である。事実上、手弁当、ボランティアで集まっている専門家たちに依存せざるを得ず、また、そうすることが、今、とりうる最良の手立てであるというのも何かがおかしい。しかし、そうも言っていられないので、議論を進める。
「この8割の接触減という対策は、最悪のケースを想定しているという意味で合理的です。ただ、僕が思っていることは、第2波で大量の感染者が入ったとすると、その人たちから見えないクラスターができなくても、同時進行的にランダムリンクの感染があって1人から1人かそれ以下に感染させるだけでも、一時的に感染者が増えるということは当然ありますよね。もしもそっちの効果がその時には大きかったのだとしたら、それはRが1以下なので自然と消えて、8割接触を減らさなくてもいいシナリオもあります。ここは最悪の方をとるべきなので、やりすぎだという話ではありませんが」
この件について、中澤さんの「混合分布」説が現実に近いか、対策班のクラスター感染説が現実に近いかは、もう少したつと分かってくるだろう。そもそもクラスター対策班が、中澤さんが言う混合分布を考慮していないはずがないから、結局、どんな重み付けをすると現実に近いモデルになって、よりよく予想ができるようになるかという話だ。
そして、そろそろ考えなければならないのは、緊急事態宣言が解除された後のことだ。早目に都市のロックダウンを始めた欧米ではすでに解除を模索する動きが加速している。日本でも、本稿の時点では、39県ですでに緊急事態宣言を解除、8都道府県でのみ継続中だ。多くの人が理解しているであろう通り、いったん解除されたとしても、その後、すべてがすぐに元通りになるわけではない。では、どのようなことが予測されるのか、次回以降、考察してみよう。
つづく